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中一のちょうどこのくらいの時期幼稚園から同じの男子と話していたらクラスの男子(幼稚園から同じ)に“ハゲカップル“と言われた。
正直あまり話したこともなかったけど急にそんなこと言われて『は?なんでそんなこと他人に言えるん?』って思ったのと自分が自傷行為で髪の毛抜いてたからいいかってなったけど一緒にいた男子も巻き込んでそんなこと言われたのが腹が立って言い返してしまった。
家に帰って反省してたら父親が帰ってきたから今日学校であったことをいつものように話そうと思って色々話したあとにクラスの男子から言われたことを言ってみたけどずっとゲームしてて私の話なんかひとつも聞いてなくて正直辛かった。いつもの事といえばそうなんだが、男子の言葉に多少なりとも傷ついていたし、母親が毎日のように私たちは父親に愛されているって言ってたから娘がそんなこと言われたら怒ってくれるかな?なんて思ったけど何も言わないし、ゲームの邪魔なんて言われたのが1番辛かった。
1、2時間経って母親も帰ってきたから同じように言ってみたら料理の手を止めて学校にすぐ連絡するからびっくりした。母親も父親と同じような対応すると思ってたからそこまでしなくてもいいのにって気持ちと、父親と母親の対応の違いで父親が本当に愛してくれているのか分からなくなった。
その後は学校側から辛かったら休んでいいって言われたのが1番救いになった。学校を休んだ日に小学校の時のこととか父親からの躾という名の暴力での辛さを思い出して心が壊れてしまった。
その日珍しく一人泣いていたら母親が傍に来てくれて安心と迷惑かけていることへの罪悪感、不甲斐なさでもっと泣いてしまった。
自傷行為は日を追う事にに酷くなって行き、心療内科に行くことになった。
それから今もずっと薬を飲んで感情の波を抑えているが当時は父親から『お前のそれはただの甘えで病気とかじゃないんだから学校にさっさっと行け』『いつまで母親や周りに迷惑をかけるんだ、いい加減にしろ』など言われ続け、家にいることへの罪悪感が出てきてしまい、母親が休みの日に少し家を家を空ける時間があったから近くの川に行き、自殺を何度も何度も考え、どうすればいいのか、自殺に必要なものは、など考えていると母親が来てしまって未遂に終わりました。
中二になると最初はよく休んでいたけど少しずつ少しずつ学校に行くようになりました。母親に心配をかけたくない。父親に責められたくない、など思い行きましたが高校生になった今でも学校が怖くて行きたくないと思ってたまに一人泣いてしまう夜もあります。中三の10月両親と進路で意見がぶつかり私の行きたい学校は絶対に行かせないと言われ、両親が言った学校が最低ラインだと言われ自暴自棄になり、自殺未遂をしました。
私にとって秋は辛く苦しい思い出が蘇ってくるのでよく体調を崩してしまいます。
また辛くなったら書きます。
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