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夜が、完全に校舎を覆った。
屋上の空気は、さっきまでとはまるで別物だった。
重い。
息が詰まるような、圧。
見えない“境界”が、幾重にも重なっている。
風が吹くたびに、それが軋む。
ギシ、ギシ、と。
「……はは」
つかさが笑う。
「楽しい、この感じ」
まるで遊園地に来たみたいな声。
その隣で、にうもくすくす笑っている。
「たのしい」
狐のお面の奥で、目が細くなる気配。
「みんな緊張してる」
花子くんは一歩前に出る。
ゆうなを背にかばう形で。
「……最後に言うよ」
静かな声。
でも、はっきりと通る。
「今なら、まだ引き返せる」
にうは首をかしげる。
「引き返す?」
「なんで?」本気でわからない、という声音。
「だって、自分たち」
にうは手を広げる。
「悪いことしてないよ?」
「悲しい人を、笑わせてるだけ」
その言葉に、ゆうなの拳が震える。
(……違う……)
(あれは……)
思い出す。
さっきの“教室”。
笑っていた“自分”。
でも中身は空っぽで、歪んでいて――
「……それ……」
ゆうなが小さく言う。
にうの視線が向く。
「……笑ってない……」
声が震える。
それでも続ける。
「……あれ、笑ってるんじゃなくて……壊れてるだけだろ……」
沈黙。
ほんの一瞬。
にうが、ぴたりと動きを止める。
風が止む。
空気が、張り詰める。
「……そっか」
にうがぽつりと呟く。
「君、そう思うんだ」
その声は、さっきより少しだけ低い。
でもすぐに――
「でもね」
にこっと笑う。
「壊れても笑ってたら、それでよくない?」
その一言で。
何かが、完全にズレたとわかる。
花子くんが小さく息を吐く。
「……やっぱりダメだね」
帽子のつばに触れる。
「話が通じる段階じゃない」
つかさが楽しそうに手を叩く。
「じゃあやろっか」
「ね、にう」
にうはうなずく。
「うん!」
その瞬間。
――パキン。
何かが割れる音。
空間がひび割れる。
屋上の景色が、ぐにゃりと歪む。
「……っ!」
ゆうなが息を呑む。
目の前の世界が変わっていく。
コンクリートが消え。
フェンスが溶け。
代わりに現れるのは――
無数の“舞台”。
笑い声。
拍手。
スポットライト。
「ここが自分の“境界”」
にうの声が響く。
どこからともなく。
「ムソウキツネの舞台だよ」
無数の仮面が、宙に浮かぶ。
全部、笑っている。
同じ顔。
同じ笑顔。
「ここではね」
「みんな、笑うの」
ゆうなの背筋が凍る。
「……花子くん……」
小さく呼ぶ。
花子くんは落ち着いたまま、周囲を見ている。
「大丈夫」
短く言う。
「境界なら、対処できる」
その横で、つかさが楽しそうに歩き回っている。
「すごいよ、、これ」
仮面を一つ手に取る。
「全部同じ顔」
にうが笑う。
「だって、みんな同じでいいでしょ?」
「笑ってるなら」
その言葉と同時に――
仮面たちが、一斉にゆうなへ向く。
ゾワッ、とした気配。
「ねえ」
「笑おう?」
「笑って」
「楽しって」
無数の声。
同じトーン。
同じ“優しさ”。
ゆうなの足がすくむ。
(……来る……)
(また、あれだ……)
身体が動かない。
そのとき。
トン、と肩に手が置かれる。
「目、閉じな」
花子くんの声。
「……え……」
「いいから」
少しだけ強い口調。
ゆうなは反射的に目を閉じる。
次の瞬間。
パン、と乾いた音。
空気が切り裂かれる。
「――散れ」
花子くんの低い声。
ザーッ、と何かが崩れる音。
しばらくして。
「もういいよ」
目を開けると――
仮面の数が、明らかに減っている。
いくつかは、床に落ちて割れていた。
にうが目を丸くする。
「……へえ」
「ちゃんとやるんだ」
少し嬉しそうに笑う。
つかさもくすくす笑う。
「そりゃ七番だもん」
そして、ゆうなを見る。
「ねえ」
にやりと笑う。
「君もやってみれば?」
「……は……?」
「言葉でさ」
🎤を持つ真似をする。
「君の“領域”でしょ?」
ゆうなの心臓が跳ねる。
(……俺の……)
(コトダマ……)
確かに。
ここに来る前。
あの放送室で。
言葉が“現実”を変えた。
「……でも……」
怖い。
また、間違えるかもしれない。
つかさが笑う。
「また中途半端にする?」
その一言が刺さる。
ゆうなは歯を食いしばる。
(……違う……)
(もう……)
ゆっくりと、息を吸う。
そして。
一歩、前に出る。
花子くんがちらりと見る。
何も言わない。
ただ、任せるように。
ゆうなは口を開く。
「……ここにいるやつらは……」
声が震える。
でも止めない。
「……全部、偽物だ」
その瞬間。
空気が揺れる。
仮面たちがざわめく。
「……笑ってるだけのやつなんて……いらない」
一歩、踏み出す。
「……ちゃんと……」
拳を握る。
「ちゃんと、感情があるやつだけでいい」
沈黙。
そして――
パキン。
仮面の一つが割れる。
続けて、二つ、三つ。
連鎖的に、崩れていく。
にうの動きが止まる。
「……あれ?」
少しだけ戸惑った声。
「なんで……」
つかさが、くすっと笑う。
「いいじゃん」
「効いてるよ」
花子くんも小さくうなずく。
「そのまま続けて」
ゆうなはさらに言葉を重ねる。
「……俺は……」
少しだけ迷って――
それでも言う。
「……無理に笑わなくていい」
その一言で。
残っていた仮面が、大きく揺れる。
にうの表情が、初めてわずかに歪む。
「……それ……」
小さく呟く。
「ダメだよ」
声が、少しだけ揺れている。
「笑わないと……」
「楽しないから……」
そのとき。
風が強く吹く。
狐のお面が、カタカタと鳴る。
ヒビが、じわりと浮かぶ。
ほんの少しだけ。
「……にう」
つかさが呼ぶ。
その声は、少しだけ柔らかい。
にうは黙る。
しばらくして――
ゆっくりと顔を上げる。
そして。
いつもの笑顔で言う。
「……じゃあ」
「もっと、強くやるね」
その瞬間。
境界がさらに歪む。
笑い声が、何倍にも膨れ上がる。
花子くんが一歩前に出る。
「……来るよ」
ゆうなも息を整える。
(……逃げない)
(今度は)
つかさがにやりと笑う。
「第二ラウンドだね」
夜の屋上は、完全に“別の場所”になっていた。
そして――
戦いは、まだ終わらない。