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翌朝。
目を覚ますと、私はまだ雅の腕の中にいた。すぐ目の前に彼の寝顔がある。じっと観察していると、一定のリズムを刻む穏やかな寝息が聞こえる。あどけなさの残る表情。それが妙に可愛らしくて、私は雅の黒髪をそっと指先で撫でた。
いつもなら、目が覚めてすぐにベッドを抜け出し、顔を洗って着替えを済ませてしまうところだけれど今日は、そのままでいた。
今私が動けば、せっかく深く眠っている雅を起こしてしまう。もう少しだけ、こうして寝かせてあげたかった。
今日は土曜日。私は休みだけれど、夜の仕事をしている雅にとっては一週間の中では忙しい日になる。
金曜と土曜の夜は、翌日の休みを控えた客で店が埋まり、彼は朝までその対応に追われる。
以前は遠慮もなく連れまわしたけれど、今日は可哀想だし、とやめておいてあげた。かと言え、このまま休日を何もせずに過ごしてしまうのは寂しい。
特別な趣味があるわけではないけれど、休日のお一人様の時間は、私にとって大事だったりする。気ままに買い物をし、映画館の暗闇に浸り、気になるカフェを巡る。
どこへも出かけない日は、溜まっていた掃除を片付けたり、買ったままの雑誌や写真集を開いたり、配信ドラマをはしごしたりする。
他人から見れば寂しい休日に映るかもしれないけれど、私にとってはこれ以上なく充実した休日だ。
枕元で充電器に繋がれたままのスマートフォンを、手探りで掴み取る。画面の眩しさに目を細めながら、私は今日の予定を組み立て始めた。
スマートフォンの画面をスクロールしながら今日の予定を立てていると、目の前で「ん……」と小さく声が漏れた。
「あ、起きた。おはよ」
スマートフォンを置いて声をかけると、雅は「うん」と、まだ夢の続きにいるような生返事をして目を擦った。
寝起きは決して悪い方ではないけれど、起きたての無防備な様子は相変わらず子供みたいで、つい口元が緩む。
そんな私の視線に気づいたのか、雅がこちらに視線をやる。 それと同時に、彼は私の体を組み敷いた。
「は?」
「朝から元気そうだから昨日我慢した分良いかもなんて」
とびきりの笑顔でとんでもないことを宣戦布告してくるこの男に、引き攣る顔を抑えるのが精一杯だった。
この男が可愛いなんて、私の完全な錯覚だった。中身はどこまでも強引で、配慮の欠片もない我儘自己中大魔王だったことを一瞬で思い出す。
「朝から盛るなんて本当お猿さん以下」
「俺が悪いんじゃなくて、人をこんなに誘惑してくる自分が悪いとは思わない?」
「人のせいにしないでよ、バカ」
そんな屁理屈に呆れ果て、私は彼の頬をぺちっと軽く叩いた。
雅は少しだけ笑うと、ようやく私の体の上から退いた。
危うく理不尽な朝の情事に巻き込まれるところだったと、巻き込まれずに済んだことに少し安堵した。
「今日はどうする予定?」
「買い物行こうかと思ってた。あんたが頻繁にうちに来るなら色々無いと不便よね」
そう言い残して洗面所へ向かおうとした瞬間、背後から強い力で引き戻されそのまま腕の中に閉じ込められた。
こういう不意打ちのスキンシップは今に始まったことじゃないけれど、あまりに唐突な出来事に心臓が大きく跳ねた。
「何よ。びっくりした」
「なあ、気付いてる?」
「何が?」
「変わらなくていいなら付き合う? とか言いながら、知らず知らずの内に夏帆の中で俺を受け入れ始めてるの」
何を言い出すのかと雅を振り返ったけれど、至近距離で視線が絡み合い、言葉が喉に張り付いて出てこなかった。
羞恥心に耐えきれず顔を逸らそうとするが、大きな手に頬を固定され、逃げ道を塞がれる。
自分でも薄々感じていた変化を他人の口から、それも一番聞きたくない相手から突きつけられるのが怖かった。
「……わからない」
「最初は俺の事を絶対拒否してた夏帆が、身体の関係許して、それから交際OKして、家に入り浸る事許して。何も思わない男にこんなの許せる女じゃないでしょ。曲がった事が嫌いなのに」
「別に深い意味なんて無い。あるわけないでしょ!」
