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空はまだ昼前の蒼を保っているのに、街の空気はいつになく緊迫していた。屋台が並ぶ通りの匂い、金物屋の鉄の匂い、通行人の汗と日常の湿気が混じり合っているところへ、アークが放つ稲光が一瞬、街を青白く撫でた。光は驚くほど冷たく、舗道に落ちると金属の縁を震わせ、宣伝用モニターの角が小さくひび割れた。
そのひびが小さな蜘蛛の巣のように広がるのを人々はただ呆然と見つめ、やがて何かがおかしいと叫び始める。人混みの中から子供の声が上ずり、親が手を伸ばして引き寄せる。だがすべてが遅い。アークは群衆の外側に立ち、帽子を深く被った横顔の先から、街の反応を冷ややかに眺めている。
彼の身体の周りでは空気が絶えず震え、ゲソが逆立つような静電気の気配が指先まで伝わってくる。まるで彼自身が小さな嵐を纏っているかのようだ。屋台の電飾が断続的にちらつき、看板のネオンが一瞬色を失うたび、通行人の会話が間を置いて途切れる。
すると、上空の一点から長い金色の筋が落ち、路地の角を直撃する。稲妻は地面を這うように広がり、舗装の継ぎ目で細かく踊り、鉄格子に焼き跡を残す。
人々は悲鳴を上げ、一斉に散り散りに走り出す。逃げ惑う群衆の足音、泣き声、叫びが混じり合った騒音はすぐに街の呼吸になり、アークはその音を楽しむように、しかし突発的な笑いも見せずに、ただ冷静に立ち尽くしている。彼の視線は群衆の奥、広場付近の人の流れを細かく追っている。そこに標的がいるかもしれない、あるいは誰かが反応して出てくるかもしれない。
アークにとって、この騒乱は単なるショーであり同時に針を刺す試験でもある。彼が放つ稲妻は無差別ではなく、街の神経を探り当てるように要所を突く。照明、交通信号、落ちている金属の蓋、路上のバイクなど、音の出るものを狙って放電を誘導するたび、音の波形が変わり、人々の不安は微妙に形を変えていく。
屋上の影の中、バレルはスコープほどの視力を持つ目で覗きつつ冷静に音の配列を読み取っている。彼の狙撃は人を直接殺めるためではない。精密に計算された一発一発が、街の音の地図を作り替える。金属が鳴り、ガラスが割れる瞬間に周囲の注意はそこへ引かれ、視線が動く。
視線が動くたびに防衛の視線も動く。バレルの仕事は、その注意を意図的に誘導し、守備の隙を作ることだ。屋上で冷たい風に揺れる外套の裾だけが、彼の存在を静かに告げている。アークはその計算を知ってか知らずか、やはり楽しんでいる。彼は短く片手を上げるだけで再び空が震え、近くの路面に稲妻の筋が落ちる。稲妻が走ると同時に、路地の隅で積まれていた段ボールの山が小さく燃え始める。
燃え広がる前に誰かが水をかけようと近づくが、次の瞬間、バレルの遠隔発砲が段ボールの支柱を正確に撃ち抜き、不安定さを生む。段ボールは崩れ、燃えさかる火花が四方へ散る。煙が立ち上がり、混乱はさらに増幅する。人々の足取りはより速く、恐怖は増し、助けを求める声が交差する。
アークは口元をわずかに歪め、群衆の小さな衝突を眺めていた。その瞬間、向こう側の通りから赤い服を着た子供がゆっくりと歩いてくるのが見えた。彼の視線の先には恐怖に凍りついた別の子供がいる。アークの瞳は一瞬だけ柔らいだかのように見えたが、それは一瞬のことだった。
次の瞬間、屋上から金属の甲高い破裂音が鳴り子供はよろめき、周囲の人が彼を支えようとする。誰かが叫ぶ。その叫びは増幅され、群衆の動きは一層凶暴さを増す。アークは冷たい目で通りを見回し、ほとんど意図的にもう一度手を上げる。稲妻が子供の背後をかすめ、赤い服の裾がわずかに焦げる。子供は泣き声を上げる。群衆の反応は即座だ。誰もが自分の身を守ることだけを考え、助け合いの余地は一瞬にして消える。
この演出の終盤、アークはほとんど無言で通りを歩き始める。彼が一歩踏み出すごとに地面を伝う静電気のパターンが変わり、路面の細かな砂粒が光る。
イカタコは彼の存在に気づき、ひと目で距離を取る。だが彼は怯えを引き金にして行動する者を待っているのだ。彼が歩けば、稲妻が彼の影を追い、建物の壁を舐めるように光を走らせる。バレルの銃声が時折リズムを刻み、二人の連携は目に見えないオーケストラを奏でるかのようだった。
