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先生を好きだと自覚してすぐ目に入ったのは、
先生の結婚指輪。
私はそれを無いものとせず、気持ちを「推し」に留めようと頑張ったけれど、
残念ながらそれは出来なかった。
でも不思議と、お嫁さんに嫉妬とか、羨みとかはなくて
ただただ中村先生が好きだった。
それは心のどこかで、叶わないことが分かっていたからなんじゃないかな、とも思うけど
だったら先生なんて好きになってない。
私は現実を何も分かってない。
ふわふわ、ゆらゆら、ぼんやりと生きているから。
だからこんな恋もしてしまった。
次第に先生に対する気持ちもふわふわと空へ浮かんできて
最初の2週間くらいの熱意がうそみたいに、
好きな気持ちが分からなくもなった。
あの人を好きでいられた瞬間だけ、生きている感じがした。
だから私は、好きな人がいるのはたいへん幸せなことだと思う。
しばらくして、中村が絵を完成させようと声をかけてくれた。
正直に言うと、あの日泣いてしまってからは
中村の前に来るとなんだか気まずくなってしまう。
泣き顔を見られたのが小っ恥ずかしいの。
放課後、美術室を尋ねて先生と合流し
改めて桜の木の下に向かった。
もう、ほとんど花は散っていて
下描きの時の木とは違う感じだった。
「これどうするんですか?」
「どうするって言われても…自分がやりたいようにしてください?」
「先生のそういうとこ、うざったいと思いますよ」
「自分で考えるのをやめたら馬鹿になるよ」
「なにそれ。」
なんて言い合う。
ああ、楽しい。
そう、昔から私はこういうやり取りが好きなのだ。
いつか見たアニメみたいで、大好きだ。
少し間が空いて、中村が訊ねる。
「でもほんとにどうしようか?木の写真とか撮ってる?」
中村はわたしを、現実に引き戻してきた。
ー大人だ。
「撮ってー、、ません」
「だよねー」
「いっそ下書きからやり直すとか?」
「それだと時間がかかりすきちゃうかな、もっと花が散っちゃう。」
「…、」
なんだか、心の嫌なところに刺さった。
気にしないことにして、聞く。
「じゃあ想像で描けと…?」
「いやあ厳しいよねー…」
「下書きのままじゃどうしても駄目ですか?」
「できれば完成させて欲しいかな」
「うぅ… 」
「仕方ないから、1回記憶を頼りに描いてみよう」
そんな無茶な、と言いかけたけれど抑えた。
“オレンジの桜の木”はそんなに簡単に描けないと思う。
とりあえず描き進める。
パレットにオレンジと、赤と白を出す。
水をたくさんふくませて、薄く薄く色を重ねるように意識した。
一応集中しているので、
中村と私の間はしんとした時間の中、筆を走らせるオノマトペだけが聞こえる。
沈黙をめくりあげるように中村が口を開く。
「すごいじゃん、上手だね」
と。
絞り出すように、
「そんなことないですよ。」
と答えた。
「上手なんだから、もっとひけらかしてもいいのに」
「嫌ですよ。」
「なんで?」
「いやなものは嫌です」
「ふーん…」
また、静かになる。
さあっと風が吹き荒れて、木をわさわさゆらしている。
最近は、心も荒れがちだ。
「…ねえ」
中村がまた口を開いた。気まずいのかな。
「はい」
「なんかあったの?」
「え?」
「最近」
「大丈夫です。」
「ほんと?」
「はい。」
「大丈夫な人間は泣かないと思うけど」
「それは決めつけてるだけ!というか、泣いたの掘り返さないでください恥ずかしい!」
「まあ、それもそうだね。」
「…でも」
「…?」
「薗田さんは、絶対大丈夫だけど、絶対大丈夫じゃない。」
「え、どういうことですか?」
「前者の大丈夫は、安心してって意味。後者の大丈夫は、溜め込んでるでしょって意味。」
「…なにそれ」
「俺の気遣いだよ」
「結構です。」
