颯人は空港を出ると腕時計を見た。今は午後四時前で急げば会社に戻れる。
「颯人、一緒に乗っていく?」
今回の出張で一緒になった結城冴子と、それに数名の桐生グループの役員がタクシーに乗ろうとしていた。
「いやいい。これからこのまま会社に行くから」
「本当にあなた仕事ばかりね」
冴子は少し呆れたように颯人を見ると、タクシーで去って行った。颯人はタクシーを捕まえると、急いで乗り込み運転手に会社の住所を伝えた。
今回颯人がアメリカに行ったのは、桐生グループのアメリカの拠点であるニューヨークとサンフランシスコのオフィスの視察の為だ。実は父親からそろそろ戻ってきて、兄と一緒に家業を継げと言われたからだ。
アメリカにあるこの二つのオフィスは、現地のデザイン会社やソフトウェア開発会社などと連携し、日本やアメリカ向けのソフトやゲーム、システム開発など様々な事業を展開している。現在3年から5年の任期で日本から駐在員などを派遣して、アメリカでの現地法人を管理している。
ただし日本から派遣される重役やマネージャーが現地で採用されているアメリカ人との意思疎通がうまくいかなかったり、また日本の会社のスタイルでマネージメントしようとしているので社員との信頼関係が築けなかったりと、不満が出ていて会社自体があまりうまく機能していない。
今回父親からこのアメリカの現地法人をうまくまとめろと言われたのだ。実際に行って見て、問題はかなり深刻だとわかった。
今はまだ自分の会社のこともあるのですぐにというわけではないが、おそらく近いうちにアメリカへ行かなければならないだろう。しかも一年そこらではない。最低でも5年、長ければ7年くらいだ。
車の中で目をつぶりながら颯人は蒼のことを考えた。彼女との事もいろいろな意味で、もうこれ以上待つことができない所まで追い込まれている。
蒼は男性に対してトラウマがあるため、時間をゆっくりとかけにかけて彼女が自分に心を開くように努力した。
しかし最近の彼女はあまりにも可愛くて、颯人は理性を保つことが難しくなっている。蒼に出会ってからは他の女性のことなど考えることもできず、こんなに長いこと女性を抱かなかったのはおそらく初めてだ。
ストレスも性欲も溜まりに溜まっていて、あのレセプションパーティーで彼女があまりにも愛おしくて、どうしても我慢することができずキスをしてしまった。
あの時の彼女とのキスが未だ忘れられず、毎晩夢に見るほどだ。蒼とのキスは今までの誰とのキスも全て忘れてしまうほど甘美なものだった。
颯人はこの出張の間、一体どうやって彼女に話を切り出そうかとひたすら考えていた。なにせ自分から告白して付き合って欲しいと言うなど生まれて初めての経験だ。大抵は女性の方から付き合って欲しいと言われるか、またはいきなり体の関係になるかのどちらかだ。
蒼が颯人の事を嫌っていないのはなんとなく感じている。しかし男として受け入れてくれるかはよくわからない。ただあの日キスをした時に蒼に拒まれなかったのは颯人に大きな希望を抱かせた。
やがてタクシーが桐生クリエーションのあるビルの前で止まった。颯人は身だしなみを整えると緊張した面持ちでタクシーを降りた。
「社長、おかえりなさい」
颯人がオフィスに入ると蒼と五十嵐さんが彼を出迎えた。
「お疲れ様です。お飲物をお持ちいたしましょうか?」
「ありがとう。お茶を頼む」
そう言って社長室に向かおうとしたところで、何かおかしいことに気付き立ち止まった。
── ん……?
振り返ってもう一度蒼を見ると、なんと彼女は以前着ていた地味なスーツと分厚い眼鏡をかけている。
── な、なんでまた……!? もしかして誰かにセクハラされたのか!?
颯人は焦って五十嵐さんを振り返ると、彼は首が取れそうなほどぶんぶんと首を振っている。颯人は社長室に入ると困惑しながら椅子に腰を落とした。
── 俺のいない間に一体何があったんだ……?
颯人が混乱する頭を何とか落ち着けようとしていると、蒼がお茶を持って社長室に入って来た。
「……ありがとう。俺がいない間に何か変わった事はあったか……?」
颯人は慎重に彼女に話しかけた。
「いいえ、特に何もありませんが……。お留守の間、お電話が何件かあったので内容を全てメールしています。他には技術部の藤田部長が社長とできればミーティングがしたいとありました」
蒼は淡々と業務連絡をした。
「……その格好はどうした……?誰かに何かされたのか?」
颯人は彼女の身なりを指差した。
「えっ……?この格好ですか?」
蒼は地味なスーツを見下ろした。
「まさか、電車で痴漢にあったとか、社内で誰かにセクハラされたのか?」
蒼がまた男に嫌な事をされているかと想像しただけで怒りが込み上げ、思わず低い声で唸った。
「えっ……?ち、違います! 誰にもセクハラなんかされてません。この会社ではそんな男性1人もいませんし、電車も毎日女性専用車両に乗ってるので大丈夫です」
蒼は慌ててそれを否定した。
「だったらどうしたんだ……?」
颯人はますます混乱して蒼に尋ねた。
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