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女女の25時

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女女の25時

2 - ①イタイ女 ~奈緒子の場合~

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2024年07月09日

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門脇奈緒子(33歳) VS 時崎篤志(28歳)


空調の効きすぎた事務所は、今日も肌寒かった。

門脇奈緒子(かどわきなおこ)は、綿100%の薄手Vネックカーディガンを肩に引っ掛けた。

「奈緒子さん、バイタルワークの細田さんからお電話です」

最近入ったばかりの奈緒子より10歳以上は年上の長井(ながい)が、眉間に皺を寄せながら向かい側の席から叫ぶように言う。

「はい、了解」

外線ボタンを押す

「お電話代わりました。門脇です」

出ると、受話器の向こうでは、奈緒子よりも若い細田が笑っていた。

「どうかしましたか?」

「いや、ちょっと。今、お電話に出られた方って、この間門脇さんが話してらした、新しい方ですか?」

「ええ」

「なるほど」

まだ笑っている。

「……うちの長井が何か失礼なことを申し上げましたか?」

「いえいえ。滅相もない。ただ、『あ、門脇って奈緒子さんのことですね、それなら少しお待ちください』と」

苦笑して平謝りをしながら、自分が笑われているとは露ほども思わず、業者の電話リストを必死に見つめている彼女を横目で睨む。


もともとスーパーで総菜レーンを担当し、毎日コロッケを揚げていた彼女は、まともな電話対応もこの会社に来て初めてだと言っていた。

(何なの、その顔)

いつも緊張のせいか顔の変な筋肉が引き吊っている。

社長の「どんな人間にもチャンスをあげたい」という偽善的な中途採用のため、しわ寄せが来るのはいつもこちらなのだ。

ため息をつきながら受話器を置くと、


「奈緒子さん」

隣の席の男がキャスター式の椅子ごと身を寄せてきた。

「ソーシャルワークスの池田さんからまたプラテの注文入ったんですけど」

「電話切っちゃった?」

座っていても背の高い男を見上げる。

「あ、はい」

(しまった。大事な話があったのに)

「私が出たかったな」

思わず呟くと、男は困ったように笑った。

「すみません、奈緒子さん、電話中でしたので、僕が説明してしまいました」

「……え、なんて?」

「この時勢柄、プラスチック手袋などの医療品が世界的に在庫不足で、毎月単価が上がり、それでも必要数が確保できない状態だと。

もし事足りるならポリエステル手袋も代用品としてはオススメしておりまして、そちらですと、単価的にも、従来のプラスチック手袋ほどの値段で提供できますし、実際に移行している事業所さんも多くありますよ、と」

「…………」

奈緒子は口を開けて、入社して半年も経たない後輩を見上げた。

「参考までにサンプル品を5箱、準備して持っていきますと言っちゃいました。

もし契約となれば、ソーシャルワークスさんからの利益を考えれば十分、元とれるかな、と。

課長の許可とれなかったら、僕個人で買ってもいいんで」

「……いや、大丈夫。私から言っとくから」

そう言うと、男は爽やかな顔で笑った。

「やりっ。さすが奈緒子さんですね」

笑顔が眩しい。


奈緒子はまたキャスターを滑らせ、自分の定位置に戻っていった男を盗み見た。

時崎篤志(ときざきあつし)。

奈緒子より五つ年下だと言っていたから、今年で28になるはずだ。

前職はハウスメーカーの営業補佐をしていたとかで、電話でも来客でもそつなくこなせる。総務に置く人間としては少しもったいないくらいの人物だ。

たまにこういう仕事も気遣いもできる奴が入社してくることもあることにはある。

自分より30cmほど背が高い後輩を奈緒子は目を細めて見つめた。




「奈緒子さん、セニカさんの新しい電子血圧計のデモ機、KAMO医療機器さんも2、3個欲しいとおっしゃってて、回せる在庫あります?」

ある日、突然話をふってきた後輩を、奈緒子は思わず二度見した。

KAMO医療機器とは、奈緒子たちの会社の十倍規模の大きな会社なのだが、販売発注窓口の担当は、高岡という女性で、愛想の欠片もない。

同性同年代だということもあるのかもしれないが、奈緒子に対してはいつも喧嘩口調で、医療品、医薬品の卸会社としてはライバルに当たる他の社名をこれ見よがしに出してくるので、こちらとしてもあまり相手にはしないようにしてきたのだが。

