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Side深澤
「恋人役を演じてもらいます」
ディレクターの声に、少しざわついた空気が流れる。バラエティ番組の恋人企画だという説明を聞いて、康二が「おもろそうやん!」と手を叩いて笑った。
俺も最初は冗談みたいに聞いてた。けど、いざ台本が配られ、カメラの前に立たされると、場の空気がじわじわと変わっていくのがわかる。
ペアは──照と俺。
くじを引いた瞬間、一瞬だけ視線が交わった。お互い、特に驚いた様子は見せなかったけど、目を逸らすまでの数秒が妙に長く感じた。
「よろしく」
「……うん、よろしく」
軽い挨拶のようで、どこかぎこちないやり取り。
照は言葉が少ないけど、目の奥にある真面目さはよく知ってる。ふざけた企画だろうと、求められたことにはちゃんと応えようとするやつだ。
だから、俺もふざけて終わらせるわけにはいかないと思った。
カメラが回り始める。
手を繋ぐシーン。自然な恋人らしい距離感。照がふと俺の手を引くようにして距離を縮めたとき、一瞬だけ呼吸が乱れた。
──違う、これは仕事。演技。そう思ってるはずなのに、やけに手が熱い。
「最後に、お互いに愛の言葉をお願いします」
ディレクターの声で、現実に引き戻された。
どうする?なんて言えばいい?
照の目を見た。真っ直ぐに俺を見てる。ふざけた空気はない。本気でやってる。だったら、俺もちゃんと応えたい。
「……好きだよ、照」
そう言った瞬間、照の表情が一瞬だけ止まった。
眉がほんの少し動いて、呼吸が浅くなった気がした。
──やっぱり、気のせいじゃない。
あの一瞬に、何かがあった。
でも、それが何かを確かめたくても、確かめたら戻れなくなる気がして。
だから、俺は笑った。
「ほら、ちゃんと演技っぽく言ったでしょ?」
照の目が、少しだけ泳いだ。けれど、すぐに無表情に戻る。
──こんなはずじゃなかった。
ふざけた企画のはずだったのに。
「はい、OKでーす!お疲れさまでしたー!」
スタッフの声で空気が切り替わる。ライトが落ちて、カメラが止まる。張りつめていたものが緩むと、現実が一気に戻ってきた。
「ふっかさん、めっちゃ恋人っぽかったやん!あれ本気なんちゃう?」
真っ先に近寄ってきたのは康二。楽しげにひやかす声に、ラウや阿部ちゃん、佐久間まで笑いながら集まってくる。
「岩本くんの顔、めっちゃ真剣だったよね?」
「見ててこっちが照れたわ」
「いや、あれは照れたんじゃなくて、ガチのやつでしょ」
冗談交じりの感想が飛び交って、周囲はすっかりバラエティの空気に戻っていた。
俺もそれに合わせて、頬をかいて笑ってみせる。
「いやいや、カメラ回ってたから頑張っただけだって」
「ふ〜ん?それにしちゃ、目が甘かったけどな〜」
と康二がからかう。
「康二もうるさいって」
そう言いながら小突いた手の向こうで、照が静かに立っているのが見えた。
いつもと変わらない表情。うるさすぎる皆を見ながら、少しあきれたように笑っている。でも、さっきまで隣で見ていた顔とは、微妙に違う気がした。
たぶん、他の誰も気づいてない。気づけない。
あいつは、ちゃんと「いつもの照」に戻ってる。
なのに、俺だけがその“演技”の空気を感じ取ってしまってる。
「ちゃんとやらなきゃ」って、思えば思うほど、余計な気持ちが顔を出す。
あいつの視線を追ってしまう。立ち位置の距離が気になってしまう。
終わったはずなのに、俺の中では何も終わってなくて。
解散の声がかかって、照が隣を通り過ぎたとき──その腕が、俺の手にほんの少し触れた。
それだけだった。
それだけなのに、心臓の音が跳ねるように速くなる。
終わった後、隣に立つ照の手が、まだ少しだけ温かくて。
その感触を、忘れたくないと思った自分が、いちばん怖かった。
―――――――――
企画が終わった翌日。
いつもと変わらないスタジオの空気。明るい照明、笑い声、スタッフの慌ただしい動き。全部、見慣れたはずだった。
でも、ひとつだけ違った。
照の視線が、やけに多い。
気のせいだと思った。でも、一度気になると、些細な変化がどんどん目につく。
話しかけてくるタイミング。近くに座る位置。わずかに触れる指先。誰かと話しているとき、気づけばいつもあいつの目が俺に向いてる。
「……なに?」
リハの合間、無意識にそう声をかけていた。
照は少し驚いたような顔をして、それから視線を逸らした。
「別に」
そう言ったけど、あの目は「何もない」なんて言えるような目じゃなかった。
