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つけられている?
私が立ち止まると足音も止まる。歩き出すと足音も動きだす。私たちの他に通行人はいない。
気のせいじゃなくて絶対後を追われている!
背筋にぞくりとした寒気が走る。
怖くて仕方ない。心臓がドキドキと脈うち、手の平からは汗が滲みだした。
アパートまでが果てしなく遠く感じる。
強い恐怖に息苦しさを感じながら歩き続けた。あともう少しで右折する。
そうしたら一気に走って逃げよう……今だ!
バッグを抱え、最高の速度で駆け出そうとした。
けれど、昨日痛めた足首に激痛が走り、その場に倒れこんでしまった。
「……いたっ!」
早く逃げなくちゃいけないのに!
急いで立ち上がろとするものの、足に力が入らず上手くいかない。
焦る私の背後に、足音が迫って来た。
振り返るより先に肩を掴まれ、私は体を強張らせた。
あまりの恐怖に体が凍りついたように、悲鳴すら出て来ない。
どうすればいいの?
混乱する私の耳に、どこかで覚えの有る声が聞こえてきた。
「おい、どうしたんだ?!」
恐る恐る振り向いた私は、信じられない光景に目を見開いた。
片膝を着き私の肩に手を置いていたのは、二度と会いたくないと思っていた鷺森蓮だったから。
「……なんでここにいるの?!」
思わず叫ぶと、蓮は不快そうに顔をしかめた。
「私をつけてたでしょ? 何のつもり?」
恐怖は怒りに変わっていた。蓮をきつく睨みつける。けれど蓮の視線は私の顔ではなく足に向いていた。
「足を痛めたのか?」
質問を無視されたことで、私の怒りは更に増した。
「関係ないでしょ? それより何の用よ?」
苛立ちを隠しもせずに低い声で言うと、蓮は私の腕を掴み立ち上がらせた。
「触らないで!」
蓮の腕を勢いよく振り払う。
後をつけるような真似をした蓮にも、彼と気付かずに本気で怖がってしまった自分にも腹が立つ。
私は蓮に背中を向けて、痛む足に顔をしかめながらも歩き出した。
「待てよ」
蓮が後を追って来て、道を塞ぐ。
「何なの?」
「お前雪香の婚約者に会ってただろ、何をしてたんだ?」
その言葉に息を呑んだ。
「いつから、つけてたわけ?!」
「会社を出て来たところから、様子を見ていた」
「何の為に?」
後ろめたさなど少しも感じさせない蓮の態度に、苛立ちが募った。
「昨日の話の続きだ、お前が逃げ出したせいで途中だったからな」
見下したような目を向けて来る蓮を、私は怯まずに睨み返した。
「別に逃げて無いけど無礼な人と関わり合いたくないだけ……それからお前って呼ぶの止めてくれない? 他人にそう呼ばれるの嫌いだから」
一気にまくし立てると、蓮は眉を上げて面倒そうな溜め息を吐いた。
「……分かった、次からは名前で呼ぶ」
次なんて無いと思うけど。
意外にも素直に頷いた蓮を眺めながら、心の中で呟く。
「沙雪、佐伯直樹と何をしていたんだ」
蓮は躊躇う事なくそう言い、私は顔を強張らせた。
「おい、答えろよ」
「何でいきなり名前呼ぶわけ?」
蓮は意味が分からないといったような顔をした。
「お前って呼ぶなって言ったのは誰だよ」
「私だけど、名前を呼び捨てにしてなんて言ってない。倉橋と苗字で呼んで下さい、鷺森さん」
こんな人と慣れ合うつもりは一切ない。
私の気持ちを悟ったのか、蓮は警戒するようにスッと目を細めた。
「分かった……倉橋は佐伯直樹とは何を話したんだ?」
しつこく同じ質問をして来た蓮に、私はうんざりして溜息を吐いた。。
「雪香の話に決まってるでしょ」
私が歩き始めると、蓮も当たり前のように付いて来る。
「雪香の何を話した?」
「協力して雪香を探そうって話をしただけ」
なぜ、尋問のようになことをされないといけないのか。
「本当に、それだけか?」
「どういう意味?」
「佐伯直樹と随分親しく見えた。妹の婚約者って関係だけには見えなかった」
私は足を止め蓮をじっと見つめた。もしかして、私と直樹の関係を知らない?
