「昨日はがんばったね、でもこの音声で完全に有利に立てる」
「慰謝料はとりあえず300万づつ請求しよう」
「300万づつ?」
「そう、それくらいもらってもいいだろ」
お昼に給湯室でソース焼きそばを作り松崎さんと二人で食べているとスマホに賢也からの着信が入った。
大森恵美が賢也に何かを言ったのかも知れない
どきどきしながら通話ボタンを押すと
「有佳体調は?」
「大丈夫だよ、どうしたの」
バレた訳では無いのかも知れない
「実は同僚が今夜、家で飲みたいとかいいだして・・・嫌なら断るよ」
昨日のことじゃないとわかってホッとする。
「平気だよ、何人来るの?」
「二人なんだけど、適当になにか買って帰るから」
「そんなことしたら、ダメ主婦確定になっちゃうでしょ、軽い食事とおつまみを作っておくから大丈夫だよ」
「ありがとう有佳、大好きだよ」
通話が切れてツーツーという音が聞こえる。
大森恵美から何も聞かされていないのかな?
聞いていて二人きりになりたくなくて同僚を呼んだんだろうか?
とりあえず、まだ私から動くべきではない。
準備がまだだから
「焼きそば旨い、やっぱりソースは最強だな。ところで、どうかした?」
松崎は焼きそばを食べ終わりお茶をすすっていた。
「今夜、賢也が同僚を連れて来るんですって。今までそんなことなかったのに」
「感づかれたかな?あの女は自尊心が強いから、有佳ちゃんの容姿に圧倒されて旦那さんに何かを言うように思えないんだが」
「え?どういう意味?」
「音声では有佳ちゃんよりいい女だと思っている風な感じだが、実際にあった有佳ちゃんがモデル体型の美人だったことに自尊心が傷ついたんじゃないかと思ったんだ。大森恵美の価値はセックスだけだと気づいたんじゃないかってこと。しかも、離婚の話はでていないということも知ったし。というか、旦那さんが離婚する気がないことは薄々気付いているんじゃ無いかと思う。だから、有佳ちゃんが会社に乗り込んで来たことを言いたくないんじゃないかな」
「そういうものなんですかね?でも逆の立場でいきなり奥さんがやって来たらどうだろう?そういうことがないから想像がつかないけど」
「もし、旦那さんが愛人と別れて有佳ちゃんとやり直したいと言ったらどうする?」
「やり直すのは無理だと思う。だって、何かの拍子に思い出すし、帰りが遅い時は“またか”って思ってしまう。それ以前に、哀しいと思う反面冷めてしまっている自分がいるんです、賢也の言葉に何も感じなくなってしまったというかすべてが上辺だけの薄っぺらなものとしか感じられなくなったから」
「うん、そうか。それなら別れたらいつでも俺が受け止めるからね」
そういうと松崎さんはウィンクをする。こういう仕草が意外と似合う、この人はだれにでもこんな風に接するんだろうな、勘違いしないようにしないと。
「金曜日に話をしようと思う。もし、金曜日に“残業”をするなら彼女の部屋に突撃するのも悪くないけど、賢也にこれ以上幻滅したくない」
「今日中に書類を仕上げてしまおう」
「そうですね」
ビールに焼酎、サワー用に炭酸とレモン、グレープフルーツを購入した。
バケットでガーリックトーストとチーズ、手羽先の甘辛煮、ポテトサラダとネギチャーシューを辛めにしてお酒にあうようにアレンジしたものをリビングのテーブルに並べていると玄関のチャイムがひとつなって鍵が解錠された。
玄関に向うと賢也と同僚だという二人の男性が立っていた。
「はじめまして、いきなりすみません」
「うわ~奥さん美人ですね」
「おだてても何もでません。さぁどうぞ、たいしたおもてなしはできませんが」
賢也は耳元で「急で本当にごめん」
「大丈夫よ、むしろお客様がくるなんて賑やかでいいわ」
リビングに入ると、同僚二人が料理に感嘆しながらソファに座る。賢也も目を見開き驚いたようだった。
「手作りしてくれたんだ」
