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おれからすれば、母が何故あんな男を選んだのか、理解が出来なかった。
おれの知る父は、いつもコントローラーを握っている。リビングでみんなが見たいテレビがあるのに、ひとりだけサッカーを見て騒いで。うちにテレビはもう一台、リビングに続く部屋の、母が使うパソコンの正面にあるのだが、食事をしながらだとそのテレビが見られない。家族の暗黙の圧力にも負けず、父は、テレビを占有した。
例えば、我が儘を押し通す父を除け者にする手もあったであろう。
けれど、『可哀想』という情が働いて、それは出来なかった。
それに、父の機嫌が悪くなると家の空気が悪くなる。
父と母の経済状態は知らないが、おそらく裕福なほうであろう。旅行などのイベントごとには、父が金を出しているようだった。それから、不意の出費など。なにか欲しいものがあれば、おれたちは意図的に母がいないときを狙った。そして、ゲットする。けども、母が悲しそうな顔をするのでその機会も徐々に減っていった。
出し惜しみをしない父と、倹約に務める母。その二人の姿は、おれの目には幼い頃から対照的に映った。
父は、人生を『思い出作り』だと語った。サッカーのことになるとひとが変わったようになり、おれにサッカーをさせたがった。
幼い頃には何度も多摩川にサッカーの練習をしにいった記憶はあるのだが。父は、おれの才能のなさに、失望したようだった。見る者が見ればボールタッチだけで才能のほどは読み取れるのだ。
おれは、別に、サッカーに興味がないというわけではなかったが。面白いことは分かる。が、九十分も画面に張り付くのは無理だった。そんな暇があるなら、パソコンをいじったり、本を読んだりして過ごしたい。
パソコンも本も、自分ひとりでは絶対に思いつけない他人の思考に触れられるところが面白い。自分で言うのもアレだが、そこそこ知能は高いと自負している。辞書や、図鑑を読むのも好きで、同じ年代の子どもに比べると、ボキャブラリーは豊富なほうだと思う。――特に、小説や専門書を読むと鍛えられる。分からない単語は必ず辞書で調べた。お陰で、自宅で本を読むときは常に、パソコン画面を開きながらとなる。紙の辞書も好きだが、調べるならPCのほうが断然速いのだ。
姉が中学に入った頃から、一緒の部屋を嫌がるようになり、リビングに近い部屋が姉の部屋、廊下を挟んでリビングとは反対方向にある空き部屋がおれの部屋となった。
その部屋は、父の寝室の隣の部屋であり、父の気配をより如実に感じられるようになった。
なお、母はリビングに布団を敷いて寝ている。リビングに続くあの部屋は実質母の部屋のようなものだ。リビングに母の気配が感じられても不愉快でもなんでもないのに、隣に父がいるのだと思うとなんだか、落ち着かない気持ちにさせられた。
とはいえ、一人部屋を与えられたことはおれを幸福にし、自由にさせた。それこそオナニーなんかトイレでしか出来なかったのが、堂々と部屋で出来るのだ。動画を見ながら。
パソコンにハマる者であれば大概ゲームにもハマるのだが。意外と、おれはゲームにはハマらなかった。親父があれほど没頭し、家族を蔑ろにした恨みつらみがあるのが一点。
もう一点は、刺激としてあまりに強すぎる点である。
例えば、おれはカフカの『変身』が好きであるが、あれをゲーム化などしたらさぞグロいことになるだろう。母曰く、その昔、『ザ・フライ』という映画が地上波で放映されていたらしいが。あれはいまなら放送出来ないかもしれない。
小説は、映像がないぶん、考える余白がある。だから、おれは、小説が好きだった。
勿論、ドラマや映画にもそれなりのよさがある。ツイッターと連動してキャーッと女子たちを釘付けにする魅力は、小説には、ない。それが一番得意なのはドラマだ。