「別に自覚するのも時間の問題だよなって思ってるだけ。こんな風に受け入れて、俺がどこにも行かないように捕まえて……。とっくに落ちてんだよ、お前」
私が必死に睨みつけているのとは対照的に、雅はどこまでも楽しそうに笑っている。
本人の私ですら認めようとしていないことを、すべてお見通しだと言わんばかりのその口ぶりに、無性に腹が立った。
「あんただって、私に捨てられたくなくて必死なくせに」
精一杯の虚勢を張って言い返すと、雅は全然と言いたげに首を振った。
「全然。だって自信あったし。再会した時に少しずつ付き合ってた時の事、思い出させたら夏帆は帰ってくるって」
そう言って、彼は私の唇を親指でゆっくりとなぞる。
あの再会は、私にとっても彼にとっても予想だにしない偶然のはずだったなのに、それさえも雅が仕組んだ筋書き通りだったのではないかと錯覚する。
確かに、あの日、再会して目を合わせた瞬間、初めて恋に落ちたあの日と同じように、一瞬で心を奪われたのは紛れもない事実だった。
だけど、見知らぬ女と口付けを交わし、最低な発言を繰り返す彼を見るたび、別れて正解だったと自分に言い聞かせてきた。恋愛よりも仕事だと、本気で信じてきたはずなのに……。
雅の言葉を認めることは、自分自身のこれまでの決意を裏切るようで、どうしても認めることが出来なかった。
「……一生、会えなかったかもしれないでしょ」
「でも再会出来たんだから、俺等は一緒に居るべきって神様からのお告げかもよ」
「そんなの信じる人じゃないでしょうに」
「それはそう。けど、再会してこうなったからには絶対離してやんない。だから、さっさと諦めて認めろよ。俺の事好きだって」
相変わらずの過剰な自信に、唇に触れていた彼の手を強く振り払った。パチン、と乾いた音が響き、雅が少しだけ驚いたように目を見開く。その一瞬の動揺は、見ていて気分が良かった。
まだ、この男の手の内に完全に収まってやるつもりはない。すべての女が簡単に手に入ると思っているその自信を叩き潰してやりたいし、何もかも思い通りになんてさせてやらない。
「仕事の邪魔さえされなきゃ別にいいだけ。あんたが家にいてもいなくてもどっちでもいい。受け入れたなんて勘違いしないで。買い物も、あんたにいつまでも上半身裸で歩き回られるのも迷惑なの。それだけ」
この発言が強がりに聞こえても、もう何でもよかった。事実、私も雅とのこんな駆け引きを、どこかで楽しんでいたのだと思う。
本音はきっと、雅の言う通りなのかもしれない。でも、何でもかんでも思い通りにいくと思われているのは癪だ。少しくらい、私の方からこの男を振り回してやりたい。
私の必死な反論に、雅は少し笑っていた。きっと、この攻防を楽しんでいるのは私だけじゃない。
「くそうざいって思ってんのに、そういうの嫌いじゃない」
「そう?てか、良いから早く用意して。荷物持ち必要だから」
「行っても良いけど今日バー来てくれる?」
「……ただでお酒飲みたいだけでしょ」
「半分当たり。半分は夏帆が来ると仕事楽になる」
「人を使って楽すんなクズ」
毒を吐きながらも、先ほどまで張り詰めていた空気はいつの間にか緩み、私達のいつもの日常へと戻っていく。これほど言い合っても、それでもお互いに離れようとはしない。
──────私たちの関係性はそう遠くないうちに、きっとまた変わる。
まなこ〜友
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#ますしき
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コメント
1件
いや~、もうね、朝から雅の強引さ全開で笑ったわ(褒めてる)。「朝から元気そうだから」って台詞、クズだけど彼なりの夏帆への執着が滲んでてグッときた。夏帆の「変わらなくていいなら」って言葉の裏にある本心を、雅にズバリ言い当てられてるシーンが一番刺さった。認めたくないけど、もう戻ってるんだよね、この関係。二人の攻防、楽しんでるの伝わってくる🔥