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SWEET DAYS

10 - バームクーヘン(大森×藤澤)

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2025年05月04日

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「……っ!」


それまで調子よく奏でられていたメロディーがひとつの不協和音とともに途切れる。まただ。また僕がミスをした。レコーディングであれば満足のいくまで録りなおしたり、パート毎に録り分けたりもできるが、ライブではそうはいかない。もう本番は明日だというのに、そのリハにおいてもなお、僕はずっと同じ曲……今回のライブで初披露となる新曲でミスを繰り返している。


「涼ちゃんどうした?レックの時は問題なく弾けてたよね」


僕を責めることなく、むしろ気を遣いながら声をかけてくれる元貴。僕はそんな彼の顔を、申し訳なさと恥ずかしさからまっすぐみることができない。


「ごめん……」


目を逸らしたまま、何とか声を絞り出すと


「謝んなくていいよ、1回休憩入れてリハ仕切り直そ」


彼はそう言って僕の背を優しく叩いた。

1回外の空気でも吸って気持ちを切り替えよう。そうだ、だってレコーディングの時はちゃんと出来てたんだから。落ち着いて取り組めば、大丈夫。

スタジオのあるビルには屋上がある。僕は思い切り階段を駆け上がって、勢いよく扉を開けてみる。少しでもこの重たい気持ちが振り切れるように。しかし、わざとらしく動作を大きくしてみても、なんとなく沈んでいく気持ちはまったく晴れてくれない。勢いがつくどころか、腕や足にまとわりつくような重さが強調されるだけだった。

頭が痛い。今日は夜から天気が崩れるらしいから、そのせいだろうか。どんよりと灰色の雲がたちこめている空を苦々しく見上げる。頬を撫でる風はなんだか生ぬるくて気持ちが悪い。これ以上ここにいてもかえって具合悪くなってしまいそうな気がして、僕はすぐにまた扉に手をかけた。鉄の扉はやけに重くて、体重をかけるようにして何とか押し開ける。階段も足を引きずるようにしてもたもたと降りていき、スタジオ室の方へと向かう途中


「どうします?藤澤さん、調子悪いんですかね」


スタッフさんの声が聞こえて僕は思わず足を止めた。スタジオ室の前の廊下で話している相手は元貴だった。僕は廊下の曲がり角の先で息を潜めてふたりの様子を窺う。


「どうって?」


「うーん、その、音源用意しますか?」


僕の頭にガンと鈍器で殴られたかのような衝撃が走った。音源。パートの問題で同時には演奏しきれないものや、会場の音響出力の関係などで、前もって演奏しておいた音源を流す場合がある。当日もこんな調子でミスを連発する可能性があるくらいなら、以前録っておいてある音源を流した方がいいだろうという判断は当然のことかもしれなかった。その場合、僕は弾くフリ、をすることになる。

でも、この曲は今回がみんなの前で演奏する初めての機会で。元貴と若井と、3人で音を合わせながらひとつの作品をステージで作り上げて披露する大切な日なのに。僕がこんなだから……。元貴がそれになんと答えるか聞きたくなくて、僕は咄嗟に踵を返した。

屋上へ上がる階段はさっきよりもずっと長いような気がした。それでも今「ここ」には居たくなかった。どこか別の場所へ逃げ出してしまいたかった。何かがまとわりつくように重たい足を必死に持ち上げて、持ち上げて。屋上に続くドアに寄りかかりながらそのノブを回した時、僕の息はすっかり上がっていた。息が苦しい。


「は、あっ……はっ……」


これくらいで息が上がるなんて尋常ではない。僕は何とか息を整えようと必死に口を開けて息を吸い込む。それなのに全然上手く呼吸ができないのだ。


「ひぅっ……、ひゅっ……」


喉の奥で細くて高い悲鳴のような音が鳴る。おかしいな。ほらちゃんと、息を吸って、吐いて。あれ、なんでこんなにタイミングが合わないんだろう。ちゃんとしなきゃ、なんて焦れば焦るほどどんどん分からなくなってしまう。酸素が、世界が、僕を拒絶しているみたいだ。そうだよね、こんな僕、誰が必要としてくれるというんだろう。不器用で、どんくさくて、ちゃんと弾けなくて、呼吸すらまともにできない。

