「放っておけ。言いたい連中には、好きに言わせておけばいいって。それぞれの考えがあるんだしさ」
「でも……」
「雅輝の気持ちはわかってる。大好きなインプのことを、あんなふうに言われたら悔しいよな」
古い車だからこそ、こまめにメンテナンスをし、手をかけて大事に乗ることを、橋本は常日頃からしていた。最初の車検を受けるたびに新型車に乗って、その良さを味わう乗り方をするヤツから見ると、古い車にお金をかけるようなところが無駄に思えるのだろう。
「雅輝、落ち着け」
掴んだ腕から伝わってくる震えが、宮本の怒りを表していた。
「……無理だよ。陽さんの大事なインプを馬鹿にされたまま聞き流すことなんて、俺にはできない!」
強引に橋本の手を引き剥がし、罵倒を続ける男たちに向かってしまった。普段は見ることのできない自分の後ろ姿を、複雑な心境で眺める。
言い出したらまったく言うことをきかない宮本と、ひと癖やふた癖もありそうな連中を相手にしなければならないことを考えて、橋本は盛大なため息を吐いた。
「おい! 俺のインプをこれ以上、馬鹿にするな」
橋本の喋りを真似た宮本に、ますます頭が痛くなってくる。
「古臭い車の持ち主はオッサンかよ。やっぱりなぁ」
「おっさんで悪かったな!」
(俺はおっさんなんだから、そこは素直に認めようぜ――)
「オッサン、俺の車の前でフラフラしながら運転すんなよ。邪魔でしょうがないから」
「そーそー。この車が前にいたんじゃ、安心して助手席に座ってらんねぇもんな」
「俺の愛車、ランエボのケツでも眺めてろよ。昔の車だからどうせ遅すぎて、眺めていられないか」
「陽さん、この方たちランエボ乗ってるんだってー。すごいねー」
宮本の真似をした橋本がふらりとやって来て、宮本の肩をバシバシ叩いた。
「陽、まっ雅輝、顔が怖いことになってる……」
「昔っからガラの悪い連中は、揃いも揃ってランエボ乗りと決まってんだ。どんだけお高くとまれば、気が済むんだよ」
「雅輝、落ち着いて。今のお、俺の躰はヤワだから、ケンカには向かないよ」
「なんだコイツら。変な車に乗ってるのは、決まって変なヤツに決まってる」
さらに声を立てて笑い合う男たちを目の当たりにした宮本が、苛立ちに満ち溢れる橋本を抱きしめながら、睨みをきかせて喚いた。
「変な車じゃないぞ! おまえらは、三笠山のインパクトブルーを知らないのか!」
「なんだそりゃ?」
「インパクトブルーなんて知らない。ここらで有名なのは、白銀の流星だったか彗星じゃなかったっけ?」
(インプにそんな二つ名があるなんて、俺だって知らねぇよ。というか雅輝のヤツは、本当にインプが好きなんだな)
宮本の怒号で我に返った橋本は、抱きしめられる現状をなんとかすべく、背中を引っ張って離れろというリアクションをした。
「陽さ、じゃなかった。雅輝……」
宮本は渋々両腕を外して橋本を解放し、男たちに向かって睨みをきかせる。宮本の顔じゃなく自分の顔だからか、いつも以上に凄みがあるように見えた。
「インパクトブルーだかなんだか知らないけど、俺のランエボの前をうろちょろするなよ。わかったな!」
インプのボディに向かって唾を吐きかけた男と、捨て台詞を吐いた男は、駐車場の中央に停めていた黒いランエボに乗り込む。煩いくらいにアクセルを吹かしたのちに、厳つい車体が峠を下って行った。
橋本は黙ったまま車に積んでいたティッシュを取り出し、しゃがんで汚された部分を丁寧に拭い、綺麗にした。
「陽さん、アイツらの車、追ってもいいですか?」
「追ってどうする。もちろん煽り運転は駄目だぞ」
夕日が完全に落ちて、少しずつ辺りが暗くなっていく。街灯に照らされたインプの車体に映る自分の顔は、当然宮本になっていて、いつも見ている優しい面影がまったくなかった。
「そんな、くだらないことはしません。ただブチ抜くだけっす」
「平日と違って対向車も多い。しかも週末だから、いつも以上に車がいるんだぞ。それでもやるのか?」
「センターラインは、抜くとき以外は絶対に超えません」
そう言いきった言葉を聞き、橋本はゆっくり立ち上がって、宮本の背中を運転席へと導いてやる。
「当然このまま、馬鹿にされた状態じゃいられねぇしな。だったら古臭いと言われた、インプのケツでも眺めてもらおうか。雅輝の運転なら、間違いなく瞬殺だろうけど」
「陽さん――」
「助手席から、対向車についてナビってやる。だけど素人だから、正確さについてはどうしても欠けてしまうけど、それでもいいか?」
バケットシートに送り込んだ宮本に提案したら、異常と思えるくらいの満面の笑みを浮かべた。にんまりした自分の顔を見て、ゾッとしたのは内緒だ。
「いいに決まってるじゃないですか! 陽さんが俺の隣でそんなことをしてくれるだけで嬉しすぎて、張り切りすぎちゃうかもしれません」
「ぶち抜いたあとまで、嬉しさはとっておけ。とりあえず、あの馬鹿野郎どもをとっとと追いかけるぞ!」
運転席のドアを閉めたタイミングで、インプのエンジンがスタートした。それに急かされるように橋本は助手席に乗り込み、シートベルトを締める。
「出発しても大丈夫ですか?」
「ああ、さぁ行こう。アイツらを徹底的に、絶望させるために――」
追い抜く気満々の宮本の運転と、助手席にいる橋本のナビで、ランエボとのバトルが勝手に開始されたのだった。
※この物語はフィクションであり、登場する人物・団体等は実在のものといっさい関係ありません。またこの作品内で書かれる走行シーンを真似することはしないでください。車を運転する際は交通ルールを守り、安全運転を心がけてください。
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