森の奥
闇に沈む樹海の向こうに
一本のバカでかい桜の木がある。
そこに〝女〟がいる。
漸く最後の一人から
搾り取った情報だった。
俺は、既に勝ったも同然の気分だった。
長かった狩人狩りも
もう終わりだ。
俺は直ぐにでも
〝宝〟を手に入れられる。
ー不老不死の血ー
ー奇跡の涙ー
どちらも、俺のものになる。
血なんざ
絞り取ればいくらでも出る。
涙だって
女なら少し殴れば直ぐに流すだろう。
そう思った俺は
浮かれながら森の奥へと向かった。
⸻
森の奥へと足を踏み入れると
空気が変わった。
街の喧騒から切り離された静寂。
夜の闇に沈む木々は
どこか異質で⋯⋯
まるで
生きているようにざわめいている。
風が吹き抜ける度に
枝葉が微かに震え
不気味な囁きを漏らす。
でも、俺は気にしなかった。
これまで何度も
この森で狩人どもを狩ったんだ。
今さらビビる理由なんざ
何処にもねぇ。
森を抜けると
小高い丘が現れた。
その頂には〝桜の大樹〟が立っていた。
夜闇に浮かぶ、その巨大な樹。
月の光を受けて
白く光る花弁が舞う。
その姿はまるで
現実のものじゃないように
幻想的で⋯⋯
そして、何処か不気味だった。
「⋯⋯へぇ」
俺は思わず、息を呑んだ。
バカでかいとは聞いていたが
此処までとは思わなかった。
幹は太く
何百年も生きてきた事を示すように
しっかりと根を張っている。
枝は天を突く程に伸び
無数の花が咲き誇っていた。
まるで
この世のものとは思えない程
美しかった。
⸻
それにしても
こんな近くに
〝そんな大物〟がいたなんて
誰も知らなかったのか?
俺だって
今までこの街で生きてきたが
そんな話は
一度も聞いた事がなかった。
でも、よくよく考えてみれば
街の人間は決して
森に入ろうとしなかった。
ましてや
この丘へ登る事は
徹底的に禁じられていた。
ガキどもは
寝物語に聞かされるらしい。
「呪われたくなければ
なんびとたりとも
近付いてはならない」⋯⋯と。
⋯⋯俺には
そんな話をしてくれる奴なんざ
いなかったから
詳しい内容は知らねぇ。
だけど、聞いた事くらいはある。
大昔
この丘へ足を踏み入れた悪ガキどもが
全員相次いで不審な死を遂げた。
噂話程度の、くだらねぇ迷信だ。
そう思っていた。
俺にとっちゃ
そんな噂よりも
目の前の〝獲物〟の方が
よっぽど大事だった。
「⋯⋯呪い、ねぇ」
俺は鼻で笑う。
迷信なんざ
信じるつもりはなかった。
だって
この女は〝呪われた森〟だからこそ
此処に逃げ込んでるんだろ?
じゃあ
呪いなんてものはねぇって
証拠じゃねぇか。
俺は、そう確信していた。
そして、そのまま
何の迷いもなく
丘へと足を踏み入れた。
丘の頂上へ向かう途中で
俺はふと足を止めた。
妙だ。
今までの道とは、何かが違う。
踏みしめた土は
ただの獣道とは思えねぇ程
滑らかだった。
それどころか
随分と古くなってはいるが
〝整えられている〟ようにすら感じる。
まるで
誰かの手が
過去に入っていたかのように⋯⋯
俺はゆっくりと周囲を見渡す。
すると
道の両端に整然と並ぶ
〝桜の並木〟が目に入った。
まるで道を示すように
丘の頂上まで一直線に伸びている。
これは⋯⋯自然のものじゃねぇ。
〝植えられた〟ものだ。
つまり⋯⋯
この森にも、この丘にも
人が入っていた確たる証だ。
呪いの森?
立ち入ってはならない場所?
そんなの、迷信だろ。
俺は鼻で笑った。
そうだよな。
誰も近付かない筈の場所に
こんな〝道〟がある訳がねぇんだから。
結局のところ
ただのガキを脅す為の
作り話って事だ。
俺には
そんな寝物語を語ってくれる奴なんざ
いなかったから
内容なんて知る由もねぇ。
けど、こうして
実際に足を踏み入れちまえば
答えは明らかだ。
呪いなんざ、ありゃしねぇ。
俺は気楽に鼻歌を口ずさみながら
道を進んだ。
足取りは軽かった。
今日で俺の人生は変わる。
この手で
〝宝〟を手に入れるんだからな。
そして
俺は丘の頂上に辿り着いた。
⸻
目の前に聳えるのは
バカでけぇ桜だった。
目の前に立った瞬間
思わず息を呑んだ。
圧倒される
という感覚を初めて知った。
桜の巨木は
空へ向かって枝を広げていた。
幹は太く
根は丘の土をしっかりと
噛み締めている。
その姿は
ただの桜というには
あまりにも異様だった。
しかも⋯⋯
ー春でもねぇのに
満開に咲いてやがるー
枝という枝に咲き誇る白い花が
月光を受けて淡く輝いていた。
花弁が静かに舞う。
夜風に乗って、ふわり、ふわりと。
その光景は
息を呑む程に美しく
幻想的だった。
俺は⋯⋯知らなかった。
こんな景色が
この世にあることを。
街の中じゃ
空を見上げる余裕なんて無かった。
ただ食う為に
ただ生きる為に
地面ばかり見ていた。
だから
こんな美しさがある事すら
知らなかった。
⋯⋯綺麗だ。
そう思った。
けど同時に
背筋に冷たいものが走る。
何かがおかしい。
理屈じゃねぇ。
ただの桜の筈なのに
見てはいけないものを
見ているような感覚。
そして⋯⋯
俺は、見つけた。
桜の幹の根元。
其処に
〝それ〟は存在していた。
月明かりに照らされ
淡く輝く⋯⋯紅。
透き通るような
水晶のような結晶。
その中に⋯⋯
〝女〟が眠っていた。
俺は、一瞬
時間が止まったような錯覚に陥った。
⋯⋯なんだ、これは。
それは
桜なんて霞むほどの美しさだった。
水晶の中に閉じ込められたまま
祈るように胸の前で手を組む
〝女〟の姿。
長い金色の髪が
水の中のように揺らめいていた。
まるで光そのもののように淡く煌めき
流れるように広がっている。
形の整った唇は
触れたら柔らかそうなほど繊細で
肌は透き通るほど白い。
閉じられた瞼の下
そこから⋯⋯〝紅〟が滲んでいた。
俺は、凝視する。
水晶の中は
液体のようだった。
けど、それが何なのか理解するのに
そう時間は掛からなかった。
ーこいつは、泣いてやがるー
ー結晶の中で、延々とー
俺は、じっとその姿を見つめた。
動かない。
ただ
閉じられた瞼から紅が滲み続ける。
何度も、何度も。
止まる事無く、延々と。
それを見て、俺は……
何も思わなかった。
ただ
〝巨大な宝石〟を見つけた気分だった。
これを売れば
俺はもう一生
苦労なんざしなくて済む。
そう⋯⋯
ただ、それだけを考えていた。
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