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それから、さらに半年が経った。
無事に咲人が生まれ、里帰り先から戻って三人での生活が始まってから一ヶ月。
夜泣きは酷いし、まとまった睡眠すら取れない毎日だけれど、不思議と体は思ったよりも楽だった。
授乳を終えた咲人を、雅が手慣れた様子で抱き上げる。そのままゆっくりとリビングを歩き回る雅の腕の中が心地いいのか、咲人はうとうとと気持ちよさそうに瞳を閉じ始めた。
想像していたよりもずっと父親をしている雅の姿を、私は夢中で写真に収める。
「夏帆、お前そんな暇あったら寝とけば?いつまで写真撮ってんの」
「そろそろスマホの容量に限界を感じてる」
「お前が限界なのは頭だよ、寝ろ」
だって、愛してやまない旦那様が、可愛い我が子を抱いている。その尊すぎる光景を前にしたら、落ち着けと言う方が難しい。カメラロールが咲人と雅の姿で埋まっていく。
幸せを形にするなら、きっとこの瞬間のことを言うのだと思う。
雅は呆れたような表情をしながらも、咲人をゆっくりとベビーベッドへ下ろした。
それから私の元へ歩み寄ると、有無を言わさぬ手つきでスマートフォンを取り上げる。
「寝れないなら夏帆の事も寝かしつけようか?」
そう言いながら隣に腰を下ろし、私の体を自分の肩へと強引に引き寄せた。
あまりに不意打ちの、けれど温かいその行動に、心臓が跳ねる。
顔を上げると微笑む雅と目が合い、額に柔らかな唇が落とされた。
そのまま、私の頭を愛おしそうに優しく撫でる大きな手。
「……無理、寝たら勿体ない」
「夏帆って本当たまにすげぇバカ」
雅は小さく笑いながらも、ずっと肩を貸してくれていた。
私達は寄り添ったまま、いつしか深い安らぎの中で、揃って意識を遠のかせていった。
この時間のおかげでどんなに辛くても幸せだ。
その日の夕方。早い時間を見計らって、咲人を連れて玲くんたちの元へ顔を出した。
雅と一緒に店へ入ると、玲くんが笑顔で出迎えてくれ、カウンターの拭き掃除をしていた颯くんがこちらへ小走りで駆け寄ってくる。
颯くんとは玲くんが雇った、大学生のアルバイト。|澤口《さわぐち》 |颯《はやて》くん。人懐っこくて愛嬌があり、この店の新しい看板息子になりつつある。
「雅さーん! 夏帆さーん!」
勢いよく飛び込んできた颯くんの額を、雅が無造作に掌で押さえつける。
「寄んな」
「ええ、何で! 俺も咲人くん見たいですって!」
こんなあしらわれ方をしても、颯くんは懲りずに雅を慕っている。彼が相当なドMなのか、あるいは雅が裏ですごく可愛がっているツンデレなのか…。
私は後者だと思っているけれど。
(まあ、実際雅は素直じゃないしね)
微笑ましく思いながら玲くんに咲人を差し出すと、彼は優しくその頭を撫でた。
「あれ? 前は夏帆ちゃんに似てると思ったのに、顔変わったね。雅にそっくりじゃない?」
「そうなの。ここ一ヶ月でまた随分変わって。私としては将来有望で嬉しい」
「面食い視点の期待やめろよな、お前」
聞き逃さなかった雅から、即座にツッコミが入る。
正直、自分の好みのど真ん中である旦那にそっくりな息子が育つなら、私にとってはこれ以上の幸せはない。
「夏帆さんに似ても格好良くなりそうっすけどね。てかお二人美人なので、男の子も女の子もすげぇ美人になりそう」
「問題は性格が夏帆ちゃんになればいいね」
「喧嘩売ってんのか」
メンズ三人のやり取りを聴きながら、私は思わず噴き出した。
抱かれた咲人は、小さな指をくわえながらきょろきょろと辺りを見渡している。初めて来る場所の空気をこの子なりに感じ取っているのか、少しだけ落ち着かない様子で、私の胸元をぎゅっと握りしめていた。
「夏帆ちゃん、ちゃんと寝れてる? 何か入れようか? 雅は?」
「俺はいいや。長居する気ねぇし」
「私はカシスオレンジが良いな。ノンアルでお願い」
「わかったよ」
玲くんが手際よくノンアルコールのカシスオレンジを作り、私の前に置いてくれる。