収録が始まって、ファン向けの動画を撮る時間。隣に座った照の肩が、自然に触れた。
(近い……)
いつもなら気にも留めない距離のはずなのに、今日はやけに意識してしまう。
肩を引こうとしたら、照が何気なく俺の方を向いた。そのとき、指先が触れた。
ビクッとするほどの反応を見せたくはなくて、平静を装ったけど、心の中ではもうとっくにざわついていた。
あの一日だけの“恋人役”は、番組の企画だった。演技。カメラの前だけのもの。
だから、終わればすべてが元に戻ると思っていた。
それなのに──
(なんで、こんなに優しいんだよ。なんで、そんな目で見るんだよ)
笑ってごまかそうとする自分が、どんどん苦しくなる。
「はいカットでーす!」
スタッフの声と同時に、周囲の空気が一気に緩んだ。皆が立ち上がって、それぞれ次の準備に取りかかる中、俺はそっと一歩引いた。
(……近づきすぎた。これ以上はダメだ)
照がどう思ってるのかなんて、わからない。
でも、自分の中に芽生えてしまったものが、“仕事”って言葉じゃ片付けられないのはもうわかってた。
一瞬の手の温度に、目線に、声のトーンに──期待してしまいそうになる自分が怖い。
だから、距離を取ることにした。自分を守るために。
けど、それはすぐに照にも伝わってしまったらしい。
「……なんか、今日、避けてる?」
小道具の確認をしているとき、不意に照がそんなことを言ってきた。
「え?そんなわけないじゃん」
振り向いて、できるだけ自然に笑う。
「そっか」
そう言った照の声が、ほんの少しだけ低くなった気がした。けれど、俺はそれを無視した。
本当は、気づいてる。
昨日、目が合ったとき。あの“好き”って言葉のあとに揺れた瞳。
あれが、もし“演技”じゃなかったとしたら。
もし──俺だけが嘘をついたんだとしたら。
……それでも、今さら「本当は好きだった」なんて、言えるはずがない。
怖かった。
照が俺の気持ちに気づいて、離れていくのが。
信頼してくれてた関係まで、壊してしまうのが。
だから、これでいい。
昨日のあれは、ただの演技。
そうやって、笑ってごまかし続ければいい。
そのうち、全部元に戻る。
……戻るはずだった。
なのに、照の視線は、今日もまっすぐ俺に向けられていた。
痛いくらい、まっすぐに。
「じゃ、次は衣装合わせお願いしまーす」
スタッフの声に、それぞれが控室へ散っていく。自然な流れの中、俺は無意識に照を目で探していた。
少し離れた場所で、黙って衣装ラックに手を伸ばす後ろ姿が見えた。
──隣に立つでもなく、こちらに目を向けるでもなく。
あの収録のあとから、照は少しずつ距離を置くようになった気がする。
誰の目にもわからないように。でも、確かに。
歩くときも、さりげなく半歩分、距離が空く。
話すときも、少し遅れて返事が返ってくる。
言葉は変わらない。トーンも態度も、たぶんいつもと同じ。けど、感じる“温度”が違う。
俺もまた、その距離に気づいてるのに、どうしても踏み込めなかった。
(……何やってんだよ、俺)
気づけば、照の真横に並ぶことすら、どこかでためらうようになっていた。
ファン向けの動画撮影中。立ち位置は自然と分かれていた。
照は向こう側、俺は反対側。
無理なく視線が交わらない位置。
無理なく、自然に──避け合っていた。
(近づきすぎたのかもしれない)
あの“恋人ごっこ”は一日限りの演技だったはずなのに。
あの日を境に、妙な意識が芽生えてしまった。
それはたぶん、俺だけじゃない。照も、きっと気づいてた。
だからこそ、あいつも距離を取った。俺も、それに倣うように一歩引いた。
でも、それが余計に、苦しかった。
目が合わないこと。話しかけるタイミングを逃すこと。
それだけで、こんなに胸が締めつけられるなんて思ってなかった。
「ふっかさん、なんか元気ない?」
ラウに軽く声をかけられて、無理に笑った。
「そんなことないって。ちょっと寝不足なだけ」
笑ってごまかすこの感じが、どんどん増えていく。
カメラが回っていないところで、照の目がふとこちらを見た気がして、咄嗟に視線を逸らした。
きっと照も、同じようにしてるんだと思う。
お互い、何もなかったふりをして。
いつも通りの距離感に戻そうとして。
──だけど、もう戻れないことを、どちらも気づいてる。
その“空気”だけが、ずっと胸の奥に残り続けていた。
「じゃあ、今日のゆるトーク、カメラ回しまーす!」
スタッフの声にあわせて、メンバーが所定の位置につく。
照は俺の正面の席。ほんの少しだけ角度をずらして座るその姿勢が、何でもないようでいて、妙に意識的に見えた。
(やっぱ、避けてる……?)
