コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
姉ちゃん、唐突にフレディの声が甦る。
今マデ通り?横たわる屍と流された血は、無かったことになるの?リズは?マシューは?フレディは!?私の生きてきた今までを……あなたの犯した全てを無かったことにできる?
「出来るわけない!!」
反射的にその手を振り払っていた。
私たちの世界を壊したモノを、私たちの世界を奪ったモノを許さない。それに目を瞑る自分だったら、許せない。今まで通りなんて馬鹿げてる。何もかも壊れてしまったじゃない。私の大切なものは全部。そうよ、あなたさえ!どこが今まで通りだ!
「そう……残念だわ」
アーシュラは項垂れると、悲しげに呟く。その瞬間、脇腹に熱い衝撃が走った。見ると、私の体が銀のナイフをその根本まで飲み込んでいる。しゅうっとナイフから煙が上がり、黒く変色。途端に体がぐうっと重くなった。
「あ……」
平伏しそうになる体を、両腕で必死に支える。背中から誰かがのしかかっているような感覚。
「血がもったいないから、これ以上傷つけたくはなかったんだけど」
体が動かせない。
「あなたが私の娘でないと言うのなら、私もあなたに優しくする必要ないでしょう?」
言いながらアーシュラは指についた私の血を舐めた。
「ああ……」
悦びの声が漏れる。
「央魔の血は奇跡の血……そうね、その通りだったわ。その血は私に力と若さを与えてくれた。もちろんそれは魅力的だったし、感謝しているんだけど……でも、もっと大切なことがあるの」
ギラギラと光る青い目が私をーーいいえ、私の首から流れる血を捉えた。
「ねえ、知ってる?あなたたちの血はーーとても美味しいの」
「!」
「安心して。さっき言ったことは嘘じゃないわ。あの子の時はうっかり吸いすぎてしまったけど、あなたは殺したりしないわよ。少しずつ、少しずつ、加減、して吸って、あげる、から!」
堰を切った狂気が溢れ出す。逃げなければいけないと思うのに、銀のナイフのせいか体が全く動かない。腕を上げることさえ出来ない。もう……だめ。意識が、遠く、なって……。
「あなたは私の誇りよ」
陰っていく意識の向こう、満足気なアーシュラの声が聞こえる。
「”影”を分離させるなんて上手くいくかどうか分からなかったけど、”影”もあなたもよくやってくれたわ。これでお友達も浮かばれるでしょう。地下に放り込んだ甲斐があったわね」
「!!」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが弾けた。ーーレナーー血を!お前の血を!
「レ」
私の口から伸びた長い舌がアーシュラの喉に突き刺さる。
「レ、ナ……あな……た……」
彼女の手が私の舌を掴もうと動いた。最後の力を振り絞って、もう一度舌に力を込める。舌がアーシュラの喉を貫通した。
「そ……んな……」
央魔ノ血ヲ吸ウガタメ、多クノひとノ血ヲ流シタ。オマエコソ吸血鬼ダ!
ずるりとアーシュラの体が崩れ落ちる。同時に力尽きた私の舌も、地を這って口の中へ戻った。甘くて苦い血が私に流れ込んでくる。
戻レナイ。戻ラナイ。オマエノ命デサエ、皆ノ命ハアガナエナイ。ドコガ聖女ダ!
血ヲ モット 血ヲ
戻れない。戻らない。あなたの命でさえ、皆の命はあがなえない。どこが聖女だというの?
血を もっと 血を
ケレド、オマエノ命ハ、死者ノ慰ミトナロウ。
けれど、あなたの命は死者へのせめてもの手向け。
倒れ伏したアーシュラの手が萎んで骨張り、枯れていった。これがあなたの本当の姿。今まで通りはもう返ってこないのよ。私にも、あなたにも。粉々に砕けて消えちゃったの。
重い腕を必死に動かして、脇腹のナイフを抜き捨てた。血が流れていく。けれど、体は軽くなった。
よろめきながら立ち上がり、空を見上げる。太陽の姿はまだ見えない。けれど、世界はその恩恵を受けて輝き始めている。朝がやってくる。今日はよく晴れるだろう。
「血ヲ……」
くっと足首を掴まれた感触に見下ろすと、彼女の骨張った手が足首を掴んでいた。伏したまま、最後の力で這いずり寄る。
「モット……血ヲ……オウマノ……」
不思議ともう、何の感情も湧いてこなかった。ただアーシュラを眺めて、徐ろに銀の銃を構える。
殺セ、吸血鬼ヲ。殺セ。
大好きなお母さん。優しいお母さん。私もずっとあなたの娘でいたかったよ。
殺セ!吸血鬼ダ!
「さよなら、おかあさん」
銃声と共に、それはぎゃっと小さく悲鳴をあげた。吸血鬼は動かなくなった。これでおしまい。ほんとにおしまい……。
銀の銃が滑り落ちて、コドンと大きな音を立てる。ああ……疲れたな。たくさん動いたもの。なんだか疲れちゃった……。思わずふうとため息をついたら、喉に穴が空いていることを思い出した。痛いような気もする。体も重いし、寒くて……眠い気もする。
ああ、そうか。私は眠いのかもしれない。眠気を思い出したら、急に目が霞んだ。帰ろう……。帰るってどこへ?私にはもう帰る場所なんて……。
その時、脳裏にある風景がよぎった。蝋燭に照らされた冥い場所が閃く。ああ、そうだ……。伝えに行かなきゃ。
崩れ落ちそうになる体を引きずり上げた。深い深い眠りに落ちてしまう前に。赤い海の中、静かに私を待っているあの子に。
吸血鬼の体を跨ぎ、越して階段へ向かう。教えなくちゃ。もう終わったって。ちゃんとやれたって。もう心配しなくていい。もう、戦わなくてもいい。
吸血鬼は皆、その目を閉じた。そして、私もこの目を閉じよう。フレディ、あなたの隣で……。