テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「友達に戻る」と決めてからの葛葉は、明らかに変わった。ローレンに対して「あっち行け」とか「だだるい」といった、トゲのあるそっけない態度を、完全に封印したのだ。葛葉はローレンに対して、誰も気づかないような、自分がされたら嬉しい「些細な気遣い」を無意識にたくさん積み重ねるようになった。「あ、ローレン。そのジュース、冷たすぎて結露してる。ほら、ティッシュ」「ローレン、机の上に消しゴムのカス散らばってるぞ。これ、ゴミ箱に捨てるわ」「お前の荷物、カバンのチャック開いてる。閉めといた」奢る、とか、何か大きなプレゼントをする、といった派手なアプローチではない。ただ、ローレンが困る前にそっとフォローし、ローレンの周囲を常に快適に保つような、過保護で、細やかで、信じられないほど優しい気遣い。ローレンは、葛葉から「好きバレ」している状態だ。葛葉が自分のことを、男として、狂おしいほどに好きなことを、ローレンは嫌というほど知っている。だからこそ、葛葉から向けられる、その些細な気遣いの一つ一つが、最初は気遣われてるようでものすごく申し訳なかったが、ローレンの心臓を、ドキン、ドキンと、激しく揺さぶるようになった。(なんなんだよ、これ……。友達のままでいいって言ったくせに、なんで、こんなに優しいんだよ……)葛葉が、自分のためにそっと机の上を拭いてくれた時。葛葉が、自分が寒そうに肩を縮めた瞬間に、何も言わずにエアコンのリモコンを操作してくれた時。ローレンの顔は、自分でも制御できないほど熱くなり、葛葉の顔をまともに見られなくなっていった。
そんな中文化祭の準備期間に入り、放課後の教室はいつも以上に騒がしく、雑多な熱気に包まれていた。クラスの出し物は、ベニヤ板と暗幕を使った本格的なお化け屋敷だ。
「ローレン、そっちの暗幕引っ張って。脚立の上からタッカーで止めるから」
「おう、分かった」
イブラヒムの声に、ローレンは重い暗幕の端を抱えて位置を調整する。少し離れた教卓の近くでは、不破がクラスの女子たちに囲まれながら、お化け屋敷の音響に使うプレイリストについて「これ絶対怖いって! 雰囲気に合いまくりやん!」と、いつもの調子で賑やかに盛り上がっていた。
「おい、ローレン。手、それ」
突然、すぐ横から低く掠れた声が降ってきた。
振り返ると、木材を運んできたらしい葛葉が、額の汗を制服の袖で拭いながらローレンの手元をじっと見つめていた。
「え? 何?」
「ベニヤの角、ささくれ立ってんだろ。お前、さっきから軍手もつけないで直に触ってんじゃん。トゲ刺さるぞ」
「あ、本当だ。気づかなかったわ」
「ほら。これ使え。俺、もう木材運び終わったから」
葛葉は自分の両手から外した軍手を、ローレンの手にぽんと乗せた。まだ葛葉の体温がほんのりと残っている、少し大きめの軍手。
それだけではない。葛葉は何も言わずにローレンの足元へ視線を落とすと、床に散らばっていたタッカーの芯のクズや、木屑を、自分の上履きの先でローレンが踏まないようにそっと脇へ退けた。
「……っ、サンキュ」
ローレンの心臓が、ドキン、と大きな音を立てた。
耳の奥がカッと熱くなる。葛葉の顔をまともに見られなくて、ローレンは慌てて軍手に手を押し込んだ。
(まただ。なんで、こんなに……)
葛葉はあの日以来、「あっち行け」も「だるい」も言ってこなくなった。そして、このような誰も気づかないような、優しい気遣いばかりを、日常のあらゆる瞬間に、静かに積み重ねてくる。
ローレンが、葛葉から向けられているその巨大な好意の正体を、知らないはずがなかった。自分の前で自分の言葉で涙を流した葛葉。その事実が、ローレンの胸の奥を激しく、息ができないほどにかき乱す。
(……好き、かもな、俺も)
一度芽生えてしまった自覚は、準備期間の数日間で、グラデーションのように確固たるものへと変化していった。作業中に視線が合うだけで、葛葉がさりげなくジュースを差し出してくれるだけで、胸の奥がぎゅうっと苦しくなっていた。
そして迎えた、文化祭当日。
校内は他校の生徒や保護者で溢れ返り、お祭り特有の浮ついた狂騒に包まれていた。
「あー、マジで疲れたわぁ。軽音部の助っ人、3ステージぶっ続けはさすがに指がもげそう」
お昼過ぎ。不破がネクタイを緩め、ブレザーを肩に引っ掛けながら、出待ちをしている女の子を避けて裏校舎の渡り廊下に避難してきた。その手首には、他校の女子生徒から貰ったらしいカラフルなミサンガやラバーバンドがいくつも巻き付いている。
「お疲れーw湊。相変わらず大盛況ですやんw!」
「ローレンもお疲れー。ろれこそお化け屋敷の受付、女子の列途切れんかったらしいやん」
「いや、俺はただ突っ立ってチケット回収してただけだって」
