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「モフモフ禁止令」を発動してから、三日が経過した。
当初の私の目論見では、お触りという最大のご褒美を奪えば
二人の過剰な執着も少しは冷却期間に入るはずだった。
……しかし、現実は甘くなかった。
私の令嬢生活は静かになるどころか、かつてないほどの熱量と「騒がしさ」に包まれていた。
「アリア様! アリア様、見てくださいっ! 裏庭の草むしり、広大な公爵邸庭園の隅々まで、根っこ一本残さず全部終わらせました!」
バルコニーの窓の外から、けたたましい声が響く。
そこには、純白の執事服を土にまみれさせたルカが、膝をついてこちらを見上げていた。
大型犬獣人の驚異的な身体能力とスタミナを、あろうことか全区画の除草作業に注ぎ込むなんて。
おかげで庭園は、熟練の職人が数ヶ月かけて手入れしたかのように不自然なほどピカピカに磨き上げられている。
「褒めて……いえ、撫でなくていいんです! ルールですから!でも、見てるだけでいいので、頑張ったねって……その、褒めてくださいっ!」
ルカの黄金の瞳は、「撫でて!」という言葉にできない期待で爛々と輝き
背後の尻尾は猛烈な勢いで地面を叩いている。
その健気な姿はまさに、獲物を持ち帰った仔犬そのものだ。
けれど、私はあえて視線を逸らし、冷淡を装って紅茶を口にした。
「……ええ、偉いわね。庭が随分と広くなった気がするわね、ルカ」
「くぅぅん……っ!」
撫でられないショックで、ルカの耳が重力に負けたようにぺしょんと伏せられる。
そのあまりに露骨な不憫さに、私の右手が反射的にピクリと動いてしまった。
……だめ、我慢よアリア。
ここで一度でも許せば、三日間の努力が水の泡だわ。
すると、私の背後から冷ややかな、けれど鼓膜を甘く震わせる低い声が降ってきた。
「アリア様。あのような『筋肉』を誇示するだけの奉仕は二流、いえ、三流です。庭掃除など下男に任せればよろしいものを。……獣の野性味とは、時に思慮に欠ける」
いつの間に背後にいたのか。
セシルが、音もなく私の隣に立っていた。
彼は手にした銀のトレイを一点の曇りもなく置き直し、縁なしの眼鏡を指先でクイと上げる。
「私は、アリア様が最近お気に入りの恋愛小説シリーズ、全二十巻の内容をすべて完璧に暗記してまいりました」
「……文字通り、一字一句。どの巻のどの台詞でも、私の声で読み聞かせいたします。…もちろん、あなたが眠りにつくまで、あなたの枕元で、耳元で」
「えっ、全二十巻を!? あの、一冊五百ページは下らない大長編を、たった三日で?」
「左様です。あなたの好きな場面……例えば、第四巻の十六ページ。没落騎士が夜のテラスで姫に愛を乞う、あの情熱的な告白シーンから始めましょうか?」
セシルが、私との距離を絶妙に詰めてくる。
触れてはいない。
一ミリの接触もない。
けれど、彼の体温が肌に伝わり
微かに香る高価な石鹸と、冷徹な理性の奥に潜む「熱」が鼻腔をくすぐる。
「モフモフ禁止」というルールを完璧に守りつつ
彼は「言葉」と「雰囲気」という、触れるよりも濃密な手段で私をじわじわと攻め立てているのだ。
「セシル! 汚いぞ、知性でマウント取るなんて! アリア様、僕だって本の内容くらい覚えてます!」
「文字を読むのはちょっと……いえ、かなり苦手だけど、アリア様の好きなところなら、僕は細胞レベルで全部覚えてますっ!」
庭から飛び込んできたルカが、土埃を舞わせながら叫ぶ。
「右の鎖骨にある小さなホクロの形とか、寝起きに少しだけ声が掠れるところとか、甘いものを食べた時に右の頬がピクって動く癖とか……!」
「ルカ! ちょっと、余計なことを言わないでっ!!」
私は顔を沸騰しそうなほど真っ赤にして叫んだ。このワンコ、天然なのか確信犯なのか
たまにデリカシーが家出してとんでもない機密事項を暴露するのよね。
「ふん。観察眼もその程度ですか、駄犬。アリア様の美しさは、そのような表面的な情報に留まるものではありません。彼女の精神がいかに高潔で、それでいて私にだけ見せる無防備な隙がどれほど……」
「もう黙って、二人ともっ!」
私はパン、と両手で自分の頬を叩き、二人を黙らせた。
禁止令を出してからというもの、二人の「主様ポイント」獲得合戦は激化し、もはや飽和状態だ。
ルカは直球の物理奉仕と、時折見せる仔犬のような悲哀の瞳。
セシルは計算し尽くされた精神的独占と、時折見せる色気たっぷりの誘惑。
どちらも「触れてはいけない」という制限があるからこそ
その「触れたい」という強欲な熱量が
視線や言葉に乗りすぎていて……
正直、眩暈がするほど直視できない!
「……二人とも、少し落ち着いて?私、これから街へ買い物に行くわ。…一人で、静かに考えたいの。少し頭を冷やさせてちょうだい」
「「一人で!?」」
二人の声が、地鳴りのように重なった。
ルカの垂れていた耳が驚愕でピンと立ち
セシルの眼鏡の奥の瞳が、獲物を捉えた猛禽類のように細く鋭くなる。
「だめですアリア様! 外には、あなたのような清純な花を狙う悪い男…いえ、羽虫がいっぱい飛んでいるんです!僕の目が届かないところでアリア様がナンパなんてされたら……っ!」
「ルカの言う通りです。護衛もなしに単身で外出など、私の理性が到底許しません。……いえ、執事としての責任感が」
「大袈裟だって」
「もし不届き者があなたに指一本でも触れようものなら、私はその男の存在を社会的に、あるいは物理的に消さねばならなくなる。……それはお望みですか?」
「……もう。結局、こうなるのね」
私は深いため息をつき、天を仰いだ。
「モフモフ禁止令」を出したはずなのに
彼らの執着という名の炎に最高級の油を注いでしまっただけのような気がする。
果たして、この二人の「重すぎる愛」を制御できる日は来るのか。
私の平穏な令嬢ライフは、今日も遥か彼方の空へと消えていった。