雪香とかなり親密そうだから、事情は当然知ってるものだと思っていたけど。
蓮の様子をみる限り、わざと知らないふりをしているようには見えない。
でもどうして、雪香は蓮に話さなかったのだろうか。
「ねえ、昨日私と雪香の仲が良くないことを知ってるような口振りだったけど、その理由は聞いているの?」
小さな反応も見逃かさないように、蓮を見据える。
「は? 先に質問に答えろよ」
「先にそっちが答えたら、答える」
即答した私に、蓮は鋭い目を向けてきた。
それでも、言い合っても時間の無駄と判断したようだ。
「具体的な理由は聞いて無い。ただ長く離れていた双子の姉にひどく恨まれていると悩んでいて、最近は塞ぎ込む時間が多かった」
「どうして理由を聞かなかったの?」
「一度聞いたけど、雪香は言葉を濁した。言いたく無さそうだったから、追求しなかったんだ」
確かに、理由なんて言いたく無いに決まってる。
雪香が蓮を気に入っていたのは確かだし、マイナスイメージを与えるような事実は隠しておきたかったのだろう。
なんてずるい雪香。
薄い笑いを浮かべる私を、蓮は怪訝な表情で見た。
「何がおかしいんだ?」
「……別に」
私は蓮をチラッと横目で見ながら、短く答えた。
「おい、いい加減に聞いた事に答えろよ」
忍耐も限界に来たのか、蓮は低い声を出した。
ちょうどアパートの近くのコンビニエンスストアに着いたところだったので、私は足を止め蓮に向き合った。
「昨日から思ってたけど、そもそも雪香とはどんな関係なの? 直樹はあなたを知らないと言ってたけど、婚約者に言えないような関係?」
「お前……いい加減にしろよ、くだらないこと言ってないで早く答えろ」
本気で怒ったのか、蓮は凄みを見せる。鋭い目で睨まれ背筋が冷たくなる。それでも、私は引き下がらず強気で蓮を見返した。
「いい加減にするのはそっちでしょ? 自分がどれだけ非常識か分かってないわけ? いきなり絡んで来たり、後をつけたり。しかもちゃんとした身分も明かさない。そんな人の質問に答える理由は無いから」
睨みながら早口で言う。いざという時はコンビニエンスストアに逃げ込めばいい。
少しの沈黙のあと、彼は黒いコートのポケットから、何かを取り出した。
……名刺?何をするつもりなのだろう。不審感でいっぱいの私に、蓮はそれを差し出して来た。
「……何?」
「俺の名刺だ」
怪しく思いながらも受け取り、印刷された文字に素早く目を通した。
―鷺森 蓮―
シンプルな白の台紙にそれだけが印字されていた。
「なんなの、これ?」
「おま……倉橋が身分を明かせと言うから渡した。俺の名刺だ、これでいいだろ?」
私は即刻、蓮の名刺を突き返した。
「良くないし、更に印象悪くなったけど……何これ? 連絡先どころか会社名すら書いてないじゃない」
蓮は受け取らずに、顔をしかめた。
「連絡先は裏に書いてある。会社名が無いのは仕方ない、就職してないんだからな」
名刺をひっくり返すと、確かに携帯の番号とアドレスが記載されてた。
「後は何が聞きたいんだ?」
別に蓮について知りたくて言ったんじゃないけど。
そう思いながらも私の口は勝手に開き、蓮に疑問をぶつけていた。
「年は? 私より上に見えるけど就職してないのはどうして? それから雪香との関係は? 付き合ってたの?」
一気に投げられた私の質問に、蓮は淀みなく答え始めた。
