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#フライギ
にもあえ
229
その考えだけが、谷を吹き抜ける冷たい風よりも深く胸へ突き刺さっていた。
爆風が収まっても、誰もすぐには動かなかった。
焼け焦げた地面からは白い煙が細く立ち上り、さっきまで人型を保っていた残骸は見る影もなく砕け散っている。
証拠を消すため。
そう考えるのが最も自然だった。
これほど精巧な構造を持ちながら、破壊された瞬間に自壊まで組み込まれている兵器など、人間軍の常識だけでは説明が付かない。
俺は慎重に焦土へ近付き、焼け残った破片を一つずつ確認していく。
木片は炭になっていた。
金属も高熱で変形し、内部の紋様はほとんど判別できない。
回収できるものは何も残っていない。
そう思った時だった。
土へ半ば埋もれるように、小指の先ほどしかない黒い欠片が目へ留まる。
結晶だ。
中心部へ埋め込まれていたものと同じ材質に見える。
爆発の衝撃で偶然飛び出したのか、それとも内部まで熱が回らなかったのかは分からない。
俺は周囲を確認してから素早く拾い上げ、布へ包んで懐へしまう。
「何かあったんですか」
しゆらが小声で尋ねる。
俺は懐を軽く押さえながら頷いた。
「まだ分からない。ただ、研究できるものが一つだけ残った」
それ以上は言わなかった。
今この場で詳しく説明する時間はない。
何より、この欠片が何なのか俺自身まだ理解していない。
大和は周囲を見渡しながらゆっくりと黒い靄を消していく。
先程まで森を覆っていた圧力が薄れていくにつれ、張り詰めていた空気も少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「長」
千代が静かに歩み寄る。
腹を殴られた衝撃はまだ残っているはずなのに、そのことには一切触れず、大和の右腕へ視線を落としていた。
黒い靄が消えた腕は微かに震えている。
本人は隠しているつもりなのだろう。
長年見てきた千代には誤魔化せなかった。
「無理をしたじゃろう」
責めるような声ではない。
心配するような声だった。
大和は小さく首を横へ振る。
「問題ない」
「問題ある」
即座に返す。
「さっきの力を使えばどうなるかくらい儂でも知っておる」
しばらく沈黙が続く。
その沈黙を破ったのは大和ではなくミズキだった。
「今日は千代の勝ちじゃな」
全員がそちらを見る。
ミズキは和傘を肩へ担いだまま苦笑していた。
「昔なら、あやつは何を言われても『問題ない』で終わらせておった」
そう言って大和へ視線を向ける。
「今は違う」
大和は何も言わない。
否定もしない。
「お主が怪我をした瞬間、あやつは冷静さを捨てた」
その一言で千代の身体が小さく震えた。
「儂は何百年も見てきたが、あやつが感情だけで飛び出したのは数えるほどしかない。その数少ない理由のほとんどに、お主がおる」
千代は俯いたまま黙っている。
何を返せばいいのか分からないのだろう。
大和もまた視線を逸らしたまま何も言わない。
その沈黙が何より雄弁だった。
二人とも言葉は不器用だ。
だからこそ、行動だけは誰よりも正直だった。
俺はそんな二人を横目に見ながら、谷の奥へ続く人間軍の足跡へ視線を移す。
隊列は既に見えない。
護衛も消えた。
フードの男――いや、人形だったものだけが、この場に確かに存在していたという事実だけを残して。
「戻りましょう」
しゆらが静かに言う。
その声で全員の意識が現実へ戻る。
ここで得られた情報は十分過ぎるほど多い。
これ以上深追いすれば、今度こそ本当に敵の本隊と鉢合わせる危険がある。
大和も短く頷き、街へ戻るため踵を返した。
帰る道のりは来た時よりずっと重かった。
人間軍の兵器は、もはや人間だけの技術では説明できない。
