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鋏の音が、小さく部屋に響いた。
ちり、と。
また一房、黒髪が畳の上に落ちる。
誠は、鏡の前に正座したまま、黙ってそれを見つめていた。
腰まであった髪は、肩の下まで短くなり、女の面影を少しずつ失っていた。
障子越しに、夜明け前の光が差し込む。
この家で迎える最後の朝になるかもしれないーーそう思うと、胸の奥がざわついた。
母の形の櫛を膝に置く。
本当は最後に一度、梳きたかった。
だが、今の誠には、未練すら邪魔に思えた。
ーー戻れない。
その思いが胸を締め付け、呼吸が苦しい。
それでも、誠はもう一度、鋏を握り直す。
ざくり。
ためらいはなかった。
いや、ためらう時間を与えなかった。
畳の上には、女の髪はほとんど残っていない。誠はゆっくり立ち上がり、古い旅装束に袖を通した。
胸をさらしで押さえ、帯を強く締める。
鏡の中の自分は、もう【娘】ではなかった。
そこに立つのは、鋭い目をした浪人風の少年ーーいや、もう自分を女として認めてはいない。
「……これでいい」
声は低く、他人のように聞こえた。
膝の上の父の脇差を手に取り、鞘を払う。
刃は澄んでいて、どこか誠を待っているように思えた。
「あなたの代わりに……私が行きます」
誰に向けた言葉かは分からない。だが、言わずにはいられなかった。
戸を開けると、冷たい朝の空気が頬を打つ。
一歩外に出る。
その瞬間、背中にあった逃げ道が音もなく消えた気がした。
向かう先は京都。
壬生浪士組の浪士募集。
女である事を捨て、男として生きるための、最初の一歩。
東海道を西に向かう道は、思っていた以上に長かった。
草鞋はすぐに擦り切れ、足の裏には豆ができた。
だが立ち止まる理由はない。
茶屋や宿で浪人たちの噂を聞く。
「京で浪士を集めているらしい」
「腕があれば身分は問わぬとか」
「壬生浪士組、というらしい」
胸の奥がわずかに高鳴る。
ここで、自分の人生は大きく変わるーー
やがて京都に入り、壬生の屯所の前に立つ。
すでに多くの浪士が集まっていた。
張り紙にはこうある。
ーー浪士募集
ーー剣術達者なる者 身分問わず。
誠は文字を見つめ、胸の奥で小さく決意を固める。
ここをくぐればもう「娘」には戻れない。
一度喉を鳴らし、列の最後に並ぶ。
屈強な浪人たちの中に、身を隠し、低く声を作る。
「刀条誠と申します」
その一言で誠は悟った。
この名と共に、人生のすべてが動き始めるのだと。