「夫の友人をおもてなしするのは妻のつとめですからがんばりました」と言ってニッコリと笑った。
ちくわにチーズを入れ一口大に切ってから青のりを入れた衣につけて揚げていると、すこしチャラそうな斉藤さんがキッチンに入ってきた。
「何かお手伝いしますよ」
「ありがとうございます、でも一人で大丈夫ですからリビングで飲んでください」
「俺、学生時代はずっと居酒屋の厨房でバイトしてたんですよ、今も自炊してるんです」
「それなら磯辺揚げをお願いします」
「まかせて」
手伝いを自らかってくれただけあって手際がよかった。
「すごいですね」
「いや、奥さんの料理めちゃ旨いですよ、毎日奥さんの料理が食べられるなんて片桐がうらやましい」
「とんでもない、でも褒められると嬉しいですね。きっと私は褒めると伸びるタイプかも」
だれかと一緒に料理をするのは楽しいし、斉藤さんはそういうところが慣れているんだと思った。
油が跳ねて指についてしまい思わず「あっ」と声が出てしまった、斉藤さんはすぐに気がつき
「痕がついたらいけないからすぐに冷やしたほうがいいよ」
といって、私の手を取ると流水に指をつけてくれた。
身体が密着して少しドキッとした。
「どうしたの」
あからさまに賢也は不機嫌になっていた。何か勘違いしているのかもしれないが、賢也に言われたくない。
「油が跳ねてしまって斉藤さんが手当をしてくれたの」
賢也は斉藤さんをどけて私の手を取った。
無性に気持ち悪くなった。
「ごめん、ちょっと」
そう言うとトイレに駆け込んだ
気持ち悪い・・・
便器に顔を近づけて吐き気に耐えた。
ようやく落ち着いてトイレからでると、三人が外で待っていた
「ごめんなさい、よかったら皆さんはまだゆっくりしてください。私はちょっと失礼します、賢也いい?」
「もちろんだよ、体調が悪いことを知ってたのにゆっくり休んで」
「後片付けをしておくから安心して」と斉藤さんが言った。
部屋に戻ると鍵を掛けてソファベッドに潜り込んだ。
朝起きるとリビングもキッチンも綺麗に片付いていた。
斉藤さんは一見チャラそうだが、とてもマメな人なのかもしれない。
でもマメな人ってことは女性にもマメということなんだろうな、賢也のことで男性に対して穿った見方しかできなくなってきている。
松崎さんくらい無頓着な方が安心できる。
てか、松崎さんはいい加減すぎて女性にもだらしなそう・・・
ここでどうして松崎さんのことなんか・・・
頭を振って雑念を振りはらって朝食の準備をしていると賢也が起きてきた。
「昨日はごめんなさい、せっかくお友達がきてくれたのに、失礼になってしまった」
「大丈夫だよ、あいつらも心配してた」
「しかも、綺麗に片付いていてびっくりした」
「斉藤がめちゃ手際良くてオレも驚いたんだ」
「ふふふ、とてもマメな感じよね。斉藤さんの奥さんがうらやましい」
「なんか、他の男の奥さんをうらやましがるとかちょっとショックだな、てかあいつは独身だけどね」
何を言っているんだろう。
心が冷めてくる
斉藤さんが昨夜の残りをきちんと分けて仕舞っておいてくれたため、温め直しするくらいで準備ができた。
「今日、もう一度病院へ行ってこようと思う」
「うん、それがいいよ。あと、朝の片付けもするから身体を温めて休んでいていいよ」
いままで、そんなことを言ったことがないのに斉藤さんを褒めたことがきになるのだろうか?
子供みたい・・・
それなら・・・
「うん、お願い。休んでるね」
部屋に戻ろうとしたしたときに
「そういえば有佳・・ドアなんだけど」
「ドアがどうかしたの?」
「いや、何でも無いよ。おやすみ。オレは片付けたら出勤するから見送りもいいからね」
その言葉にコクンと頷いて部屋に入った。
午前中は病院へ行く為、松崎に連絡をした。
そのあとは報告書を仕上げないといけない。やるべきことは沢山ある。
明日の朝、残業せずに帰ってきてと言ったらどうするだろう。
断られたら?
