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「ねぇ、ママ。願いって、なに?」
それは、クロウがまだ幼かった頃。
瓦礫の山に囲まれた廃ビルの一室。風で破れたカーテンが揺れ、淡い夕日が射し込んでいた。
母は、膝の上に開いていた古びた本をそっと閉じると、クロウの頭に手を置いて優しく微笑んだ。
「願いはね、心の奥にある光よ。誰かを想ったり、自分の未来を信じたり……そういう気持ち。大切な気持ち」
「じゃあ、それを言葉にしていいの?」
「うん。……でも、今のこの国では、それを言うと罰せられてしまうの」
「どうして? そんなのおかしいよ!」
クロウはそう言って、拳を握った。
母は答えなかった。ただ、悲しそうに微笑んだまま、息子を抱きしめた。
それが、彼女の最後の“願い”だった。
***
数日後、深夜――
クロウの暮らす小さな部屋が、突如として光に包まれた。
「国家治安局 S.I.A.だ!。市民番号4296、貴殿は《公的秩序違反》の疑いで拘束する!」
ドアが破られ、白いマスクの兵士たちが踏み込んできた。
電子音の鳴るタブレットが、彼女の“発言記録”をスクロール表示している。
《未来を信じていい》《息子には夢を持ってほしい》《願いは罪じゃない》
その三行が、彼女の「有罪」を意味していた。
「やめて!」
クロウが叫んでも、母は何も言わなかった。
彼女はただ、微笑みながら息子を抱きしめ、最後に一言
「生きて、クロウ。そして、自分の願いを見つけて」
それが、彼女の最期の言葉だった。
***
それから十年が経った。
アルメスト王国は、「静寂による平和」を国家理念として掲げ、
人々の“言葉”を監視し、心の動きすら記録する巨大なAI《FAITH》によって統治されている。
言論・思想・感情のすべてにスコアが設定され、
危険な願い は即座に記録され、本人の生活が制限される。
駅の電光掲示板には、今日も王の顔が映っている。
「願いは、争いを生む。
ゆえに、我が国は民に願わせない。
沈黙こそ、平和の象徴である」
それを見ても、誰も騒がない。
ただ、無言で歩き、目を伏せ、スマートグラスを外し、スコアの低下を恐れるだけ。
――だがその夜。すべてが変わった。
午後20時34分。
中央情報塔の映像が突如としてブラックアウトした。
FAITHによる緊急プロトコルが作動したが、映像の発信源は不明。
次の瞬間、国民すべての端末に、同時に通知が届いた。
《映像:緊急配信中》
そこに映っていたのは、黒の仮面をつけた人物。
その仮面には、翼と十字を象った銀の紋章。
背景は闇、音は静かだったが、その声は鮮烈だった。
「この国は、願いを殺す」
映像に映った仮面の男が、ゆっくりと手を前に差し出す。
「だが、願いこそが人を生かす。
民よ、もし君の中にまだ、誰にも言えぬ“願い”があるのなら……」
「――我と契れ。我が名は《ノア》」
「これは宣戦布告ではない。これは“願いの奪還”だ」
FAITHは映像遮断を試みるが、システムに侵入できず、逆にセキュリティを乗っ取られる。
王はこの報を受け、玉座で静かに目を閉じると、重く言葉を落とした。
「……我が王国に、沈黙を破る者が現れたか」
***
一方、治安軍第五部隊。
新人隊員のミレイユ・カーネリアスは、演習帰りの車両内でその映像を見ていた。
「……これが、反逆者?」
横にいた上司・ディアスが苦々しげに口を開く。
「ノア。名前以外すべてが不明。映像はどこからでも流れる。FAITHすら通用しない。……だが、必ず捕らえる」
ミレイユはその言葉に曖昧に頷きながらも、どこか胸の奥がざわつくのを感じていた。
それは、昔読んだ絵本に出てきた“空に向かって叫ぶ勇者”のような何かが、揺れていた。
彼女の視界の端に、白いマントをなびかせて歩く男たちの影が映った。
無言の白い騎士たち。
王直属の白冠騎士団(ホワイトクラウン)願いを口にする者を、即座に処刑する国家の刃。
その中心には、銀髪の団長・レオナール・フェルディアの姿があった。
“沈黙を守る”者たちと、
“願いを叫ぶ”者が、今、この国で交わろうとしていた。
ミレイユは小さく、誰にも聞こえぬように呟いた。
「私の……願いって、なんだろう」
その問いが、この世界を変える第一歩になることを、
彼女自身はまだ知らなかった。
願いを、取り戻せ。
世界に、願いを。