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夜半、ご飯を食べてお風呂を貰い、就寝用のピンクのパジャマに身を包んだコユキは落ち着かない気分で、落ち着かない気分を味わっていたので落ち着かない気分だったのである。
善悪ん家のママン、いやおばさんの部屋にはコユキ馴染みのアイテムが周囲に所狭しと並べられ、それ以外にも、リラックス出来るようにと、茶糖家の庭の土や、糠床(ぬかどこ)まで少量持ち込まれていたにも拘(かかわ)らず、コユキは落ち着きなく、与えられた部屋の中を捕らえられノイローゼ状態に陥ってしまった熊の様にグルグルグルグル回り続けて、眠れぬ夜に向き合い続けていたのであった。
ガープかカイム、それともゼパルやベレトだろうか?
幸福寺の境内や裏にある畑辺りから、時々何かが蠢く気配が漂ってきて、直後に発せられる奇声は、凡そ(およそ)人の世に有って良い物では無かった…… 恐い……
仲良くしなよ!
そう婆(ババア)や嫁かず後家(いかずごけ)の馬鹿どもに言いつけられて、無理やり庇って(かばって)やったちょっと可愛かったが、陰気な寺の息子はガキ大将達に何と呼ばれていたのだったか、確か……
『こいつと話すとお化けが付いて来るぞ!』
『葬式饅頭、毒饅頭』
『お前んち父ちゃん近所の若い後家さんと……』
だった筈である、うん確かに善悪ん家のパパン、おじさんは近所の若い後家さんとの噂が絶えない人だった…… 確か先夫の息子に刺された事もあるとか何とか……
コユキは思う、ってことは、他の噂も……? と……
毒饅頭はまあいい、いや、良くは無いけれどもコユキには頼もしい味方、|正一《しょういち》さんから譲られた饅頭恐いの茣蓙(ゴザ)が有るのだから……
となると…… あっちか? お化け…… いるのか? お化け。
こんな風に考えてコユキはクルクル布団の周りを歩き続け、眠れぬ夜を過ごしていたのである。
ウオゥ! ウオウウオウウオォォン! ワヲーン!
田舎の静かな夜を切り裂く様な焦燥に溢れ捲ったイヌ科の獣の声が響き渡ったのである、あの声はチロか?
間を置かずに轟く(とどろく)シロとクロの怒声。
尋常ではない様子を聞いて、コユキもこの瞬間まで二時間ほど続けていたお布団の周回作業を中断して、久しぶりに人間らしく、すくっと立ち上がり本堂を目指して歩き始めたのである。
夜の寺院である、所々に明かりが点されているとはいえ、一般家庭よりゆったりと広いだけに、そこかしこが薄暗がりになっており不気味なムードを漂わせていた。
「照明、照明! どこだっけ?」
廊下の壁を両手で探り、うろ覚えのスイッチを探していると後ろから話し掛けられた、善悪だ。
「コユキ殿、スイッチならもうちょい先でござるよ」
「どれ、おお有ったわよ! サンキュ善悪」
パチッ
瞬時に廊下中が煌々(こうこう)とした文明の明るさに照らされた。
安心の笑顔を浮かべて善悪の方へ振り返ったコユキは、
「ぎゃあぁっ!」
叫び声をあげて尻もちをついてしまうのである、いやもっと正確に言えば腰を抜かしてしまったのであった。
自分に背を向け床を這って逃げようとアタフタしているコユキに対して善悪は首を傾げながら問いかける。
「どうしたのでござるか? そんなに驚いちゃって、でござる」
落ち着いた声を聞いて少し恐怖心が和らいだコユキが、そーっと振り返るとそこに立っていたのは確かに善悪その人である、ただし顔面はのっぺりとした能面のように白かったが……
「ちょ! 善悪何よ、その顔は! びっくりして心臓止まるところだったわよ! 全くふざけるんじゃないわよ!」
「何って只のパックでござるよ、コユキ殿はやらないの?」
「やらないわよ! アンタも変わってるわね、男の癖にパックとか」
善悪は真っ白い顔で溜息を吐きながら答えるのであった。
「古いよコユキ殿、今時スキンケアをしてない男の方が少ないのでござるよ、知らないの?」
「ああ、韓流アイドルの子達とか? マスミの息子とかね?」
「いやいやメイク迄するとは言っていないでござろ、コスメねコスメ!」
コユキは呆れたような表情を浮かべたまま、善悪に向けて右手を差し出して言う。
「まあいいわ、起こしてよ、アンタも表の様子見に行くところだったんでしょ?」
善悪はコユキの手を引いて引っ張り上げながら言う、因(ちな)みに表情はパックのせいで伺い知ることはできなかった。
「うん、あの三匹が顕現してからあんな風に騒ぐ事自体初めてなのでござる、一応臨戦態勢でいこうね」
言いながら首から二本の念珠を外して拳に握り込む善悪の姿を見て、コユキも自分のカギ棒をパジャマのポッケから取り出して両手に持つのであった。