テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
『記念日勝負、お弁当の中身は命の等価』~a×s~
―”今日はなんの日”クイズに命をかける俺たちの話。
Side佐久間
目覚ましが鳴る少し前に、俺は目を開けた。
隣で寝ている阿部ちゃんはまだ夢の中で、穏やかな寝息を立てている。
呼吸のリズムが落ち着いていて、ちょっとだけ口が開いているのが、なんだか可愛い。
俺が先に目を覚ましていること、多分阿部ちゃんは気づいていないと思うけど、毎朝こうやって見るのが密かな楽しみだったりする。
そして、俺はこの瞬間に誓うんだ。
今日こそ勝つって。
俺たち、付き合って同棲してからもうすぐ半年になる。
平日の朝はだいたい決まったリズム。
一緒に起きて、一緒に朝ごはん食べて、玄関で「いってらっしゃい」のハグして出勤。
……けど。
この穏やかな毎朝に、たったひとつだけ異常なまでの緊張感がある。
それが――
「”今日はなんの日”記念日クイズ」だ。
ルールはシンプル。
朝食後、阿部ちゃんが「今日は何の日でしょう?」って出題して、俺が正解できたらその日のお弁当が”ごちそう仕様”になる。
外したら、白ごはん+梅干し1個だけの”敗者仕様”。しかもおかずもデザートもなし。
この戦いが始まったのは、3ヶ月前。
きっかけは、阿部ちゃんが何気なく「今日は〇〇の日らしいよ~」って言ったことだった。
「へぇ~」なんて気のない返事したら、「じゃあ、明日も言うから当ててみて?」って。
そこから、なぜか火がついた。
今では、俺、全日本記念日協会の公式サイトをブックマークして、毎晩見てから寝るほどの本気度だ。
だって、お弁当が愛情の証だって思ったら、全力で勝ちにいきたいじゃない?
キッチンから、阿部ちゃんが朝ごはん作っている音がする。
ベーコン焼く匂いとパンの香ばしい香りが部屋に広がって、鼻をくすぐる。
俺も準備してリビングに向かうと、テーブルにはホットサンドと目玉焼き、フルーツまできれいに並べられていた。
「おはよう、佐久間」
「おはよう、阿部ちゃん。今日も完璧だね~!」
笑顔で言うと、阿部ちゃんもふわっと笑って、「はい、じゃあ今日もやりますか~」と例の勝負の合図。
きたきた。勝負の時間だ。
「佐久間。本日7月1日は何の記念日でしょう?」
阿部ちゃんの目が細められて、ちょっとだけ挑戦的に光っている。
俺は深呼吸して、記憶の棚を開く。
7月1日……えーと、7月最初の記念日。えーとえーと……
「……国民安全の日、かな?」
数秒の沈黙。
阿部ちゃんが俺をじっと見て、口元をきゅっと引き締めている。
やばい。これ、正解か間違いかのどっちかだ。どっちかって、そりゃそうだけど!
「……正解。すごいなぁ、佐久間」
「やったぁぁぁあああ!!!!!」
思わず立ち上がりそうになるのをぐっと堪えた。
危うくホットサンドひっくり返すところだった。
阿部ちゃんが肩を揺らして笑って、「じゃあ今日は約束通り、ハンバーグ弁当にしようか。デザートは梨と杏仁豆腐つけておくね」と言いながらキッチンへ戻っていった。
「うわぁぁ~! 阿部ちゃん大好き!!」
背中に向かって言ったら、阿部ちゃんがちょっとだけ顔赤くして「うるさい」とか言っていたけど、絶対喜んでいるの知っている。
そのとき、阿部ちゃんがふっと声のトーンを落として言った。
「……近いうちに、俺が作った”幻の記念日”出すから、覚悟しておいてね」
「え!? 幻って何! 公式に載っていないのはアウトでしょ!? ルール違反だよ!」
「ふふ。でも佐久間なら当てると思うんだよね」
くぅ~~~~。
この信頼が地味にプレッシャーなんだよ。けど、それがまた嬉しい。
昼休み、職場のデスクで、俺はそっと弁当箱を開けた。
ふわふわのハンバーグに、半熟卵、ツヤツヤのごはん。
ブロッコリーとプチトマトのバジルソテーに、フルーツタッパーには梨と杏仁豆腐。
最高か? これが勝者の味か。
同僚に「それ手作り? めっちゃ豪華…!」って言われて、ちょっと誇らしげに答える。
「うん、毎朝クイズ勝ったら豪華になるんだ。うちの彼氏との戦いなんだ」
「彼氏、めっちゃ料理うまいね。で、何のクイズ?」
「”今日は何の日”クイズ」
「え……マニアックすぎない?」
……だよね?
