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#太刀川慶
さんま
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コメント
1件
さんまさん、第1話読みました!犬飼くん視点でずっと胸が締め付けられる感じ…。煙草のライターの音が2年前の記憶を呼び起こす演出、すごく好みです。「届かないラブソング」って言葉が刺さりすぎて泣きそうになったわ。鳩原ちゃんの笑顔の裏にあった孤独に気づけなかった後悔とか、それでも彼女を探しに行こうとする決意、めっちゃグッときた。続きが気になって仕方ない!次話も楽しみにしてます🔥
静寂を切り裂くようにライターの小さな金属音が響いた。親指の先で弾かれた火花が、細いタバコの先端を赤く染める。ゆっくりと息を吸い込むと、肺の奥を焦がすような苦味と、ほんの少しの人工的なミントの香りが喉を焼いた。
「……うわ、にが。やっぱりまだ慣れないな、これ」
誰に聞かせるでもない独り言が、口から溢れた白い煙と一緒に夜風へ溶けていく。
三門市の夜は、いつだって驚くほど静かだ。時折、大通りを走る車のエンジン音が遠くで聞こえるくらいで、防衛都市としての物々しさは深夜の帳にすっかり覆い隠されている。
20歳になった。その響きには、10代の頃に抱いていたような特別な輝きなんてこれっぽっちもなかった。少年法の手から零れ落ち、自分の行動のすべてに「責任」という退屈な二文字が付きまとうようになっただけだ。変わったことといえば、コンビニのレジで年齢確認のボタンを堂々と押せるようになったことと、自分の小遣いで合法的に煙草が買えるようになったことくらい。初めて買った煙草の銘柄は、ただパッケージの青色が綺麗だったから、というそれだけの理由で選んだものだ。
アパートの狭いベランダの手すりに両肘を預け、冷え込んできた夜空を見上げる。視界の端には、夜通し街を照らし続けるボーダー本部の鋭い白い光と、不夜城のようなネオンの群れ。その人工的な光のせいで、三門市の空には星なんてろくに身を潜めている。
「……まぶしいんだよな、ホント」
ぽつりと言い訳のようにつぶやく。けれど、本当は知っている。おれの目を眩ませて、この夜空から星を奪い去っていったのは、街の明かりなんかじゃない。
2年前、この街から、おれたちの目の前から、忽然と姿を消した一人の女の子だ。鳩原未来。彼女が密航というボーダー最大の禁忌を犯して近界へ消えてから、丸2年が経った。18歳だったおれは20歳になり、大学生になった。髪型も少し変えたし、二宮隊としてのランク戦の戦い方も、あの頃よりずっと狡猾で、上手くなった。周りの環境も、おれ自身も、少しずつ大人の階段を上っている。それなのに、彼女の時計だけが、あの日の夜で止まったままだ。携帯の画面を光らせると、SNSのタイムラインには同期たちの他愛のない日常が流れている。大学の講義の愚痴、新しくできた彼女の自慢、今度行く飲みの誘い。みんな、前を向いて生きている。
ボーダーの内部では、彼女の名前は完全にタブーとなった。表立ってその名前を口にする奴はもういない。まるで、最初からそんな人間は存在しなかったかのように、世界は綺麗に回り続けている。だけど、おれの心の中のプレイリストには、あの頃彼女と交わしたどうでもいい会話や、射撃訓練場に響いていた重い銃声が、終わらないリピートで流れ続けている。
『犬飼くんは、どうしてボーダーに入ったの?』
いつだったか、作戦室で二人きりになったとき、彼女がそんなことを聞いてきた。資料をめくる手を止めて見上げてきた彼女の瞳は、いつも通りのんびりとしていて、どこか危ういほどに澄んでいた。
『んー、なんとなく?カッコいいし、女の子にモテそうだからさ』
嘘ではないけれど、本質でもない適当な答えを返したおれに、彼女は『ふふ、犬飼くんらしいね』と、困ったように、でも愛おしそうに笑った。あの笑顔の裏で、どんな地獄のような決意を固めていたのか、当時のおれは気づきもしなかった。人を撃てない狙撃手。そんな致命的な弱みを抱えながら、それでも誰かを救うために、彼女はすべてを捨てて門の向こうへ飛び込んだ。その背中があまりにも眩しくて、真っ直ぐで、おれは自分の凡庸さに吐き気がしたのを覚えている。置いていかれた、と思った。これっぽっちも引き止められなかった。それが悔しくて、情けなくて、今でも胸の奥がチリチリと燻ぶっている。
「今どこで、何してんのさ、鳩原ちゃん」
二本目の煙草に火を点ける。またあの音がした。この音が、おれをあの2年前の夜へ引き戻すトリガーのようだ。もしあの時、彼女の異変に気づいていたら、おれは彼女の手を掴んで、泥縄にでも縛り付けて引き留めただろうか。……いや、きっと出来なかった。だって、あの時の彼女は、どんな星よりも綺麗に輝いていたから。その光に気圧されて、おれはただ目を細めて、彼女が遠ざかっていくのを見送るしかなかったはずだ。
「おれも、ユズルくんもさ、みんなおまえのことばっかりだよ」
二宮隊は今も、彼女の影を引きずったまま走っている。ユズルは彼女を連れ戻すために必死で遠征部隊の枠を狙っている。おれは銃手だから、狙撃手であるユズルから訓練の誘いなんて連絡が来ることはない。あいつはあいつの領域で、独り静かに、狂ったように牙を研いでいる。みんな、おまえに狂わされたままだ。そしておれも、その狂気から抜け出せない一人だった。煙草の灰が、夜風に吹かれてハラハラと落ちていく。遠征に行く計画は進んでいる。おれがその切符を掴めるかどうかは分からない。またA級に上がれるかどうかも、上層部がおれたちをどう評価するかも、すべては不確定だ。だけど、もし、万が一。何年かかってでも、おれがそっち側へ行って、ボロボロになったお前を見つけ出したら。その時は、思いっきり文句を言ってやる。おまえのせいで、おれの青春の夜空には星が一つも見えなかったんだって。おまえが眩しすぎたせいで、おれは未だに、暗闇の中で足踏みをしたままだって。
「……あーあ。ホント、バカみたい」
冷たい風が、20歳のおれの頬を通り抜けていく。手元で燃え尽きようとする煙草の熱が、指先にじりと伝わってきた。現実に引き戻されるその瞬間が、たまらなく嫌いだ。夜風に吹かれながら、ぼんやりと過去の記憶を遡る。鳩原ちゃんは、おれが何を言っても怒らない人だった。カゲがどれだけ荒れていても、ユズルくんがどれだけ生意気でも、いつも柔らかい毛布みたいにおれたちを包んでいた。だけど、その毛布の裏側には、誰の手も届かない冷たい孤独が隠されていたんだ。それを暴けなかった自分が、今でも少しだけ許せない。携帯の画面を閉じる。再び訪れた暗闇の中で、おれは携帯灰皿に煙草を押し付けた。門の向こうの君へ。届くはずのない最低のラブソングを、おれは今夜も、胸の奥で歌い続けている。おまえがまぶしいから、おれは今日も星が見えないままだ。それでも、この暗闇を泳いで、おれはおまえを探しに行くよ。
煙の消えた夜空は、どこまでも冷たく、ただ青かった。