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Side 健治
土曜日の昼下がり。
ハンドルを握る手が汗ばんでいる。
赤信号のタイミングで、俺はタオルで手を拭った。
美緒の祖母が入院したと聞けば、「お見舞いに行こう」と言うのは自然な流れだった。
「まさか、入院先が緑原総合病院だなんて……」
自分から言い出した事。
それを病院名を聞いて、止めるなんて不自然なマネはできなかった。
だが、野々宮果歩が緑原総合病院の薬局製剤責任者になった以上、院内で出会ってしまう可能性があるのだ。
美緒と一緒の時に野々宮果歩と出会ってしまったら……。
野々宮の常軌を逸した俺への執着ぶりを考えると、何をしでかすか想像もつかなかった。
再び、野々宮と関係を持ってしまった事を美緒が知ってしまったら、今度こそ、美緒は俺に離婚を突き付けるだろう。
美緒と別れなくない。
そう、強く思っている。
どんなに言い訳をしてでも、噓をついても、野々宮との関係を美緒には知られたくはなかった。
「最悪だ……」
時計の針は、午後1時前を指している。
美緒が勤めるさくら薬局にあと少しで着く。お迎えにはちょうどいい時間だ。できれば、このまま緑原総合病院には行かずに、家へ引き返したい気分だった。
角を曲がり、少し走ると蒔田医院が見えてくる。その横がさくら薬局がある。
すると、蒔田医院の駐車場には、美緒の他に二人の姿があった。
そばまで着くと、人影がハッキリしてくる。三崎医師と美緒の後輩の小松さんだ。
先日の勉強会で俺に向けられた視線を思い出し、後ろめたさからか、やけに喉に渇きを覚えた。
3人で楽しそうに話しているのが見える。
美緒の穏やかな笑顔は、最近、俺に向けられる笑顔とは違っていた。
俺が、車を停めると、それに気づいた3人の視線が一斉にこちらを向いた。
スッと美緒の笑顔が消え、ガラス玉のような感情の無い瞳を俺に向ける。
俺は、車から降り、カラカラに乾いた口を動かした。
「三崎先生、小松先生、お疲れ様です」
すると、まず返事をしたのは、三崎医師だった。
「お疲れ様です。美緒さんとお見舞いに行かれるそうですね」
相変わらず、人の妻を「美緒さん」と親し気に呼ぶのが気に入らない。それでもアルゴファーマの営業としては、病院の先生に対し、嫌な顔はできない。
「はい、妻の身内が体調を崩してしまったようで、夫としては少しでも手助けが出来ればと思いまして」
と、美緒と夫婦である事を強調するのは、胸の奥で、独占欲が渦を巻いているからだ。
「ふーん、……手助けね」
と、小さな声が聞こえた。その声の主の小松さんは、相変わらず挑むような目つきを俺に向けてくる。
その目は、俺の悪事を見透かしているようで、思わず後ずさった。
その間を割って入ったのは美緒だった。
「三崎君も里美もお疲れ様でした。また、月曜日にね」
「美緒先輩、お疲れ様でした。また月曜にお話しましょうね」
美緒には、子猫が甘えているような声を出す小松さんだ。
「美緒さん、気をつけていってらっしゃい、お疲れ様でした」
「ありがとう、三崎君。いってきます」
そう言って、ふわりと微笑む美緒の表情は、やはり俺に向けられている表情と違っていて、ツキンと心の奥に痛みが走った。