その確信だけを胸へ抱えながら、俺達は来た道を辿るように森を引き返していた。
行きと違い、誰も口を開かない。
枝を踏まないよう慎重に足を運ぶ音と、遠くで沢が流れる音だけが静かな森へ溶け込んでいく。
今回の遠征で得たものは多かった。
先遣隊の規模。
装備。
補給体制。
そして、あの人形。
情報だけを並べれば十分な成果と言える。
それでも胸の奥へ残った不安だけは、歩くたびに少しずつ重くなっていった。
あの技術は誰が作った。
あの紋様は何のために刻まれていた。
あの黒い結晶は何だった。
考えれば考えるほど疑問は増え、答えだけがどこにも見つからない。
そんな沈黙を破ったのは大和だった。
「一度止まる」
短い言葉と共に歩みを止める。
全員が自然と周囲へ視線を巡らせるが、敵の気配はない。
森も静かだった。
「千代」
名前を呼ばれた千代は少しだけ驚いたような表情を浮かべる。
「傷を見せろ」
「……平気じゃ」
反射的にそう答えたものの、大和は静かに首を横へ振った。
「平気かどうかは俺が決めることではない」
穏やかな声だった。
叱責でも命令でもない。
ただ仲間を案じる者の声だった。
千代は観念したように苦笑すると、羽織を少しだけめくる。
腹部には拳大の痣が広がり始めていた。
人間なら立っていることすら難しい衝撃だったはずだ。
それでも千代は痛みを表へ出さない。
「思ったより浅いな」
大和は傷口へ触れることなく様子だけを確かめ、小さく息を吐いた。
その表情から張り詰めていたものが少しだけ抜けていく。
千代はそんな横顔を見つめながら、何かを言おうとして言葉を飲み込んだ。
代わりに小さく頭を下げる。
「……すまなかった」
森の中へ静かな声が落ちる。
「あの時、お主の言葉を聞いておれば無駄な戦いにはならんかった」
大和はしばらく何も答えなかった。
責めるのかと思った。
違った。
「生きているならそれでいい」
それだけだった。
千代は目を閉じる。
その一言だけで胸がいっぱいになってしまったのだろう。
少し離れた場所からその様子を眺めていたミズキは、誰にも聞こえないほど小さく笑みを漏らしている。
「あれだけ鈍い二人が少しずつ前へ進んでおる」
独り言のような呟きだった。
俺の隣へ立つしゆらも、その二人を見ながら柔らかく微笑んでいる。
「良かったですね」
「何がだ」
「ちゃんと伝わってきているからです」
その言葉の意味はすぐに分かった。
言葉ではない。
態度でもない。
互いを思う気持ちだけは、もう隠し切れなくなっていた。
俺は少しだけ笑みを浮かべると、その視線を森の奥へ向ける。
まだ街までは半日ほど掛かる。
だが、俺の頭の中では既に別のことを考え始めていた。
懐へしまった黒い結晶の欠片。
あれを調べれば何か分かるかもしれない。
いや、分からなければならない。
人間軍の背後にいる何者かへ近付く唯一の手掛かりが、今はあの小さな欠片しか残されていないのだから。
夕日が森を赤く染め始めた頃、ようやく木々の隙間から建設中の防壁が姿を現す。
見張り台の上にいた半魔が俺達へ気付くと、大きく腕を振り、その合図は次々と街中へ伝わっていった。
街へ戻ったことを知らせる鐘が静かに鳴り響く。
その音を聞いた瞬間、俺はようやく一つの遠征が終わったのだと実感する。
だが同時に、その遠征で持ち帰った情報が、この街の未来を大きく変えることになるのだという予感も、胸の奥で静かに形を成し始めていた。
コメント
2件
今回もお疲れ様でした!戦闘後の静かな空気感がすごく良かったです。特に大和と千代の不器用なやり取りにじんわりきましたね…「生きているならそれでいい」の一言がめちゃくちゃ刺さりました。黒い結晶の欠片、これがどう話に絡んでくるのか気になりすぎます!次回も楽しみにしてます🔥