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シュボッ―。私はもの寂しいベッドの上でマルボロを吹かした。初めは慣れなかった煙草も、最近は数が増す一方だ。途端に紫煙が立ち昇って、見慣れたシミに吸い込まれていく。時刻は深夜二時。隣の背中はこちらを向いたままで、どうしようもない不安に襲われたように泣いていた。私の慰めは効かなかったらしい。「―ずるいなあ、もう。」
不意に口をついて出た言葉は、本当なら捨てていなければならない感情だった。捨てられないからこんなところまで引きずって、しまい込むことも出来ずに、結局は楽しんで、身を委ねてしまったのだが。今だって、こうして後悔している一方ではまだ、心を弾ませている。そんな自分を恥じて、でも嬉しくて、そのどちらとも取れない鼓動に精一杯耳を澄ます。無二の親友を裏切った気分がこんなに爽やかだとは、かの英雄は知らないのだろう。
キュル、カタン―。ベランダに出ると、ススキの香りと共に夜風が私を撫でる。同じように撫でられた木々は私に笑いかけてくれた。Tシャツ1枚では肌寒い空気がむしろ心地良い。月は空から街の寝顔を眺めている。
―私とゆりは、これ以上ないほどに親しかった。それはそれは、姉妹よりも夫婦よりも、よっぽど仲が良かった。何かあれば互いを拠り所としていた。いつでも隣にいて、他の何よりも、互いがあれば十分だった。 少なくとも私はそう思っていた。そこには確かに愛情があった。
いつか、彼女はこんなことを言った。
「私ね、えりちゃんさえ居ればそれで良いなって、たまに、たまーに思うの。」
白く響く音色に、私は何も返せない。
「ほら、こんなに変なこと言っても受け入れてくれるじゃない?それがたまらなく愛おしくて。……って恥ずかしいね、ごめんね。でも本当のことだから伝えたくて。」
彼女は、雪のような頬を染める。
「……そっか。ありがとう。嬉しいよ。」
上手く咀嚼できなくて何となく引きつった笑顔に、ゆりは嬉しそうな顔をする。私はまたひとつ、ゆりに近づいた。
それからというもの、ゆりは今までよりも距離を縮めた。私の腕に抱きついて、私の膝に座った。周囲からは、ゆりが私に依存していると言われた。だけどその度、私の中に違和感は積もっていって、ついにはじけてしまう。
「ゆり、少しだけ離れない?ほんの少し、今繋いでる手を離すだけで良いから。」
ゆりは一瞬だけ泣きそうになったが、すぐ察してくれた。
「何かあったの?それとも私の事嫌になった?」
「ううん、違うの。最近、私、何しててもゆりのことばかり考えちゃって、依存しちゃってるのかなって。だから、だからね……?」
声は段々と詰まるようになって、顔がどうにも熱かった。
「……そっか、ごめんね。ごめん、本当にごめんね。」
「……。」
今度こそ泣きそうな顔と声で、ゆりは笑った。その日、私とゆりは互いに1歩ずつ離れた。しかしそれでも、私の劣情は留まるところを知らなかった。
「―えりか、私ね、好きな人が出来たの。」
ゆりは唐突に私を突き放す。体の内側で、これまで生きてきた中のどれと比べようと到底届かない激情が、静かに生まれた気がした。
「応援、してくれる?」
彼女は、そんな私をいつも通りの綺麗な瞳で下から覗き込む。いつも通りの優しい声で、残酷なことを言う。
「よくもっ……。」
そんなことを、と叫びそうになって、理性がそれを留めた。私をこれだけ乱したくせに、他の誰かを慕っている彼女が心底憎かった。あるいは知っているのか、彼女の瞳には光の無い私の顔が映し出されていた。
「……うん。応援するよ。」
抑えた言葉を裏返して使う。先程まで爆発しそうだった身体から、熱が引いていくのがよくわかった。
その日から彼女の話は、着々と侵略されていった。
「今日彼がね―。」「彼の話なんだけど―。」「彼が―。」「彼が―。」「彼に―。」「彼と―。」
彼女は私が1番大好きな彼女のまま、1歩ずつ私から遠ざかっていった。それでも私は、彼女の笑顔が見れるなら、と自ら進んで話を聞いてやった。
その男に告白されたのは、彼女から二人で遊ぶと聞いた日だった。
「好きです。良ければ僕と付き合ってください!」
彼女から聞いていた通りの誠実な男はどこへやら、男は彼女を私に近づくための踏み石に使ったのだ。私は怒気と嫉妬を愉悦で包み隠して応えた。
「ええ、私で良ければ、喜んで。ただ……。」