──いや、俺も同じだ。
視線を向けられる前に逸らす。距離を詰めようとされる前に一歩引く。
そんな小さな駆け引きみたいなものが、ずっと続いてる。
そのせいで、収録中も言葉のタイミングが微妙にズレていく。
「ふっか、昨日のゲーム回さすが~」
佐久間が話題を振ってくれて、自然に笑って返す。
「だろ?ちゃんと編集でカットされない程度に頑張ってんのよ、俺」
「いや~、カメラ慣れしてるね~。照と一緒のときもさ──」
ふと、佐久間の言葉が照に向いた瞬間、場がほんの一瞬だけ固まった。
誰も何も言わなかったけど、俺は気づいてた。
そのタイミングで、照の肩がわずかに動いたのを。
康二が空気を察したように、「てるにぃはふっかさんと組むと変なスイッチ入るからな~」と笑いでつないでくれた。
「そんなことないでしょ」
照が静かに返す。その声は淡々としてるけど、どこかぎこちない。
俺も続けるタイミングを迷って、一拍置いてからようやく口を開いた。
「いや、照のスイッチ入ったときの真顔、怖いから。真顔のまま褒めてくるのやめて?」
周りは笑ってくれた。けど、その笑いに乗り遅れたのは、俺と照だった。
たぶん、気づいてないふりをしてくれてるだけで──
もう、周囲も何となく“違和感”に気づき始めてる。
ぎりぎり、誰にも言われないだけで。
ぎりぎり、笑いの中にまぎれてるだけで。
俺と照の間にだけ、他の誰も踏み込めない温度が、確かに生まれてしまっていた。
(このままじゃ、いけない)
でも、どうすればいいのかも、わからない。
俺が何か言葉にすれば、壊れてしまう気がする。
照が何かを言えば、きっと戻れなくなる。
そんな空気がずっと、喉元に引っかかったまま、言葉にならないまま、俺たちは“いつも通り”を演じ続けていた。
―――――――
「今日、誰か編集室立ち会いお願いできる?」
マネージャーの声に、俺と照がなんとなく目を合わせずに黙ったまま挙手する。
他のメンバーは次の収録や撮影で埋まっていて、たまたま空いていたのが俺たちだった。それだけの理由。
ほんの数日前なら、特に何も思わず並んで行けたはずなのに。
今は、その「ふたりきり」という事実だけで、喉の奥がきゅっと狭くなるような感覚があった。
編集室は小さな防音の部屋。壁際にモニターと操作卓があって、後ろに二人掛けのソファ。
エアコンの風が静かに鳴っている。無機質な蛍光灯が、妙にまぶしい。
スタッフが機材の確認をしているあいだ、俺と照は並んでソファに座った。
近い距離。でも、どこか遠く感じる。
隣にいるはずの照が、まるで何層も壁の向こうにいるような気がして、どうしても顔が見られなかった。
「じゃあ、先週の恋人企画の映像、仮編集だけど再生しますね」
スタッフがそう言って、モニターが光る。
──あの、ドッキリの日の映像だ。
笑ってる自分。無理やりテンションを上げて、カメラに向けて明るく振る舞う俺。
その横に立つ照。ぎこちなさのなかに、確かに見えた真剣な目。
(見たくなかったな、これ)
映像の中の俺たちを、どこか他人のように眺めながら、心だけがざわついていた。
「……やっぱ、演技上手いな、ふっか」
不意に照が呟いた。
その声はやけに落ち着いていて、なのに、どこか遠かった。
「……うん、そりゃ仕事だし」
そう返す声が自分でも少し上ずっているのが分かった。
カメラの中で「好きだよ」って言った自分を、今となっては直視できない。
モニターの中で、あの日の俺が言う──「好きだよ、照」
それを聞いた照の目が、ほんのわずかに揺れた瞬間。
俺だけが知っているはずの、あの一瞬が、そこに記録されていた。
そして、それを今、となりに座る本人がまた見ている。