群衆が最初に見せた混乱とは違い、この刻の動きは計画的で、無駄がない。アークは通りを半ば歩きながら、どこかから聞こえたかすかな足音に反応する。曲がり角の向こう、小さな背格好の若者が、震えながらも携帯を掲げて生中継をしている。画面越しに伝わる恐怖がまた別の群衆を引き寄せる。アークの目がそこへ注がれた。若者は震える手で
「助けを呼べ!」
と繰り返す。アークはその若者の画面の光に微かに笑みを返し、それと同時に路地の影から鋭い光線が走り出す。街角にいた数名が真っ先に倒れ、悲鳴が増幅される。バレルは遠くから、それらを観測し、次の標的を選ぶ。彼の一発は救急車のベルをかすめ、通信を撹乱する。すべてが連鎖し、救援はかえって遅れてしまう。
混乱を制御するために出てくるであろう狩人の動きや、自治体の動員の露出を観察するのが二人の目的なのだ。アークはその目的を達成するため、さらに力を引き上げる。彼の胸元に眠る神秘が、微かな光を放ち始め、地面の隙間から青白い粒子が舞い上がる。
粒子は風に乗って浮遊し、パニックの中にいる人々の周りをゆっくりと漂う。誰かがそれを見て
「雪みたいだ…。」
と呟くが、ほとんどの者はすぐにその奇妙な浮遊物が意味するものに気づかず、ただ恐怖で動けなくなる。アークの表情は変わらないが、その目の奥で何かが確信に変わっていく。遠くで黒い影が現れ、動き出す。稲妻に合わせて動くその影は速く、的確だ。アークはゆっくりと唇を動かし、言葉を呟くように聞かせる。
「来いよ、不正者狩り。」
その声はまるで挑戦状だ。街は拍動を早め、救いを求める叫びが空へと満ちていく。人々はどこへ逃げればよいのか分からず、ただ互いの背中を押し合い、足を動かす。だが演出は未だ終わらない。アークが指先で空間を撫でると、稲妻は一度に五つの筋へと分岐し、広場の中心を囲んでリング状に走る。そのリングの内側にいる者は皆、動けなくなり、恐怖で硬直する。リングの外側からは救援の足音が近づく。
アークはその瞬間を待っていた。彼はリングの中心に立って、胸の内に湧き上がる興奮を抑える。そしてバレルからの低い通信が耳に届く。
「対象、接近中。準備を。」
アークは軽く頷き、稲妻の周りで掌を広げる。風のように、街の空気が彼の周囲で渦を巻き、小さな発電の匂いが鼻を刺す。救援がリングの外へ到達する。数名が銃を構え、フラッシュライトが点滅する。彼らの動きは統制されているが、音の洪水で情報が乱れ、互いの連携はぎこちない。アークはその不安定さを見逃さない。
だがその直後、遠方から別の影が滑るように現れる。それはイカかタコの形をしているが、動きが早く、静かすぎる。誰もがその影に目を向けるまでには時間がかからなかったが、向けた瞬間、群衆の中の何人かが立ち尽くし、息を飲む。息の根を止めるような静寂が一瞬だけ通り、次いで銃声と稲妻の重なりが爆発する。
アークはその静寂を耳で楽しみ、そしてまた一歩踏み出す。街は完全に舞台に変わり、彼らの計画は十分に機能している。混乱と恐怖が複雑に絡み合い、見物人ですらただの駒へと変わったように動く。アークは冷ややかな満足を胸に抱え、バレルの指示を待つ。
どこかで彼らの目的が達成されれば、この騒乱は新たな局面へと移るだろう。イカタコはまだその先にあるものを知らない。だがその不可避の波がゆっくりと近づいていることだけは、確実に空気が告げていた。
昼下がり、倉庫の薄い鉄壁を震わせるような轟音が空気を裂いた。天井から吊るされた蛍光灯が一瞬だけ点滅し、机の上のマグカップが小刻みに揺れる。エルクスは手元の銃器を整備していた手を止め、反射的に顔を上げた。少し遠くの方角のバンカラ街中心部。その方向に、空を切り裂くような青白い閃光が走るのが見えた。
彼の目が鋭く細まり、握っていた銃を机に置く。胸の奥で、確信のような不安が一瞬にして形を取った。雷の音ではない。あれは異常だ。わずかに舞う神秘が風に混じり、倉庫の隙間を通って漂う。
「……来たか。」
低く呟いた声に、隣のミアが顔を上げる。
「どうしたの、エルクス?」
エルクスはすでに立ち上がっていた。スナイパーライフルを持ち、上着を羽織る動作に一切の迷いがない。
「バンカラ街だ。誰かが暴れてる。」
アマリリスが振り向く。
「……チーターがな。」
アマリリスが少し食い気味に言葉を口にした。その声にエルクスは短く頷いた。彼の瞳はただ一点、遠くの光を映している。
「間違いない。さっきから電波が狂ってると思ったが……やはりチーターの電撃か何かだ。」
倉庫内の空気が一瞬にして緊張で満たされる。ミアの手から小さな工具が滑り落ち、床に硬い音を立てて転がる。数秒の沈黙が流れる。