ああ、この口はまた私に嘘をつかせる。
大好きな人を騙すなんて、本当はしたくない
でも、自信を持って「辛いです」
なんて言えない
─なんてめんどくさいんだろ、あたし
気持ちを紛らわすために筆を動かす。
もうあなたの前で泣きたくないから。
「ふーん…」
「ふーんってなに」
「…そんなに話したくない?」
もちろん話したくない。
そもそも、話すほど大層なことじゃない。
「話すことなんてないですよ」
「ほんとに?」
「いや、どんな回答を求めてるんですか」
「いやーまあ…強いていえば、薗田さんの助けてっていう台詞が聴きたい。」
「…」
言いたい。
助けてって言いたい。
心の底から大泣きしたい。
もう1回元気なわたしになりたい。
でも
変だって思われたくない。
話したあと無責任になんとかなるとか言って欲しくない。
大袈裟だよなんて言われたくない。
─せんせいに、嫌われたくない
「…言いたくないっ、」
やっぱり中村先生は、わたしの嫌なところばかり突いてくる。
本当は言いたいのに、聞いて欲しいのに
この口は心の声を無視する。
これはもう、わたしの性格で、人格だ。
「
助けを求める方法なんて習っていない。
甘える方法なんて、教科書には載ってない
友達の作り方も
笑いのとり方も
彼氏の作り方も
先輩と仲良くなる方法も
名前の呼び方も
話しかけ方も
可愛い笑い方も
クラスラインの入り方も
空気の読み方も
愛嬌のふりまき方も
何もかも、私だけ知らないみたいじゃない!
なんで私だけ知らないの?
」
「…やっと
言ってくれた」
「…え、?」
声に、出ていた
「…ちがう」
「違くない。」
「あなたの悩みは、これだね」
涙が溢れた。
転んだ後、絆創膏を貼る時みたいな
安心泣きである。
震える声で、はいと答えた。
今自分に精一杯出せる、SOSの声。
「ありがとう、薗田さん
しっかり聴けました。」
ほんとに、わんわん泣いてしまった。
この間のときとは比にならない涙の量で
自分でもびっくりしてしまった。
最後の一粒が、つーっと頬を伝う。
「…すみません、ずっと泣いちゃって」
「全然大丈夫だよ、2回目だしね」
「だまってください、恥ずかしい」
「…薗田さん、これ、担任の先生に言った方がいい?」
「やだっ、言わないで!恥ずかしいから」
「分かった。じゃあ
俺にできること、ある?」
「…先生に、して欲しいこと」
「うん」
「…ない」
「え?」
「先生には、もう色んなことしてもらったから」
「ほんとにないの?」
「はい。」
当たりは日が差して、あの日のオレンジ色のような色に染まる。
昼の暑さをふうっと飛ばすような、
ひやりとした風が吹く。
熱を覚ますみたいに、夢を覚ますみたいに
「先生。」
「ん?」
「私、今日のこと忘れません。ぜったい、大人になっても。」
「うん、ありがとう」
「先生は、多分忘れちゃうと思うんです」
「そんなことないよ」
「いや、きっと忘れちゃう。
私は最近、それを学んだから分かるんです」
「…どういうこと?」
「この出来事は、すぐ過去になります。今言ったこの言葉も、そうですね。でも、私にとってこれは、とても大きく、大切な出来事なんです。そして、わたしの記憶の中に居る中一の時の美術の先生は、この世にただ一人、中村先生しか居ないんです。先生は、受け持つ生徒がたくさん居ると思うし、もしかしたらまた、生徒の相談を聞くかもしれない。だから、私は忘れないけど、先生は忘れちゃうと思うんです」
「…たしかに、そうかもしれない」
「でしょ?」
「だけど薗田さん」
「俺の前で泣いた生徒は、俺の人生で薗田さんが初めてだよ」
「…え」
「だから多分俺も、薗田さんの事を忘れない」
「…うれしい、です」
すごくすごく恥ずかしくて、下を向いた時に
真っ先に目に入ってきたのは、
銀色の、すごく綺麗な
あなたの結婚指輪だった。
第2話 fin.