復讐にもなり得ない私の我儘のために、親友という距離では近すぎた。
「ただ、あの子には伝えないで欲しいの。」
身勝手な思惑で、私は友人を突き放し返してやった。
時間というのは何とも早く過ぎるもので、男と居る日々の間に花は散り、蛹は蝶と成る。ある時は海岸で、ある時は遊園地で、またある時は彼の家で、私は彼の上に嘘を重ねて、虚しくも空のグラスを満たした。
「―ごめんなさい、もう、別れましょう。」
私は記憶をなぞるように、彼に別れを告げた。男は一瞬だけ目を潤ませて、すぐに応える。
「何か……悪い所が、あるなら……。」
それ以上言葉は出ないようだった。だから、男の指を一つ一つ引き剥がすつもりで言葉を紡いだ。
「あなたが悪かったのは初めだけ。私に惚れて、ゆりに近付いたのがそもそもの間違いよ。そのあとはご苦労様。もうゆりを振ってあげて。さようなら。」
数ヶ月だが、彼女と比べたら稚魚程ではあるが、それでも楽しんでいた感謝を最後の優しさで表して、私は初の彼氏を捨てた。不思議と涙は出なかった。
翌日、彼女は予定通り泣いていた。
「ヒッグ……エグッ……アァ……えりかぁ……。」
彼女の家を訪ねた私に、待ち構えていたと言わんばかりの勢いで抱きついてきた。私は逸る気持ちを何とか抑えながら、彼女の話を聞く。
「………グスッ。あのね、彼、他に好きな人がいるって、それで、私、しんけっじゃっ無かったってっ……!ズズ…。」
親友が泣いているのを横目に、私は笑顔を必死に抑えて、なんて酷い奴なんだと自嘲してから、また彼女の方を向いた。そして出来る限り、言葉に同情を込める。
「……うん、辛かったよね。話したいだけ話してよ。」
そこには優しさなど微塵も無い。だから、本当にあるだけの優しい語彙で塗り潰す。それを聞いて彼女はいっそう涙を増やして、私に全てを吐き出した。私は、彼女の言葉を聞いて慰めてやりながら、本心では絶頂に達していた。
「……グスッ……ごめんね、えりか。」
唐突に、ゆりは謝った。
「…………?どういうこと?何が?何がごめんなの?」
私が謝ることがあっても、ゆりに謝ることは無いはずだ。
「あのね、私やっぱりえりかのことが好きなの。だから……でもそれじゃ、えりかにまた負担かけちゃうから。」
たどたどしく、それでも先程までよりも明らかに強い意思を持って、ゆりは語った。
「だから、他の人を好きになろうって頑張ったの。必死で服もメイクも勉強して。元から顔と体は悪くないから、寄ってくる男の中にちょうど良い人を探して。」
私が好きな自信に満ちたゆりと、知らないゆりがそこには居た。私の混乱をよそに、彼女は話続ける。
「……それで、あの人に決めたの。見た目も中身も私に釣り合ってると思って。それからね、四六時中彼のことを考えるようにしたの。なるべく彼の話題を出して、私は彼が大好きなんだって、思い込むように。……そしたら、本当に好きになっちゃうんだもん、人って不思議だよね。」
ゆりの頬には涙の跡が確かめられる。二度目の失恋がこんなに辛いとは考えもしていなかった。だが、それはきっとゆりも同じだ。そう言い聞かせないと、こっちまで泣いてしまいそうだった。
「……なら、それなら、私で良いんじゃない?」
自分でも驚いた。まさか私に、こんなに人を想う気持ちがあるとは。誰かの代替品で良いと、確かにそう言ったのだ。
「…………っ!」
ゆりは一瞬の間をあけて、涙とは違う理由で頬を赤く染めた。しかし次の瞬間には全部を受け入れて私の胸に飛び込んできた。虚しさと罪悪感は鋭く尖って、内側から私を刺した。私は、体に収まりきらない程の恋慕も劣情も抑えずに、飢えた獣のように彼女を求める。白雪のような肌を溶かすように激しく、灯した蝋燭の火を消さぬように優しく抱いた。体の隅々まで何か温かいものに満たされた気がした。
―プハァ、ジュッ。ゆっくりと一箱と半分吸い終えたところで、眼前の田んぼが眩しくなってきた。反射光を浴びて、街が起きるのをボーッと眺める。月は眠り、空は少しずつ色を失っていく。
「…………ぅん、ん、ぇりか……?」
どうやら起きたらしい。時刻は六時。私は落ち着いてから彼女の方を向いた。もちろん笑顔は忘れずに、昨日彼女につけられた引っ掻き傷を撫でる。私と彼女の間に、もはや愛はあるのだろうか、なんて、そんなことを考えながら、とびきりの優しい声で答える。
「あぁ、ゆり、おはよう。良い朝だね。」
せめて今だけは枯れた花を眺めていたいと願って―。