いつもの席に腰を下ろすと、咲人は相変わらずキョロキョロと辺りを見渡していたが、ふと雅の方へ小さな手を伸ばした。雅がさりげなく指を差し出すと、咲人はそれをぎゅっと力強く握りしめ、雅は優しく微笑んでいる。
その状況が可愛すぎて悶える。優しい父親の姿も、咲人の父親を求める姿も、すべてが尊い。
「どう? 初めての育児」
「大変だけど、可愛くて仕方ない…。こんな天使がここに居ていいの!?ってなる……」
「親バカなんだよ」
「何よ、あんたこそそう思うでしょ」
「さあ」
そう言って煙に巻いているけれど、雅だって咲人が可愛くて仕方ないはず。
今だって、私の腕から咲人をひょいと略奪すると、ずっと指で頬をつついたりしてちょっかいを掛けている。
本当に素直じゃない男。面倒だけれど、これこそがこの男の、不器用で深い愛情表現だと思うと、そんなところも愛おしく感じる。
「雅さんがお父さんか。何で、そんなイケメンなんですかね? 俺の父さんデブで、格好良くもないんすけど……、咲人くん羨ましい」
「お前の親父も思ってるよ。俺の息子ちゃらんぽらんなんだけどって」
「それはそうっすね」
認めるんだ、と思わず吹き出してしまった。
こういう裏表のない素直さが、颯くんの憎めないところだ。
雅がふと表情を和らげ「お前のそういう素直なところは、可愛いと思うけどね」と零した。その発言に好きが渋滞して、目の前がチカチカした。
突然のデレに、颯くんも感動に震えながら両腕を広げる。
「み、雅さん……!」
「きもいからその顔でこっち見てくんな。困る」
感動をぶち壊す冷徹な一言で、颯くんを奈落の底へ突き落とす。
上げて落とすなんて、なんて酷い男。
これもツンデレなこの男のやり方だけれど。
「もう少し優しくしてあげなさいよ」
「いいの、颯はこれで」
「雅も颯を可愛がりたくて仕方ないんだよね」
「余計な事言うなよ、玲」
この空間、尊さが渋滞しすぎていて苦しい。
視界にはイケメンしかいないし、会話はどこまでも微笑ましい。
⋆⸜
咲人をチャイルドシートに乗せ、家までの道を雅の運転で進む。
私は後部座席で、その隣に座ってすやすやと眠る咲人を見守っていた。
「やっぱバーの雰囲気好き。もう中々行けないけど、あの空気感安心する」
「少しでも気分転換になったんなら良かったな」
「今度は雅が復帰したら行きたいな。またあんたがお酒作る姿見に行きたい」
そう言うと、バックミラー越しに雅と目が合った。あいつはふいと視線を逸らし「いつでも」と小さく呟いてから、再び前方の道へと意識を戻した。
バーで働く男性を見て格好いいなんて思ったことは一度もなかったけれど、雅の姿だけはずっと見ていたいと思う。顔がいいおかげか、何時間見ていても飽きない。
同時に、営業職だった頃の、スーツを着て朝からバリバリ働いていた雅の姿も、少しだけ見てみたいと思った。
「営業の時の写真とか無いの?」
「あんじゃん? 探せば」
「スマホ貸してよ」
雅はポケットから無造作にスマートフォンを取り出すと、手元を見ずに私の方へ差し出してきた。
受け取ったものの、画面に表示されたPINコードの入力画面で手が止まる。
「ねぇ、何番?」
「当ててみれば?」
「教えてくれたって良いじゃない」
雅の誕生日を入れてみるが、弾かれる。
咲人の誕生日も試してみたが、それも違った。
「大学時代から変わってないから、咲人の誕生日では無いな」
「ええ? 大学から一緒……? 学籍番号の下四桁とか?」
「もう覚えてねぇよ、そんなん」
全く想像がつかない。
0000と適当な数字を入れてみるが、どれも不正解。
ついには一分間のロックが掛かってしまい、その間も私は頭を捻った。
「……あ、玲くんの誕生日だ」
「そんなきもい事言うな」
これだ! って思ったのに。
「そこまで鈍感だったら何も気付けなくて大変だな」
「何でだろう、勘の良い方だって自分では思ってたんだけどなあ」
「お前は自分の事を弾きすぎなんだよ。自分の誕生日忘れたり」
さらりと言われ、ロックが解除されたタイミングで、半信半疑のまま自分の誕生日を打ち込んでみた。すると画面が開いた。