父は、サッカーゲームの動画中継にやたらと夢中だが、その声がおれは嫌いでたまらなかった。おれが小説を読むのは、脳内で声を自分で作成出来るから、それが理由でもある。何故にゲームの実況はあんなにも早口でだみ声なのだろう。苦手である。
苦手なものの多いおれは音楽もよく聴いた。流行りのJPOPも好きだし、洋楽も。洋楽は母が詳しかったので、90年代のUKROCKを主に聞いた。ColdplayやOASIS辺りの虜になった。本当はすごく上手いはずなのに若干下手に聞こえなくもない、独特の魅力。このジャンルを母は『ヘタウマ系』と評した。
父との思い出は、断片的にしか残っていない。旅行先でもスマホを手放さない父だったが、プールや海に行ったときだけは、やたらと絡んできたのを覚えている。常日頃絡めない罪悪を解消するかのように。いやそれオナニープレイだろ、と千秋さまなら突き放すことだろう。
嬉しいというか。おれは、どちらの味方にもなれなかった。
母は母で、自分が正しいと思う人生を生きており。父も父でそうしているだけの話だ。互いの正義が噛み合わないだけで。
小学校高学年で反抗期を迎えた姉は明らかに母サイドの人間であり。それもあって、おれは中立を意識した。
父は父で、家の外で働いて疲れており、家に癒しを求めている。休日はいつも寝落ちをする父の姿を見て、年のせいなのか、それとも激務のせいなのか。いや両方かとおれは結論付けた。
ならば、母にだって家で癒される権利はあるのではないか。
だから、おれたちは、母の日と、母の誕生日に、休日をプレゼントした。
食事は、時間がかかるながらもおれたちで作ったし、ケーキを買ってハッピバースディと歌ったりもした。平日である場合は親父は不参加となるが、日付は譲れなかった。――必然、母と姉との思い出が増えていく。
おれたち子どもの誕生日も、平日であればその日に母が、休日であれば家族全員で祝ってくれてはいたが、平日の場合、知らないあいだに抜ける髪の毛のように、父から、忘れ去られるようになった。
小さい頃は、『智樹、おめでとう』などと言って頭を撫でてくれることもあったのに。――今は、昔だ。
父を軽蔑し始めたのはその頃だったと思う。
仮に。仕事が忙しいにしても、てめえの勝手で産んでおいた子の誕生日を忘れるとか。ゲームに現を抜かすとか。だったら、最初から子どもなんか欲しがんじゃねえ。と言ってやりたかったが、言ったところで、父はかりかりするだけでその後の対応が変わるわけでもなく。
無駄だ、とおれは思った。
だから、なにも、言わなくなった。――そうしてみると、父の愚行を放置する母の気持ちが初めて分かった。こういうものなのだと。
暖簾に腕押し。糠に釘。なるほど昔のひとはうまいことを言ったものだ。
母が、なにか計画しているのは知っていた。
おれは、知っていて沈黙を貫いた。
大学は、出たい。パソコンにしろ文学にしろ、周りに見聞きした限りでは、おれの求めるものは高校レベルでは求められそうにない。いっそN高もいいかもしれない、と考え始めていた。
いまの裕福な生活も快適ではある。学資保険にも入っていると聞いている。
けれど――
養育費という抜け道があるではないか。
協力したのは、母のため――というよりも、自分のためだったのかもしれない。
夜早く寝ているかに見せかけて、おれは部屋で読書なりパソコンでの作業をしている。一人部屋を与えられて自由が増えた。
皆が寝静まった頃、台所で、父の携帯の写真を撮る母に、
「……なにしてんの」
母は、明らかに狼狽していた。「ちょ、ちょっと……撮らなきゃならないものがあって」
「父さんの携帯で? 親父、ろくに家族となんか絡んじゃないのに?」
うるんだ母の目は、求めていた。計画を練り、実行する共犯者を。
母の目を見たときにおれは、決意を固めたのかもしれない。
自分の将来のために、父を裏切る覚悟を。
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