数時間後
吉高の家にタクシーで乗り付けた大智はその隣家を訪ねた。
「ごめん下さい」
「はーい」
「弁護士の仙石です」
「はいはいはい、ちょっと待ってね」
インターフォン越しに慌てた様子の年配女性は明穂が使っていたデジタルカメラを持って玄関先に顔を出した。
「もうね、使い方が難しくて」
「ありがとうございます」
数日前、大智はこの近隣住宅を訪ね歩き吉高の家に若い女性が頻繁に出入りしている事を確認した。ただ新興住宅地という土地柄若い世代が多く昼間から夕方に掛けて皆家を空ける。困ったなとゴミステーションで考えあぐねていると上手い具合に吉高の隣家に年配の女性が居ると耳にした。
「すみません」
「どちら様ですか?」
「こういう者です」
金の弁護士バッジを付けた大智が破壊的に見栄えの良い笑顔でお辞儀をし、佐倉法律事務所の名刺と菓子折りの箱を手渡したところ年配の女性はいとも簡単に大智を家の中へと招き入れた。
「そうなのよ《《あの声が煩くて》》」
「心中お察し致します」
そこでデジタルカメラを手渡した。その若い女性が吉高の家に入る場面を密かに撮影して欲しいと依頼した所、紗央里が玄関の鍵を開ける場面と迎え入れる吉高の笑顔が鮮明にSDカードに収められていた。
「ここを回したら赤いランプが点いて写真が撮れなかったの」
「ありがとうございます!」
「え、それで良かったの?」
「はい!」
数枚の画像の他に紗央里が吉高と言葉を交わしながらBMWに乗り込み口付けを交わす動画が撮影されていた。次々と容易く手に入る切り札に大智は笑いが止まらなかったがその反面、実兄の愚かさに腹が立ち情けなくなった。
(父ちゃんと母ちゃんになんて言えば良いんだ)
次に大智は吉高の家の玄関扉に鍵を差し込んだ。
玄関ポーチに足を踏み入れると|陰鬱《いんうつ》な空気が漂っていた。洗濯機の傍に置かれたカゴには生乾きのバスタオル、台所のシンクにはインスタント麺が貼り付いた鍋がタライに沈んでいた。リビングテーブルには飲みかけのビールや缶チューハイが放置され小蝿が飛んでいる。
(ーーー最悪だな)
紗央里もこの家に来た当初は吉高の洗濯物を畳んでいたが本性を表し家事などは一切せず始終2人で性行為に耽って居るのだろう。人としての理性の欠片も無い|落魄《おちぶ》れた吉高に|怖気《おぞけ》がした。
(犬畜生、動物以下だな)
埃が溜まった階段を上ると寝室の扉を開けた。栗の花の匂い、性液特有の臭いがシーツに絡まり触れる事さえ|憚《はばか》られた。
(見つからなかったか。てかこんな物があるなんて思ってもいねぇんだろうな)
大智は結婚式のフォトフレームを退かして録画機能付きのペット用見守りカメラを取り出した。撮影された内容は到底直視出来ず大智は顔を背け、ウエディングフォトフレームをそっと伏せた。
明穂はMRI検査、CTスキャン検査と立て続けに検査を受け|疲弊《ひへい》しきっていた。白い天井を眺めていると母親が手を握り「お医者さまの説明を受けて来るからね」と席を外した。
(大智、どうしたかな)
寝返りを打つと暫くして|踵《かかと》を引き|摺《ず》る聞き覚えのある足音が近付いて来た。明穂の心臓は締め付けられこめかみの血管が脈打った。病室の引き戸を開ける音、ベッドを囲うカーテンがゆっくりと捲られた。
「明穂、大丈夫か」
「ーーーー!」
吉高だった。ここ2日《《学会に行って不在にしていた》》ので明穂が怪我で救急搬送された事や入院している事を知らなかったと言った。いつもの有りもしない学会の言い訳に明穂はどれだけ自分が軽んじられているのかと悲しくなった。明穂は窓に顔を向けたまま吉高を見遣る事は無い。
「明穂、実家はどうだ元気だったか」
(そんな事、思ってもいないくせに)
「いつ帰って来るんだ」
(紗央里さんが居る家に帰ると思ってるの?)
「どうした、傷痛むのか」
明穂は肩肘を突くと半身起き上がり吉高を睨み付けた。そこには明穂が見た事のない顔が薄ら笑いで立っていた。
「なにしに来たの」
「なにって見舞いだよ」
「妻が救急車で運ばれたら家族に連絡がいくんじゃないの!」
「ごめん、携帯電話の電源が入っていなかったんだ」
「お医者さまなのに!」
「仕事とプライベートは分けたいんだ」
「今までそんな事なかったじゃない!」
吉高は明穂へと手を伸ばすとその肩に触れた。
「やめて!」
「どうしたんだよ」
「触らないで!」
明穂は枕を握ると吉高に投げ付けた。ただそれは吉高を|掠《かす》めただけで呆気なく床に落ちた。
「なに怒ってるんだよ」
「なにってーーーー!」
そこで明穂は大智にきつく言われた事を思い出した。「吉高が来ても不倫の事は話すな、絶対だぞ」明穂は罵詈雑言を吐きたいところをグッと飲み込んだ。
「あき、ほ」
頃合い悪く母親が扉を開け表情を凍り付かせた。
「お母さん!駄目!」
「あ、うん」
「お義母さんお久しぶりです」
「ご無沙汰してます」
「明穂がお世話になり申し訳ありません」
吉高は平然とした振る舞いで軽く会釈をした。
「い、いいえ、明穂が居ると家の中が明るくて」
「そうですか」
やはり気不味いのだろうか、吉高は母親の目を見る事なく踵を返した。
「それではまた」
「お仕事、頑張って下さいね」
「はい、お邪魔しました」
病室の引き戸が閉まり母親が振り向くと明穂は唇を噛み涙を流していた。
「明穂」
「お母さん、ごめんね」
「なんで明穂が謝るの」
「私の目が見えたらこんな事にはならなかったかも」
「そんな事ないわよ」
「だって、目が見えない奥さんなんてつまらないでしょう?」
母親は明穂の手を握りながら涙声で語り掛けた。
「明穂の目が見えなくても心配してくれる人がいるでしょ?」
「大智の事?」
「大智くんはずっと明穂の事を考えてくれているじゃない」
「うん」
病室の廊下には幾つかの証拠をかき集めて来た大智が明穂と母親の遣り取りに傍耳を立てていた。
「中学生の時、デジタルカメラを買ってくれたでしょ?」
「うん」
「大智くんと一緒に同じ景色を見たんでしょ?」
「うん」
「大智くんがいるじゃない」
「うん」
「大丈夫よ」
「うん」
大智は吉高の心無い仕打ちに激しい怒りを覚え拳を強く握った。
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