第一話 : 『 主従の境界線 』
「…今謝れば…許してあげるっすよ?」
低く冷たい声音でそう囁きながら、切原赤也は跡部景吾の頭を無遠慮に踏みつけた。革靴の先が、まるでその尊大なプライドを砕くかのようにじわじわと圧力をかけていく。
「…ッ、謝るわけ…っ…ねぇだろ…ッ…!」
悔しそうに歯を噛み締めながらも、跡部は震えた声で抗った。しかし、声の端には微かに滲む愉悦ーー否定できない本能的な快楽があった。
ーー切原はくすりと笑う。その笑みは、どこか幼さを残しつつも、残酷で嗜虐的だ。まるで獲物をいたぶる子犬のように、嬉々として跡部を見下ろしている。
「へぇ…本当にドMなんすね、跡部さんって」
舌を這わせるような言葉に、跡部の喉がごくりと鳴った。見下されるなんて、昔の自分なら到底許せなかった。だが今は…この“下からの視線”にさえ、身体が疼く。
「赤也…テメェ、誰に向かって……ッ」
「黙っててくれます?そうじゃないと、もっと強く、踏んじゃいますよ?」
ぐっと力が込められる。跡部の頬が歪み、息が漏れる。
「ッ……!くっ、…は…」
「跡部さんが強がれば強がるほど、俺、楽しくなっちゃうんすよね」
無邪気な声には、快楽の匂いと支配の欲望が混じっていた。切原にとって、跡部はもはや“頂点に立つ王”ではない。ただの“自分の手の中で喘ぐおもちゃ”なのだ。
「ねぇ、跡部さん。…もう、素直になっちゃいましょうよ」
その声は甘く、優しくさえあった。
だけどその優しさは、跡部の誇りを削ぎ落とすための“毒”だった。
跡部の目が、ゆっくりと切原を見上げた。憎しみとも快感ともつかぬ色を宿して。
「テメェの…その顔、いつか絶対…後悔させてやる…」
「へぇ?それ、ベッドの上でも同じこと言えたら、俺ちょっと惚れちゃうかもっすね」
ふふっと笑って、切原はさらに自身の足に力を込めた。
――主従なんて、最初から存在しない。
この関係にあるのはただ一つ。
快楽と屈服の境界線を、踏みにじる者と、踏みにじられる者。
そして――どちらも、それを望んでいるという事実。
✽✽✽
切原は跡部の頭を踏みつけていた足をゆっくりと下ろすと、彼の顎をすっと指先で持ち上げた。
「意地張るのも、そろそろ終わりにしません?」
耳元で囁く声には、色と毒が混じっている。跡部が何かを言い返そうとしたその瞬間――切原はにやりと笑って、その身体をぐいと押した。
「――ッ!おい、何すんだ、テメェ…ッ…っ、!」
ふわりとした感触。背中がベッドに沈む。
睨みつけるように見上げる跡部の瞳が、怒りと羞恥と、わずかな揺らぎに濡れている。切原はそれを見て、満足そうに口角を上げた。
「なーんだ、案外簡単に押し倒せましたね。俺、こういうの初めてっすけど…いいっすよね?」
「テメェ…っ、ふざけんな…!」
跡部は腕で身体を起こそうとするが、切原はその手首を軽く押さえつけて、跡部の身動きを封じる。
「ねぇ、跡部さん。ベッドの上でも俺が上でいいっすよね?」
その声音には、いたずらな少年のような無邪気さと、支配者のような絶対的な自信が同居している。
「テメェが…っ、上だと…ッ?…誰が、ッ、テメェなんかに屈するか…ッ!」
「あーあ、またそんなに強がっちゃって。…身体は正直なんすけどね?」
切原の手が、跡部の頬に触れ、そしてゆっくりと喉元、鎖骨、胸元へと滑っていく。その指先に、跡部は反射的に肩を震わせた。
「くっ…!や、めろ…赤也ッ…!」
「あは…、そんなふうに呼ばれたら…ちょっとゾクッとしちゃうじゃないっすか」
その声は、笑っていた。だけどその笑いの奥には、確かに熱があった。
もはや“いじめ”でも、“遊び”でもない。
これは――欲望だ。
切原赤也という名の、黒く蠱惑的な欲望。
ベッドの上で、跡部のプライドはじわりじわりと溶かされていく。
だがその顔は、明らかにどこか…恍惚すら浮かべていた。
ー続