倉庫の外では、街の遠鳴りのようなざわめきがすでに届き始めていた。遠くで何かが爆ぜ、人々の叫び声が風に乗ってかすかに聞こえる。ミアが不安げに口を開く。
「行くの?今すぐ?」
エルクスは頷く。
「放っておけば、犠牲が増える。俺たちが行く。」
そう言い切ると、倉庫の隅にある小さなモニターの電源を入れた。画面には街のライブニュースが流れ始めており、そこには焦げ跡のついた道路、逃げ惑う人々、青い閃光が一瞬走る映像が映し出されていた。リポーターの声が震えている。
「現在、バンカラ街中心部で正体不明の放電現象が……」
その言葉を遮るように、映像の奥で再び稲光が走った。画面越しでも伝わるほどの圧倒的な力。エルクスは深く息を吐き、口元を引き締めた。
「……あれは、また厄介そうな奴だな。」
アマリリスが眉をひそめる。
「雷と言ったか…。」
エルクスは頷く。
「ああ。」
ミアが顔を青ざめさせる。
エルクスはミアの言葉を最後まで聞かず、扉の方へ向かう。アマリリスとミアもすぐに後を追った。キヨミが端末を手に通信を始める。
「周囲の監視カメラの信号、もう乱れてる。電磁障害が出てるわ。近づけば機器が壊れるかも。」
それでもエルクスは止まらない。靴音が倉庫に反響する。
「構わない。歩いてでも行く。」
扉を開けると、冷たい風が吹き込み、埃が舞い上がる。昼のはずなのに空は灰色がかり、遠くの空でうごめく稲妻の閃光が不気味に踊っている。街全体が呼吸を忘れているようだった。アマリリスが手首のトランシーバーを確認し、全員に向けて短く言う。
「目標、街の中心ロビー。そこに行けば何が起きてるか分かる。」
エルクスは黙って頷き、歩き出した。靴底が濡れたアスファルトを叩くたび、周囲の音が微かに遠ざかる。道の両脇のビルからは避難する人々が続々と出てきて、泣き声と叫びが混ざり合っていた。ミアが通行人の肩を掴み、「何があったの!?」と尋ねるが、誰も答えられない。
ただ「雷」「チーター」「街が壊れてる」という断片的な言葉だけが返ってくる。エルクスはその中を、目を細めて前方を睨みながら進む。頭の中では、戦闘のシミュレーションが静かに回転している。敵の能力、電撃範囲、遮蔽物、避難経路。すべてを頭の中で描きながらも、心の奥底に焦りが渦巻く。彼は誰よりも冷静に見えるが、その冷静さは訓練による抑圧だ。心臓は速く打っている。手のひらが汗ばむ。何人の命がすでに奪われたのか、それを考えるたびに、胃の奥が重く沈む。アマリリスが少し後ろから声をかける。
「……エルクス、焦るなよ。お前が崩れたら全員終わりだ。」
その言葉にエルクスは短く「わかってるさ。」と返すが、声がわずかに震えていた。目の前の通りが煙で霞んでいる。焼けた電線の匂いと、溶けたプラスチックの臭いが鼻を刺す。近くの電柱が倒れ、車の窓ガラスが粉々に砕けていた。ミアが口元を手で覆い、「ひどい……」と小さく呟く。キヨミが小型端末を覗き込みながら、
「電磁波の反応が強い。中心から放射状に広がってる。完全に狙ってやってる。」
と報告する。エルクスはその言葉に反応し、目を細める。
「やはり……本格的に街を破壊しにきたか……!」
その言葉に、誰も何も返さない。ただ一歩一歩、街の中心へと近づくたびに、電気の唸りが強くなっていく。ビルの壁が帯電して微かに光り、チーターの力が確かにこの空間を支配していることを物語っている。人々の恐怖、焦げた空気、焦げた鉄の味、そのすべてが皮膚の内側にまで染み込んでくる。
ミアは歩きながらも、心の中で必死に呼吸を整えようとする。彼女は戦いを恐れているわけではない。ただ、見えない敵の気配が街全体を覆っていることが、息苦しかった。誰もが無言で歩く中、エルクスの耳には、雷鳴と遠くの銃声が重なって聞こえている。敵が確かにそこにいる。
アマリリスがふと横目で仲間たちを見る。誰も口には出さないが、全員の顔に浮かんでいるのは決意と、少しの恐怖と、覚悟だった。ロビーまでの距離はあと数百メートル。風が強くなり、遠くの方で再び光が爆ぜた。電線が一斉に火花を散らし、街全体が震える。その瞬間、エルクスは口を開いた。
「全員、覚悟を決めろ。ここから先は戦場だ。」
誰も返事をしない。ただ、その言葉が心の奥で火を灯す。足取りは迷いなく、全員の影が同じ方向へ伸びていく。街の喧騒の中で、不正者狩りの4人が、静かに地獄の中心へと歩み出した。