ローレンが苦笑いしながら、自動販売機で買った冷たい缶コーヒーを不破に手渡す。ローレン自身のポケットにも、受付のシフト中に「よかったら食べてください!」と女子後輩たちから押し付けられた小さな焼き菓子がいくつか入っていたが、本人はそれをただの「差し入れ」として有難く受け取っているだけだった。
「はー……マジでうるさい、人多すぎ」
遅れてやってきたのは、気だるげに紙パックのイチゴオレを飲みながら、完全に不機嫌そうなオーラを放っている葛葉と女の子からの手紙を受け取らないように両手でスマホをいじっているイブラヒムだった。
葛葉はクラスTシャツの上に黒のカーディガンを羽織り、前髪を重めに下ろしている。その端正でどこか近寄りがたいクールな容姿は、周囲の女子生徒たちの目を嫌でも引いていたが、本人は1ミリも周囲に興味がなさそうだった。
「葛葉、お前もシフト終わり? 焼きそば、まだ残ってたから買ってきたぞ」
ローレンがクラスの模擬店の焼きそばを差し出すと、葛葉は一瞬だけ目を見開いたあと、そっぽを向いて受け取った。
「……おう。サンキュ。お前、ちゃんと昼飯食ったのかよ」
「俺はさっきイブラヒムと食った」
「そう。……お前、制服の襟、折れてんぞ。ほら」
葛葉がごく自然に手を伸ばし、ローレンのシャツの襟を優しく直した。指先が、ローレンの首筋にほんの少しだけ触れる。
「っ……!」
ローレンは思わず肩を跳ね上げ、一歩後ろに下がってしまった。
「あ、わりぃ。嫌だったか」
葛葉が少しだけ傷ついたような、申し訳なさそうな顔で手を引く。
「いや! 違う、嫌とかじゃなくて!……ちょっと、びっくりしただけだから!」
ローレンは赤くなりそうな顔を必死で誤魔化すように、大声を上げて笑った。その頑なな態度に、葛葉は(やっぱり、俺の気遣いも、触れられるのも、ただの友達としてしか見られてないんだな)と、心の中でひっそりと唇を噛み締めていた。
「なーーんか、やっぱりあの二人、ええ雰囲気やと思わん?」
焼きそばを口に運ぶ二人を見ながら、不破が隣のイブラヒムの片耳に手をあてて小さい声でで話す。
イブラヒムは、ローレンの首筋が真っ赤になっていること、そして葛葉がそれを見て切なそうに視線を落とした瞬間を、すべて正確に観察していた。
(いや、こないだは違うって思ったけど今回はガチじゃねw。葛葉教室出てった後なんかあったんかな、めっちゃおもろいんだけど)
全てを把握できているイブラヒムは、全部説明するのもめんどくさかったため、自分だけで楽しむことにし、
「かもな。まぁ、俺ら全員彼女いない歴=年齢の非モテ同盟なんだから、仲良く文化祭楽しもうぜ」
「非モテは草なんよw いぶちゃんはいつでも作れるでしょ!」
葛葉がいつものように冗談をいい、不破が「俺は笑顔にしたいから彼女つくらんだけなんよ〜」とケラケラ笑う。ローレンもその賑やかな輪の中で一緒になって笑いながら、胸の奥にある鍵を、さらにきつく締め直していた。
(これでいい。葛葉がこうして俺の友達でいてくれるなら、この気持ちは、誰にも言わずに卒業まで持っていこう)
溢れそうな愛おしさを、サバサバとした笑顔の裏に隠して。
夕暮れ時の文化祭の喧騒の中、二人の歪ですれ違った「優しい境界線」は、誰にも暴かれないまま、ただ静かに保たれ続けていた。また、長らく壊されることもなかった。なぜならローレンは告白しようとは微塵も思っていなかったからだ、一度「友達でいよう」と言い、相手の告白を断らせてしまった以上、今更「やっぱり俺も好き」などと、葛葉の優しい心をこれ以上かき乱すようなことは、絶対にしてはいけない。(葛葉は、あの告白の後、振られたことでちゃんと気持ちを整理して、本当に『友達として』俺に優しくしてくれてるんだ。あの些細な気遣いも、友達としてのもの。……葛葉は、もう俺のことを恋愛的には好きじゃないはずだ)そう、思い込んでいた。葛葉があまりにも普通に振る舞い、友達の境界線を完璧に守り通していたからこそ、ローレンは「葛葉の気持ちは、もうとっくに冷めている」と誤解してしまっていたのだ。だからこそ、この恋は、胸の奥にそっとしまって、おこうと決めてしまっていたのだ。
文化祭も終わり、高三の主要な全ての行事が終わって落ち着いたローレンもだいたい気持ちの整理がつき、この恋は、胸の奥にそっとしまって、卒業したら物理的に距離が離れるため「美しい思い出」になるかなぁなど、完全に諦め、新しい大学受験の準備などをしていた。
#どろどろ系
るぅな🐰🖤
1,310
コメント
1件
いやもう、このすれ違いが辛すぎます…!葛葉の「気付きたくないくらい優しい気遣い」の積み重ねが、ローレンの心臓を確実に掴んでるのに、お互いが「もう好きじゃないはず」って誤解し合ってる感じが胸苦しいです。特に襟直しのシーン、触れた瞬間のローレンの反応とか、その後の葛葉の「嫌だったか」って顔、刺さりました。文化祭の喧騒の中での二人の静かな距離感が切なくて…続きが気になります!