でも、俺たちは本気でやっているんだ。
365日分、全部愛の糧だから。
明日は「たわしの日」と「クレジットカードの日」……どっちで来るだろう。
阿部ちゃんのことだし、ひっかけてくる可能性もある。
でも俺は、絶対に負けない。
このお弁当のために、阿部ちゃんの愛のために、明日も正解をもぎ取ってみせる。
―――――――――――――――――
翌朝、空気が少しだけ違っていた。
いつもと同じように目を覚まして、隣を見ると、阿部ちゃんは既に目を開けていた。
珍しいな、いつも俺のほうが先に起きるのに。
「おはよう、佐久間」
低くて優しい声。
それだけで一気に目が覚める。
「おはよう、阿部ちゃん……って、もう起きていたの?」
「うん。今日はちょっと、特別だから」
阿部ちゃんの言葉に、俺は一瞬身構えた。
まさか――来るのか? 幻の記念日。
キッチンに立つ阿部ちゃんの背中が、なんだかいつもより堂々としている気がした。
ベーコンがジュウと鳴る音、トースターからパンの焼ける匂い。
ああ、胃がキリキリする。
これは、まさに戦いの朝だ。
テーブルにつくと、阿部ちゃんがパン皿をそっと置いて、俺の目をまっすぐ見た。
「今日は特別ルール。ヒントはなし。答えられなかったら……白ごはんと梅干しのみです」
「うっわぁ……マジでやるんだ、幻の記念日……」
「うん。俺が勝手に考えた、”ふたりだけの記念日”」
阿部ちゃんがふっと微笑む。その顔は、正直、ずるい。
かっこよくて、優しそうで、でもちょっとだけいじわる。
「じゃあ、いくよ。本日7月2日は……”俺たちの特別な記念日”です。何の日でしょう?」
“俺たちの特別な記念日”――その響きに、心臓がどくんと跳ねた。
なんだろう。7月2日。
カレンダーにハートマークなんかつけていないし、ふたりで何かした記憶も……え?
「えーっと……初めて、阿部ちゃんが俺の部屋に来た日……?」
「ブー」
「……えぇ~~~……じゃあ、初めてふたりで観覧車乗った日とか……?」
「ぶっぶー」
「じゃ、じゃあさ、阿部ちゃんが初めて”佐久間”って下の名前で呼んでくれた日!」
「惜しいけど……ちょっと違うかな」
くぅぅ~~~~! 惜しいって何だよ!
せめて方向性くらい教えてくれたっていいじゃない!
阿部ちゃんは黙って、朝食の後片付けをして、お弁当箱に白ごはんと梅干しを詰めている。
その背中がなにより答え合わせだった。
――俺、今日は、負けた。
職場の昼休み。
俺は机の上でお弁当を開けた。
つやつやの白ごはんの真ん中に、ぽつんと梅干しひとつ。
完敗。
思わず、うつむいて「梅干しってこんなに主張強かったっけ……」と呟いてしまう。
まるで、「今日は愛を勝ち取れなかったんだね」って言われているみたいだ。
周りの同僚は、チキン南蛮だのオムライスだの、わいわい楽しそうにお弁当を広げている。
それを横目に、俺はもそもそと梅干しを端によけて、ごはんだけ食べる。
口の中が寂しい。
胃よりも、心の方が空腹だ。
箸を止めて、スマホを手に取り、「7月2日 記念日」と検索してみた。
でも出てくるのは「うどんの日」とか「たわしの日」とか、なんのロマンもない記念日ばっかり。
違うんだ、そういうことじゃないんだ。
阿部ちゃんが言ったのは、”ふたりだけの記念日”。
俺は箸を握ったまま、ひたすら記憶をさかのぼった。
初めて出会った日。
初めて手を繋いだ日。
初めてキスした日。
初めて喧嘩した日。
初めて同じ毛布で寝た日。
初めて、「ただいま」と「おかえり」を交わした日。
そのどれもが、愛おしくて、ちゃんと覚えているつもりだった。
でも、今日の”正解”だけがわからない。
くっそー……!
阿部ちゃん、なんでこんな難問ぶつけてくるんだ……。
俺は弁当箱をそっと閉じて、心の中で呟いた。
(絶対、今日中に思い出す。次の朝は、俺が勝つ)
白ごはんだけの昼食でも、俺の脳内はフル回転だった。
何があった? 7月2日って、一体何が……?