こんな僕、要らない。

僕だって、要らない。

もう息なんて、したくない。


「涼ちゃん!」


元貴の声が遠くに聴こえた。その姿を探そうと思うけれど、なんだか視界がくらい。


「しっかり!誰かっ、涼ちゃんがっ」


元貴は泣きそうな声で叫ぶ。だめだよ、明日本番なのにそんな叫んだら。しかもここ屋上だし。

何か柔らかいものが唇に触れる。誰かの世界の欠片が僕の身体に流れ込む。本当はずっと望んでいたそれを、僕は縋り付くようにして求める。お願いもっと、僕に与えて。僕を必要として。


「ひゅ……っ、ひっ、く……」


僕の唇に触れていた柔らかなそれは元貴の唇で、僕に流れ込む世界は彼がつないでくれたもので。自分では扱いきれなくなってしまった世界に、彼が繋ぎ止めてくれようとしてくれる。唇が離れた途端に再び、喉の奥から引き攣るように悲鳴のような音がこぼれる。すると再び唇が押し当てられた。

いち、に。いち、に。僕の狂ってしまったリズムを修正するように、とん、とん、と背中を優しく叩きながら君は息をする。


「ふ、ぅあ……」


「涼ちゃんほら、俺の息に合わせて」


元貴は咄嗟に僕に息を吹き込む形で、僕に本来の呼吸のリズムを取り戻させたらしかった。いつの間にか真っ暗だった視界にはぼんやりと色が戻っている。ようやく自分で呼吸ができるようになった僕に、変わらずに唇を軽く触れさせたまま元貴は


「大丈夫?」


と聞いた。


「あ、うん……」


必死になっていて気づかなかったけれど、これって僕、元貴とキスしてるのと同じじゃないだろうか。めちゃくちゃ顔が近い。急に恥ずかしくなって、慌てて元貴の肩を押して身体を離す。


「ご、ごめん、なんか急に上手く息できなくなっちゃって」


元貴は僕の背中に添えた手を頑なに外さないまま、僕を見つめる。


「……良かった、過呼吸になってたんだよ。遅いからどうしたのかなって様子見に来て、そしたら涼ちゃんすっごい苦しそうで。俺の声なんか全然届いてないし、めちゃくちゃ怖くて、このまま涼ちゃんに何かあったらどうしようって」


その手は少し震えていた。元貴は必死になって僕を救ってくれたのだ。こんな僕を。キスしちゃった、だなんて不純な理由で動揺した自分が急に恥ずかしくて、殴ってやりたくなる。


「ごめん……ありがとう……」


あやまんないでよ、と元貴は僕にそのまま体重を預けるようにして抱きつく。彼の存在分の重みが僕にかけられて、まだどこか現実感がなくふわふわとしていた足元にしっかりと重力が機能する。