そう思うと、体の奥がじんわりと熱くなって、逃げ出したくなった。
スタッフが席を外し、編集室の中には俺と照だけが残された。
再生が止まったまま、無音の時間。
この静けさが、いちばん怖い。
「……あれ、康二は“演技”って言ったけど」
沈黙を破ったのは、照だった。
思わず顔を向けると、照は前を向いたまま、低く抑えた声で続けた。
「俺……あの時、演技じゃないって思ってた」
心臓が跳ねた。
照は、まっすぐ言葉を選んでいた。揺らぎもなく、迷いもなく。
その分だけ、重かった。
俺の中で何かが崩れそうになるのを必死に押さえ込んで、笑う。
「なに言ってんの。あれは……ああいう企画。全部演技に決まってるでしょ」
わざと軽く言ったのに、声がうまく響かない。
目の奥が熱くなっていくのを感じた。
本当は違う。
本当は、俺の「好き」は演技なんかじゃなかった。
でも──今ここでそれを認めたら、たぶん壊れる。
冗談で済んだはずのものが、全部、嘘になってしまう。
それが怖くて、苦しくて、笑うしかなかった。
照は黙ったまま、ほんの少しだけ首をうつむけるようにして、短く息をついた。
その表情は見えなかった。
でも、その沈黙の中にあるものが、何よりも痛かった。
「……そっか」
それだけを言って、照は立ち上がった。
俺は思わず、引き止める言葉を探して口を開きかけて──何も言えなかった。
足音もなく、ドアが静かに閉まる。
残された編集室は、ただひどく静かで、息苦しいほどに狭かった。
ひとりきりになったその部屋で、俺は拳を膝の上で強く握りしめた。
嘘をついたのは、俺だった。
壊れるのが怖くて、黙ってしまったのも──俺だった。
夜、自分の部屋。
天井を見つめたまま、何も考えられずにいた。
布団に入っても、まぶたを閉じても、照の顔が浮かぶ。
編集室で俺の隣に座っていたときの横顔。
「演技じゃないって思ってた」って言った時の、あの声の重さ。
──全部、頭から離れなかった。
「俺は……あの時、演技じゃないって思ってた」
その言葉が、何度も脳内でリピートされる。
まるで、さっきまで観ていたモニター映像のように、何度も繰り返し再生される。
なのに、それに返した俺の言葉は──
「全部演技に決まってるでしょ」
あんなの、ただの嘘だった。
演技なんかじゃなかった。
俺は、照の目を見て、本気で「好きだよ」って言った。
冗談じゃなくて、心の底からそう思った。
でも、それを“冗談”にしなきゃいけない気がした。
あの場で、本気だったなんて言ったら、
なにか、大事なものが壊れる気がして。
……壊したくなかった。
“今の関係”も、
“グループ”でいる俺たちも、
照と普通にいられる時間も、
全部、全部、なくなる気がして──
俺は、怖くて、嘘をついた。
そのくせ、今こうして部屋でひとりになっても、心臓の痛みだけは消えてくれない。
「なんで……言えなかったんだよ」
誰にでもない声が、静かな部屋に落ちていく。
ただの演技だって笑ってごまかすより、
ちゃんと「俺も同じだった」って伝える方が、よっぽど楽だった。
でも、言えなかった。
言った瞬間に、何かが変わってしまう気がして。
照の目を、裏切ることになるような気がして。
本気だったあいつに、嘘を重ねて──
俺は、自分を守った。
最悪だ。
あんな言い方、なかった。
背中を丸めるようにして、布団に潜った。
喉の奥がつまって、息がうまく吸えない。
目を閉じても、まぶたの裏には、照の揺れた瞳が、ずっと焼きついたままだった。
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