電子血圧計のデモ機を欲しいなんて、どういう風の吹き回しだろう。

目の前の男を見上げる。

(そうか。こいつ狙いなのか)

「どうしましたか?奈緒子さん?」

時崎が苦笑いをする。

「デモ機は出せない感じですか?すぐ回答しないといけないので、もし難しければ―――」

「何とかするから、受注貰っていいよ」

「わかりました。ありがとうございます」

受話器を取った時崎がKAMO医療機器に電話を掛ける。電話口に出たらしい高岡と、楽しそうにやり取りを始める。

「はは、そんなこと言ってくれるの、高岡さんだけですよ」

笑っている。

(どんなこと言われてんだか)

どうしても女性が多い総務で、男は仕事的に不利だと思ってきたが、イケメンはその限りではないようだ。


奈緒子は電話が終わるのを待って、時崎に一枚の名刺を渡した。

「これ、血圧計の(株)タカサキの担当者。

今の担当者は斎藤さんって言うんだけど、前の担当者が会沢さんって男性で、今課長になってるの。

何かとこっちのほうが融通が利くから、何かお願いするときにはこちらを頼ったほうがいいよ」

それを渡そうとすると、時崎は笑顔でそれを押し返してきた。

「すみません、ありがたいのですが、この貴重な名刺は僕は貰えません」

「……え?」

「実は、今月で退社が決まってまして」

笑顔を崩さず男は奈緒子を見下ろした。

「奈緒子さんには大変お世話になりました」

「…………」

指導係である自分に一言も相談せずに、もう退社が決まってる、だと?

奈緒子は眩暈を覚えた。

せっかく使える後輩が入ってきたと思ったのに。

部署移動ならまだ納得もできるが、退社とは。

思わず、デスクに両手を突いて、倒れそうな上半身を支えた。

「そうなんだ。それで、どこに行くの?」

「実はその、KAMO医療機器なんです」

声を潜めて時崎は言い放った。

「……あー、それで」

「はい、それで、です」

屈託のない笑顔で言う。

奈緒子は名刺をフォルダーにしまうと、正面に向き直って、キーボードを叩きだした。


「いいね、君たちは身軽で」

思わず嫌味が飛び出す。言ってもしょうがないことは言わないようにしているのだが。

「はは、若いんで」

確かに。28歳は若い。こと男に関しては、ものすごく若い。

付き合っている女性との長い人生を築く上で、収入的に条件の良い方に良い方にと、渡り鳥の如く、いろんな会社でいろんなノウハウを積んで、理想の住処を探し求めてもいい年代だ。


しかし―――。


「ほんと、青臭い」

奈緒子はキーボードに視線を戻した。

「どういう意味ですか?」

笑顔を曇らすことなく時崎が聞く。

「聞きたい?冥途の土産に」

「やだなぁ。怖いですよ」

ヘラヘラ笑っている男の顔を見ず、キーボードでは発注書に沿える表書きを打ち込みながら、口を回す。

「まだ何もモノにしていない状態で、次から次へ。

理不尽なことで折られたプライドの自己治癒力も身に着けず、自分が悪くないのに下げる頭の重さに耐えた経験もなく、上司に涙を見せたことも、後輩の肩を叩くこともなく、やりがいも責任も感じないで、ただ自由に飛び回る渡り鳥」

目の端でも十分にわかる。時崎の顔から笑顔が消えた。

印刷ボタンを押すと、奈緒子は立ち上がった。


「そういう男、私一番嫌いなの」


言いながら数歩の位置にある印刷機から、発注書と表書きを取ると、そのまま上に突っ込みファックスを流す。


振り向いたときには、隣の席は無人になっていた。

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