「何かあった?さっきのミス気にしてる?」


顔を埋めたまま、元貴が尋ねた。心の内を言い当てられて、僕はぐっと言葉につまる。


「……なんか、調子悪いみたい」


情けないよね、ごめんね。そう言って僕は苦笑してみせる。なるべく重たくなりすぎないように。元貴が決断に踏み切れるように。


「こんなんじゃ明日もミスしちゃいそう……明日せっかくのお披露目なのに僕が台無しにしちゃったら大変だから、今回、僕のパートは……」


ほら、僕から言い出したなら迷わなくて済むでしょう。大事な日を台無しにしてしまわなくて済むでしょう。だから、この提案に頷いて。


「僕の……パートは……」


言わなきゃいけないのに。頭ではわかっているのに。涙がぼろぼろとこぼれおちる。


「涼ちゃん、俺は認めないからね」


元貴が僕の背にまわした腕の力をぐっと強める。


「初めて披露する機会なんだよ、一緒に作り上げてくれないの」


堪えきれなくなった嗚咽が込み上げてきて、僕は子どもみたいにしゃくり上げる。


「だって、僕、今日ずっと、失敗してて、どうしよう……!明日も……。失敗したら、やり直せないのに……ッ」


どうしよう、そう言って泣きじゃくる僕の背中を彼は優しく、とん、とん、と決まったリズムでたたく。


「涼ちゃんが積み重ねてきたものは嘘じゃないでしょう、大丈夫だよ。俺知ってるもん。涼ちゃんがどれだけこれまでの間努力してきたか。もっと、自分に自信持ってよ」


彼の声は優しく、丁寧に、僕の身体を重たくしていた枷を外していく。


「それでも……怖い、ミスしたらって」


元貴は、何か考え込むように小さく唸る。


「そうだな……もしミスしたら、なに勝手にアレンジしてんだよっていじってあげる」


そしたら明るく笑ってよ、いつもみたいにね。にひひ、と彼はいたずらっぽく笑う。僕はその背に腕をまわして思いっきり抱きしめた。


「あのね、俺、涼ちゃんが好きだよ。どんな涼ちゃんも好きだけど、笑顔は特に」


僕の背中にまわされた彼の腕に込められる力が少しだけ強められた。




「涼ちゃん、これあげる」


いよいよ本番前。確認と緊張をほぐすためにひとりで部屋にこもり演奏をしていたところ、突如そのヘッドホンを外される。ぱっ、と上を向くと、元貴がなにやらプラスチックの包装に包まれた、質量のしっかりしたものを僕の額に置いた。


「ちょ、元貴~なにこれ?」


額のそれを手に取って目の前に掲げると


「バームクーヘン?」


「涼ちゃん本番前いつも甘いの食べるでしょ」


それは確かにその通りなんだけど。バームクーヘンは好きだけど、特にお気に入りとかではないし、最近食べたいとか話した覚えもない。元貴の気まぐれかな、と思いつつも彼がくれた事が嬉しくて思わず頬が緩む。


「ありがと~、へへ、さっそく食べようかな」


「そうしなそうしな~、会場入りしてからずっと弾いてるでしょ」


もしかして、僕がちゃんと休憩を取れるよう、あまり思い詰めすぎないよう気をつかってくれたのだろうか。大木の年輪みたいにぐるぐるとした模様のバームクーヘン。食べ切りサイズにカットされたそれは、その層がパッケージの上からもよくみてとれる。


「バームクーヘンってさ、一層一層生地塗って焼いて生地塗って焼いてを繰り返して作ってるんでしょ。なかなかの労力だよね」


「そうなんだ、すごいね……これ何層なんだろ」


いや、細かくて数えられないなぁ~なんて目を細めながらバームクーヘンをまじまじと見つめていたら、老眼のおっさんみたいだからやめてと笑われる。


「涼ちゃんみたいでしょ」


得意げに笑う元貴に、僕はえっ?と首を傾げる。すると彼はちょっと拗ねたように


「だーかーらー、涼ちゃんみたいでしょって。バームクーヘンの生地みたいに努力を重ねて今の涼ちゃんがいるんでしょ」


だからこれは験担ぎみたいなものなの、と彼は続ける。


「これは涼ちゃんの努力の積み重ねなのです。食べたら演奏もばっちり。ね、おもしろいでしょ。俺が意味無くこんなことするわけないじゃん」


「それはたしかに……さすが元貴……」


ほぅ、と思わず感心して息をついてから、目の前のバームクーヘンをふたたびまじまじと見つめる。そうか、元貴は僕みたいだと思ってわざわざこれを選んでくれたんだ。そう思うと、先程の嬉しさがさらに増してきて胸がいっぱいになる。


「食べるの勿体ないかも……」


そういって大事に両手でバームクーヘンをそっと包むと


「なんでだよ!験担ぎって言ってんだから食わなきゃ意味無いじゃん!」


元貴が呆れたように声を上げた。


「だって……元貴が僕みたいって……なんかかわいくて食べれない」


「訳わかんない、涼ちゃん食べないなら俺が食う!」


元貴がこちらにかけより、ぱっと僕の手元からそれを攫う。


「わっ、ダメっ、それ僕だよ!食べないで~」


「うわっ、なんかそう言われると食べたくないな」


どういう意味、なんて君を小づきながら笑う。あぁ、なんだか今日のライブはいいものになりそうだな、なんて僕は君の笑顔を見ながら思った。

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