「年は二十五。就職してないのは不動産収入なんかが有って働く必要が無いから。それから雪香との関係は幼なじみみたいなものだ。家が隣で、十年の付き合いになる」
雪香の幼なじみ……意外な答えに、少し驚いた。
二人の関係が、そんな健全なものだとは思っていなかった。
「他に質問は?」
考え込む私に、蓮が聞いてきた。
「雪香はどうして、あなたについて直樹に話さなかったの? 幼なじみなら隠す必要ないと思うけど。それから、こうまでして私に関わろとするのはなぜ?」
蓮は今度は少し考えてから答えた。
「雪香が俺のことを話さなかった理由は分からない。婚約者に隠すような後ろめたい関係じゃなかったからな」
「本当にただの幼なじみならね」
少し嫌みっぽく言うと、蓮はうんざりしたような表情になった。
「雪香とは、兄妹のようなものだ……それで、あんたにこうやって絡むのは雪香を見つけ出したいからだ」
「私をつけ回しても見つからないと思うけど。私だって雪香の居所が分からなくて困ってるんだから」
蓮は怪訝そうな顔をした。
「さっきから思ってたんだけど、なんで雪香を探す気になったんだ? 昨日は雪香が消えたのを喜んでただろ?」
「どうだっていいでしょ? とにかく私は雪香に何もしていない。私に絡んでも時間の無駄だから」
私は冷たく言い放った。
蓮の言葉の全てが真実とは思ってないけれど、雪香を探したい気持ちはきっと本当だと感じた。
本当に雪香は皆に大切にされている。
醜い感情が湧き上がるのを感じた。それを隠し不満そうな蓮を真っ直ぐ見据える。
蓮にばかり答えさせたから、不公平な気がして来ていた。少しだけ情報をあげなくちゃ。
「一つ教えてあげる、雪香と私が不仲な原因。直樹が原因なの……私達、彼を取り合って揉めてたの」
私の言葉に、蓮の顔色が変わっていく。
「妹の婚約者に手を出したのか?」
汚いものを見るように、顔を歪めて私を見る。
「最低だと思う?」
険しい顔をしたまま答えない蓮に、私は更に言い募る。
「でも、初めは雪香の婚約者だって知らなかったんだから仕方ないでしょ?」
「そうだとしても、分かった時点で身を退くべきだ……お前、最低だな」
軽蔑するように言う蓮を見ていたら、ひどく楽しい気持ちになって、私は声を立てて笑った。
「何がおかしい?!」
蓮が声を荒げる。私は笑うのを止め、蓮に答えた。
「だって、最低とか言うから……」
「あ?」
意味が分からないといったように、蓮が顔をしかめた。
「ねえ、あなたは今雪香を最低って言ったの……今の話は私と雪香の立場が逆なのよ。元々直樹と付き合っていたのは私なんだから」
その言葉を聞いた瞬間、蓮はショックを受けたように顔を強張らせた。
「そんなにショック? 雪香の本性を知って」
「……雪香も悩んだはずだ。簡単にあんたの彼氏を奪った訳じゃない」
「さっきは最低だって言ってたじゃない、雪香の場合は特別に許せるわけ?」
すぐにそう言い返すと、蓮は悔しそうにしながらも黙り込んだ。
「とにかく、私達の不仲が決定的になったのはそれが原因。私は雪香を許せないけど、失踪には関わってないから」
「……本当に何も知らないのか?」
蓮はしつこくも、まだ食い下がろとする。けれど、さっきまでの勢いは無くなっていた。
「知らない、だからもう付きまとわないで。雪香を許せないって言ったでしょ? 雪香と親しいあなたとも、もう顔を合わせたくない」
私は一気に言うと、蓮から数歩離れた。
「さようなら、鷺森さん」
愛想の欠片もなく言うと、私は急ぎその場を立ち去った。