その場で泣き崩れてみたらどうだろう、それでも“残業”が大切なら・・・
きっと私は
鬼になる
「すこしづつ様子を見ていきましょう。一応クスリも処方しておきます。症状が改善されなければまたかんがえましょう」
「一応診断書をいただいていいですか?」
「わかりました」
「ありがとうございます」
診察と言っても前のように胃カメラをするとかではなく、問診で終わりだ。
「おはようございます」
すっかり居心地の良くなった松崎探偵事務所に入ると松崎は接客中だった。
依頼主だろうか?さりげなくテーブルを見るとなにも出されていないため給湯室に行ってお茶をいれて持って行くと女性は目元をハンカチで押さえ肩が震えていた。
チラリと女性の前に置かれた報告書を見ると、浮気現場の証拠写真が添えられていた。
私もあんな感じだったんだろうか・・・
「これで調査を終了させていただきます」
「私はどうすればいいでしょう?」
「わたくしどもは調査をすることが仕事ですから、あとは弁護士などへご相談ください。必要でしたら、不倫問題を多く扱ってます弁護士を紹介することはできます」
うわあああああん
女性は急に泣き崩れたが松崎の態度は変わることはなかった。
あわてて私がその女性の元に行くと依頼人は私の胸の中で泣きながら
「別れたくないんです、別れたくない。主人を取り戻すにはどうすればいいんですか?教えてください、ここにはそういう人がたくさん来るでしょ、助けてください」
「それは、弁護士と相談してください。わたしは坂田様のお役に立てることはないです」
そう言うと松崎は報告書一式を封筒に仕舞い、弁護士のリストを一緒に添えた。
この女性がほっとけなくて泣き止むまで抱きしめていた。
テーブルを片付けながら
「なんだか意外です」
「何が?」
「私の時はもっと親身になってくれたというか、松崎さんの言葉で離婚するという決意をすることができたんです。でも、さっきの女性になんだか冷たい感じだったから」
「坂田さんは別れる意思はみじんも感じられないし、クライアントみんなにいちいち親身になっていたら仕事にならないでしょ」
「そもそも、有佳ちゃんは特別だから」そう言ってまたウィンクをする。
なんだか、ごまかされてる気がするが
「それより、書留で郵送しないといけないから書類のチェックをしよう。あと明日のためのミィーティングもしないと」
「はい、そうですね。書類を作りながら自分のことなのにどんどん他人事になっている感じなんです。はじめは二人の音声や写真を見るのが辛かったのに、なんか事務処理の一環になってきたんです」
「じゃあ、この仕事をはじめてよかったのかもね、ところで音声データといえば、フルの方は聞いた?」
「聞いてないです。だって・・・他人の情事を聞きたいなんて思わないですからこの先も聞かないと思います」
「そうか、じゃあさっさとやってしまおう」
帰宅途中に郵便局に寄ると書留書類を二通発送した。
明日には到着する、うまく受け取れるかしら・・・
賢也と一緒に食べるための夕食を準備する。
この行為はあと何回で終わるんだろう。
坂田さんはあの事実をどうするんだろう?あの報告書を引き出しにしまって、事実も心に締まってしまうんだろうか?それとも問い詰めて愛人と別れて欲しいと懇願するんだろうか・・・
私なら
そんな夫は
いらない。
松崎さんの「有佳ちゃんは特別」とはどういう意味だろう・・・
賢也以外に誰かを好きになることなんて無いと思った。
松崎さんを思い出すと胸の奥が暖かくなる・・・
この感情に名前を付けていいだろうか?
「有佳大丈夫?無理をしなくていいよ」
ぼんやりとしていたら賢也が帰宅していた。
「あっ、ごめんなさい。ちょっとぼんやりしていて」
「ほら、座って」といって椅子をひいてくれた。
「あとはオレがやるから、といってもどうしていいかわからないからそこで座って指示をしてくれる?」
浮気をしていると妻の行動が気になるのかな?
いまさらそんなことしても、すべてを知っている私にそんなことしても無駄だよ
賢也
「じゃあ、お願いしようかな。あとはお味噌汁を温めるのと味付けは終わっているからお肉を焼くだけ」
賢也は満面の笑みで「まかせとけ!」と言って腕まくりをして肉を焼き始めた。
「ところで病院へ行ってみた?」
「うん、様子を見ようっていわれた」
「前に胃カメラでの診察は問題が無いって言われたんだよね?」
「うん」
「だったら、その・・・・産婦人科とか行ってみたら?」
「婦人科?」
「うん、昨日田中と斉藤に言われたんだけど、もしかしたらおめでたじゃないかって」
「そう言われてみると・・・明日さっそく行ってみるね」
「そうだよ、今日は夕食を食べたらすぐに休むといいよ。あとはやっておくから」
「やさしいね。ありがとう」
「愛する妻の為だから」
嘘つき
明日はお昼ぐらいに電話してみよう。
妊娠してるかもしれないと思っているから、答えを気にするはず。
はず?
せめてそうであってほしい。
妊娠しているかどうかというところで、大森恵美との快楽を選ぶような最低な人間にはなってほしくない。
少し前までは愛して“いた”人なのだから。
今朝、ドアのことを言いかけていた。
昨日の夜は鍵を掛けて寝てしまったから気付いたのかも知れない。
それでも構わない。
今も鍵が掛っていると思うだけで安心する。
明日の為に、しっかりと眠って体力を温存しよう。