俺の”敗者仕様”の弁当は、次へのリベンジを誓う起爆剤になった。
明日の朝――絶対リベンジだ。
幻の記念日、阿部ちゃんが笑うその理由を、俺は突き止めてみせる。
――――――――――――――――
会社の帰り道、夕焼けに染まった駅前の風景をぼんやり眺めながら、俺はずっと考えていた。
――7月2日。
幻の記念日。
阿部ちゃんが、「ふたりだけの特別な日」って言った、あの意味。
ヒントもなしで、俺にだけ分かってほしいって、きっとそんな気持ちだったんだろうに、俺は……正解できなかった。
梅干し1個の弁当。
あれはただの罰じゃなくて、「思い出して?」っていう、阿部ちゃんからのメッセージだったのかもしれない。
「……くそ、思い出せない……」
なんでだ。
俺はちゃんと全部覚えていたつもりなのに。
駅の改札を抜けて、家までの道を歩く。
薄暗くなった住宅街の中、ぽつぽつと灯りのついた窓。
それぞれの家に、それぞれの生活があって、きっとその中にも小さな記念日があったりするんだろうなぁ……なんて、柄にもなく感傷的になってしまった。
玄関のドアを開けると、ほのかに香るカレーの匂い。
靴箱の上には、阿部ちゃんのキーケース。
リビングからは、テレビの音と、鍋の煮える音。
「ただいまー……」
「おかえり、佐久間」
その声が、なんだかいつもより優しくて。
振り返った阿部ちゃんが、エプロン姿のまま、ゆっくり俺の方に歩いてくる。
「疲れた?」
「うん、まぁ……今日はさすがに梅干しでメンタルやられた」
俺が冗談ぽく言うと、阿部ちゃんは少し眉を下げて、「ごめん、ちょっと難しすぎたかな」って笑った。
「本当になんなの、あの幻の記念日。俺、ずっと考えていたんだよ?」
「……そう?」
「電車の中でも、エレベーターでも、職場のトイレの中でもずっと。ヒントもなしで正解しろって、なかなかだよ?」
阿部ちゃんはソファに座り、俺の隣をポンと叩いた。
「佐久間、座って」
言われるままに腰を下ろすと、阿部ちゃんはちょっとだけ顔を近づけてきた。
「ねぇ……”ありがとう”って、いつ俺に言ったか覚えてる?」
「え……?」
「ちゃんと、まっすぐな声で、”ありがとう”って。気遣いとか照れとか抜きで、素直に言った日」
一瞬、時間が止まった気がした。
俺の記憶が、ぱっとその瞬間に引き戻される。
夏の始まりのあの日。
まだ付き合いたてで、俺が風邪ひいてダウンして。
高熱でぐったりしていたベッドの横に、阿部ちゃんが一晩中付き添ってくれて。
アイスノンを替えてくれて、ポカリをストローで飲ませてくれて、朝方になって少し熱が下がった頃――
「……俺、あのとき、阿部ちゃんにちゃんと、”ありがとう”って言った……」
「うん」
「しかも、”俺、この人と一緒にいたい”って、思った日だ……」
「それが、7月2日。俺の中では”ありがとう記念日”なの」
阿部ちゃんが、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「佐久間が俺のこと、ちゃんと頼ってくれて、ちゃんと感謝してくれて、なんかもう……心から嬉しくて。”あ、この人とずっと一緒にいたい”って思った日」
「……」
胸がじわっとあたたかくなった。
あの時、確かに俺は言った。
“ありがとう、阿部ちゃん”って。
かすれた声だったけど、気持ちだけはまっすぐに込めた。
なのに、俺、その日を”勝負”の中で忘れていたんだ。
一番、大事な日だったのに。
「ごめん……」
「なんで謝るの?」
「阿部ちゃんが、そんな大事にしてくれていた記念日、俺、思い出せなかった。情けないよ……」
「違うよ、佐久間」
阿部ちゃんが、そっと俺の手を取った。
「思い出したじゃん。ちゃんと。誰かに教えられたんじゃなくて、自分で思い出してくれた。だから、それが一番嬉しい」
……阿部ちゃんって、やっぱりずるい。
優しすぎて、俺の全部、包み込んでくれる。
俺はぎゅっとその手を握って、小さく呟いた。
「……俺、来年は絶対この日、忘れないから」
「うん。でも、忘れてもいいよ? そのときはまた、俺が教えてあげる」
「いやだ。絶対に忘れない。だって今日は、”阿部ちゃんにありがとうを言った日”であり、”俺が阿部ちゃんをちゃんと好きになった日”でもあるから」
そう言うと、阿部ちゃんが笑った。
いつもの、あったかくて、ちょっと恥ずかしそうな笑顔。
その晩のカレーは、優しくて、少し甘くて、思い出がじんわり染み込んでいるような味がした。
幻の記念日は、確かにあった。
でもそれは、幻なんかじゃなくて――
