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東京の高層ビル群の中でも一際目を引く、ガラス張りのクリスタルタワー。
その32階にある大手商社「ミラージュ・エンタープライズ」の営業部では、今日も静かな戦いが繰り広げられていた。
「おはようございます、佐倉さん」
声をかけてきたのは、完璧に整えられた黒髪を肩で切り揃え、紺のスーツを着こなした美しい女性だった。
氷室玲香、28歳、入社6年目。彼女の笑顔は完璧で、その奥に隠された感情を読み取ることは誰にもできない。
「おはよう、氷室さん」
佐倉麻衣は短く返事をした。
25歳、入社3年目の彼女は、ストレートの茶髪を後ろで一つに束ね、グレーのスーツに身を包んでいる。
玲香ほど洗練されてはいないが、その瞳には真っ直ぐな意志の光が宿っていた。
二人の関係は複雑だった。
表面上は同僚として礼儀正しく接しているが、実際は激しい競争相手同士。会社の次期プロジェクトリーダーの座を巡って、密かに火花を散らし続けていた。
「今日のプレゼン資料、もう準備はできてる?」
玲香が微笑みながら尋ねた。
「もちろんです」
麻衣は自信を込めて答えた。
「宮塚部長にも事前に確認していただいています」
「あら、そう。私も昨夜遅くまでかけて完璧に仕上げたの。お互い頑張りましょうね」
玲香の言葉には棘があった。
昨夜遅く——それは麻衣が恋人の健太と映画を見に行っていた時間帯だった。
まるで麻衣の私生活を監視しているかのような発言に、麻衣は小さな違和感を覚えた。
午後2時。プレゼンテーションの時間になった。
会議室には宮塚部長をはじめ、重役たちが居並んでいる。
麻衣のプレゼンは完璧だった。
綿密な市場調査と創意工夫に富んだマーケティング戦略。聞いている役員たちも感心した様子で頷いている。
「素晴らしい企画ですね、佐倉さん」
宮塚部長は満足そうに言った。
「特に第3四半期の販売戦略は見事です」
麻衣の胸に希望の光が差した。
これで昇進は確実だと思った。
しかし、玲香のプレゼンが始まると、状況は一変した。
「実は皆様、私が提案したいのは佐倉さんの企画をさらに発展させた内容です」
玲香はそう言うと、麻衣の企画とほぼ同じ内容——しかし、より詳細で洗練されたプレゼンを始めた。まるで麻衣の資料を事前に見ていたかのように。
「氷室さん、これは……」
宮塚部長が困惑した。
「申し訳ございません。実は先週、佐倉さんと情報交換をした際に、素晴らしいアイデアをいただいたので、それを基により具体的な提案を作らせていただきました。佐倉さんには事前に相談すべきでしたが……」
玲香は申し訳なさそうに頭を下げた。
しかし、その表情には勝利の確信が宿っていた。
麻衣は愕然とした。そんな情報交換など一度もしていない。
これは明らかな盗用だった。
しかし、証拠はない。そして、玲香の方が明らかに完成度が高かった。
「では、今回のプロジェクトは氷室さんにお任せしましょう」
宮塚部長の言葉で、麻衣の昇進の夢は打ち砕かれた。
その夜、麻衣は恋人の風間健太と久しぶりのデートの日であった。
渋谷の小さなイタリアンレストランで、キャンドルライトが二人の顔を優しく照らしている。
「今日はどうだった? 例のプレゼン」
健太が心配そうに尋ねた。
「ダメだった。氷室さんに……」
麻衣は今日の出来事を話そうとしたが、言葉に詰まった。
「ちょっと……うまくいかなかった……でも、まだ諦めない。次のチャンスを掴むから」
健太は麻衣の手を取った。
「麻衣らしいね。その前向きなところ、好きだよ」
健太の優しさに心が温まった。
彼との時間が、職場での辛さを癒してくれる唯一の救いだった。
しかし、翌日から状況はさらに悪化した。
玲香は新プロジェクトのリーダーとして、麻衣を自分のチームに組み込んできたのだった。
表面上は「優秀な佐倉さんと一緒に働けて光栄」と言いながら、実際は麻衣を監視し、コントロールすることが狙いなのは麻衣の目から見ても明らかだった。
「佐倉さん、この資料の修正をお願いします」
「佐倉さん、クライアントとの会議は私が出ますので、代わりに事務処理をお願いします」
麻衣は重要な仕事から徐々に外され、雑用ばかりを任されるようになった。
そして、玲香は巧妙に麻衣の評価を下げるための工作を始めた。
ある日、麻衣が作成した重要な資料が紛失した。
「佐倉さん、明日のプレゼン資料はどこですか?」
宮塚部長が血相を変えて尋ねた。
「昨日、確かに提出したはずですが……」
「私は受け取っていませんよ。氷室さんは見ていませんか?」
玲香は困惑した表情を作った。
「申し訳ありません。私も見ていません。佐倉さん、もしかして忙しすぎて提出を忘れてしまったのでは? 最近、残業も多いですし……」
結局、麻衣は一晩徹夜で資料を作り直すことになった。
しかし、それは玲香による巧妙な罠の始まりに過ぎなかった。