まさかのホーム画面に設定されていたのは、大学時代に撮ったあのツーショット写真だった。
まだ付き合いを隠していた頃。うっかり画面を開きっぱなしにして友人に見つかり、散々揶揄われた、あの日の写真。
「え、これ……」
そこには、少し幼い私達が、あの頃のまま笑っている。
何度も機種変更を繰り返してきたはずなのに、この長い月日を、雅はずっとこの写真と一緒に過ごしてきた。
雅を見ると何食わぬ顔でハンドルを握っているけれど、この一枚の写真が、彼の五年間の片想いと言っていたのが真実であったことを肯定していた。
お互いのプライバシーに踏み込まなかったから、今の今まで全く知らなかった。ロック画面は咲人の写真に変えていても、このホーム画面だけは、大切に変えずに居てくれていた。
バックミラー越しに目が合うと、雅は真顔だった。
「何嬉しそうな顔してんの。めんどいから変えなかっただけな?」
「嘘吐き。ロック画面は律義に変えてるのに? というか、別れてた間もずっと私の事考えてたの?」
揶揄う様に言えば「スマホ取り上げんぞ」と低い声で脅され、私は慌ててスマートフォンのギャラリーを開いた。
そこには咲人の写真はもちろん、いつの間に撮ったのか私の寝顔や、友人たちとの賑やかな写真がかなりの枚数保存されている。社交的だった雅らしく、私の知らない彼の時間もそこには確かに存在していた。
「私の全く知らない写真もある」
「そりゃそうだろ。全部知ってたらこえーし」
再会してからSNSとかは全部チェックしてたけど……、なんて言葉は敢えて黙っておいた。
ギャラリーを遡ると、スーツ姿で同僚達と写っている写真が何枚か見つかった。
カメラを向けられ、少し気の抜けた表情で写る雅。不意を突かれたのか、笑っているわけでもなく、ただきょとんとした顔をしているのがなんだか可愛くて、思わず吹き出してしまった。
「この先輩との写真多いね」
「よく俺と写真撮って、これで女との飲み会立ててたからな」
「うわ、ずる」
雅の顔をダシにして女性を釣っていたのかと思うと、なんだか複雑な気分だ。
きっと職場以外でも、そんな風に利用される機会は腐るほどあったと思う。雅本人が悪いわけではないけれど、彼がそんな風に消費されていた事実は、私からしても決して気分のいいものではなかった。
「あんたは嫌じゃ、なかった?」
「いや、慣れてたし職場の人だからどうでも良かった。俺は飽きたら勝手に帰ってたし」
「遊んだ時もあったでしょ?」
「それは……、って、そんなこと聞きてぇの?」
「ただの興味、と言うか遊んでいたって言われても驚かないし」
この男の女性関係の話には、もう免疫がついている。
ただ、そんな風に利用されるだけの関係がなくなればいいのにと、そんなことをぼんやり思っただけ。雅の不誠実な過去を今さら聞いたところで、もう引いたりなんてしない。
「ま、そういうこともあったんじゃん? モテてたし」
「本当清々しいわね、あんた」
呆れ混じりに笑ってスマートフォンを返すと、雅は片手でハンドルを握りながら、器用にそれを受け取った。
「そう考えたら昔から、重たい……」
「今言う? それ。てか今更だろ」
「大学時代考えたら信じられないでしょ……」
「大学時代をそもそも覚えてない。何年前の話してんだよ」
何年前、なんて言葉が口をつくと、自分たちも随分と年を取ったのだなという実感が湧いてくる。
雅と二度目に一緒になれてからは、まだそれほど時間は経っていないのに。
T
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コメント
1件
このエピソード、もう本当に尊くて胸がいっぱいになりました。雅さんのツンデレな愛情表現にずっとニヤニヤしっぱなしでしたよ。特にスマホのホーム画面、あの五年間の片思いが一枚の写真に凝縮されていて、思わず「ああ…」って声が出ました。咲人くんの成長やバーの温かい空気感も素敵で、三人の生活がこんなに幸せに満ちているのが本当に嬉しい。そして颯くんとのやり取りも最高でした。愛情深い世界をありがとうございます、陽瀬さん。