俺たちの、一番大切な気持ちの原点だったんだ。
そう気づいた瞬間、肩の力がふっと抜けて、気づけば俺は阿部ちゃんの胸に顔をうずめていた。
あったかくて、落ち着く匂い。
深く息を吸い込むと、心の中のざわざわが、ゆっくり溶けていく。
阿部ちゃんは黙って、俺の背中に腕を回してくれていた。
包み込むみたいに。
急かすことも、茶化すこともせず、ただ、そっと。
「佐久間ってさ」
不意に耳元で低くて柔らかい声が響いた。
「すごく頑張り屋なんだよね。いつも、なんでもちゃんと覚えて、気づいて、努力して……でも、忘れたっていいんだよ。俺は、佐久間がそばにいてくれるだけで、うれしいんだから」
その声が、心にじんわり染みた。
俺は顔を上げて、阿部ちゃんの目をまっすぐ見つめた。
「……そんなふうに言われたら、がんばっていた自分が報われた気がする」
「うん、報われてほしい。俺、知っていたもん。今日一日、ずっと悩んでいたでしょ?」
「バレていたかぁ」
阿部ちゃんがくすっと笑って、俺の髪を軽く撫でた。
「バレバレ。佐久間、分かりやすいんだもん。梅干し弁当のときは、だいたい午後から”むぅ……”って顔になるよね」
「ちょ、観察しすぎでしょ!? そんな顔していた……?」
「うん。していた。可愛かった」
あかん。
また不意打ちで”可愛い”とか言う。
何回でも照れてしまうけど、何回でもうれしい。
「俺、阿部ちゃんに”ありがとう”って言った日をちゃんと記念日として覚えていたら、朝からあったかいお弁当食べられたんだなぁ……」
「でもさ、佐久間がちゃんと思い出して、俺の前で”あのときありがとう”ってもう一回言ってくれたの、すごく特別だったよ」
「……本当?」
「うん。だって、俺が佐久間のこと好きだって確信した日だったんだよ?」
その声があまりにも優しすぎて、胸の奥がぎゅっとなった。
「佐久間が、俺に”ありがとう”って言ったあの日。体調悪くてしんどいのに、俺に笑ってくれて。俺、うれしくてたまらなかったんだ。ああ、この人ともっと一緒にいたいって、初めて心から思った日だったんだよね」
阿部ちゃんがぽつりぽつりと話すたびに、俺の中の風景が蘇ってくる。
熱でうなされて、夢の中みたいな意識の中。
冷たいタオルを額に当ててくれた手。
枕元で本を読み聞かせてくれていた声。
「阿部ちゃん……」
「ん?」
「阿部ちゃんってさ、本当に……俺にとって、いちばんだよ」
その言葉がこぼれた瞬間、阿部ちゃんの表情がふわっとゆるんだ。
まるで、ひまわりみたいに明るくて、やさしくて、あったかい笑顔。
「俺もだよ。佐久間が一番。何よりも、ずっと大事だよ」
そう言って、阿部ちゃんが俺の手をとって、指先を絡める。
指の温度が、ぴたっと重なる感覚。
手のひらの小さな面積に、全部の想いがぎゅっと詰まっている。
「来年も、7月2日になったら、佐久間に言わせるつもりだったんだ」
「えっ、なにを?」
「”ありがとう”って、もう一回聞きたかったの。1年に1回、ふたりだけのありがとうの日。だから、”幻の記念日”って名前つけたんだよ」
「……やばい……阿部ちゃん天才かもしれない……」
「でしょ?」
「でもそのネーミング、ちょっとズルいな……。それ聞いたら絶対忘れられないじゃない」
「ふふ。じゃあ、来年はどうしようか。クイズにする? それとも、俺が”今日は覚えてる?”って聞こうか?」
「うーん……どうしよう。でも……」
俺は少しだけためてから、阿部ちゃんの目を見て、静かに言った。
「来年も、再来年も、その先も、毎年”ありがとう”って俺から言わせて。俺のほうから、ちゃんと、言いたい」
「……うん、うれしい。それ、ぜんぶ録音して保存したいくらいだよ」
「やめてよ、恥ずかしいじゃん!」
笑いながら、ソファに並んで肩を寄せ合う。
リビングにはカレーの香りがまだほんのり残っていて、テレビの音はいつの間にか消えていて、静かな夜がふたりを包んでいる。
阿部ちゃんが俺の頭にぽんと手を置いて、小さな声で囁いた。
「佐久間。今日もありがとう。……大好きだよ」
「俺も。阿部ちゃん、大好きだよ」
今度は、ちゃんと伝えられた。
「ありがとう」と「だいすき」を、まっすぐに。
記念日って、特別な日だけど――
それを一緒に覚えていたいって思える人がいることの方が、
きっとずっと、特別なんだと思う。
──そんなふたりの、静かで、甘い夜。
END
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!