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「……次は、こいつか」 リモコンを指先で弾きながら、夜神月はテレビに映る犯罪者の名前を追っていた。
カリ、カリ……ッ。カッ……!
──また一人、僕の導きで粛清された。
愚かな犯罪者たちは減っていき、世界は確かに浄化されつつある。
神の理想に、世界がようやく追いつき始めている──そう、まさに至福の時間だった。
だが、神のひとときは突如、ノイズによって割り込まれる。
──ザザ……ザ……。
「……?」
テレビ映像が乱れた。いや、単なる電波障害か、と思いかけた瞬間。
『セカイに来い』
──!……声?
今、確かに男の声が聞こえた。
この部屋には僕しかいないはずだ。
テレビは通常のニュース番組。
Lのいたずら……?ではないか。監視カメラはもう取れたはず。
「……気のせい、か?」
呟いて首を傾げる。
だが、思考は明晰。錯聴ではない。
明確に“誰かが”呼んだ。
『……セカイに来い』
再び、耳に届く。今度は、よりはっきりと。
「……誰だ?」
部屋を見回す。影も気配も、扉の軋みもない。
ただひとつ──机の上にあるパソコン。さっきからスリープモードのまま沈黙していたそれが……いつの間にか、光っていた。
黒い画面の中央に、ぽつりと白い点が瞬く。
──点滅する「・」
「……?」
……いや、違う。これはカーソルではない。
じっと、見つめていると、その“点”が、ずるり、と動いた。
……指だ。
画面から、“手”が生えてきた。
白く、細く、そしてどこか機械のように冷たい質感をしたその指先が、僕のネクタイを摘んだ。
「……!? なん──っ」
反射的に後ずさる間もなく、パソコンの中からもう片方の手が伸びてきて、僕の肩を掴む。
強引に引っ張られる。重力が、傾いた──
引きずられるように、僕の上半身が液晶の中へ沈み込むと、首筋に電流のような刺激。視界が波打ち、空気が変質する。
──そして。
僕は、“セカイ”に落ちた。
☾☾☾
「やっと会えたな」
……やっと会えた?それは、どういう意味だ?
“会いたかった”という意志の提示か?
あるいは、“出会ってしまった”という不可避の結果報告か。
──どちらにせよ、その声は、完全に“こちら側”の世界のものではなかった。
夜空は深く、静謐で、異様なほどに澄んでいる。
そこには、でかすぎる月が一つ、でんと座っていた。冗談みたいなスーパームーン。
その月光の中心に、男が立っていた。
まるで「ここが主役の立ち位置です」とでも言わんばかりにスポットライトを浴びていた男。
──“青い男”。
三日月の刺繍があしらわれた黒いマントをひるがえし、白と青のベストを風に翻す。
風を背負いながら立つ姿は、ミュージカル俳優のような風貌で、手には“青いノート”。
──誰がどう見ても、怪しい以外の何者でもない。
「……誰だ?」
問いかけは自然に出た。無言で成り立つ状況ではなかった。
僕は手にしていたデスノートを、念のため開く。
これが必要になるかはわからないが、用心に越したことはない。
すると男は、こちらの警戒も動揺も意に介さず──爽やかに名乗った。
「『K』だ」
……K、だと?
僕の内心に、明確な“引っかかり”が生まれる。
記憶の辞書を高速で引き直す。
K、K、K──アルファベットの11番目。Lの隣。
そして、“イニシャルの系譜”を考えるならば──
Lの、仲間か──?
もしくは、対になる者? もしかして、敵?
Kは、こちらをじっと見つめた。
その視線は、あまりにもまっすぐで、あまりにも無知で、あまりにも致命的だった。
「お前が、Lか?」
──え?
僕は一瞬、完全に思考を停止させた。
その問いかけは、あまりにも大胆で、あまりにも間違っていて、そして何より、あまりにも面白かった。
「……違う」
できるだけ冷静に、できるだけ最短距離で、否定する。
全力で首を横に振りたい気持ちを抑えながら、言葉だけで正す。
Kは、「……そう、か」と口調が軽すぎる。
今の会話が“命のやり取りに繋がるもの”だったとは到底思えない態度だ。
だが──すぐに青いノートを開いた。
その中に、記されていたのは──
──名前。
しかし、人の名前ではない。
どれも、どこか歪で、どこか虚構的で、どこかインターネット的な名前。
@shine_KAITO
@××P_official
@vocalo_cut_ugly
@ボカロ滅べbot
@kaito嫌いな奴代表
@kaitoは要らない協会会長
@うちのKAITOだけ滑舌終わってる件
“ユーザー名”。
つまり、ネット上の匿名なる何かたち。
誰かの一意ではあるが、誰でもない存在。
にも関わらず──このノートは、確実に“それら”を殺している。
「これは……?」
問いは、驚愕と戸惑いと、ほのかな興味を煮詰めたような声で問う。
他人の殺意に惚れ惚れするなんて趣味はないが──この執念だけは、興味に値する。
Kは、空に浮かぶSNSのユーザー名を見ながら、青いインクでさらさらと追記しながら答えた。
「アンチ、だよ」
「……アンチ?」
「ああ。俺への悪意。“要らない”とか“気持ち悪い”とか“無個性”とか──そう言ったやつら、全員、ノートに書いてる」
……すごい。
ここまで真剣に“自分を守るためだけの自警活動”をしている男を見るのは初めてだ。
なんという無駄のない私刑。
なんという効率化された私的報復。
そして、なんという──“青い正義”。
そこには確かな“感情”があった。
自分自身への。
自分が“存在していい”という証明を、誰よりも強く信じている。
凡人には決して理解できない──だが僕には理解できてしまう性質の感情だ。
「……お前はそうやって悪人を裁いてるのか? このセカイで」
僕は、ごく自然にそう訊いた。
今更このセカイに驚きはない。
慄きもない。
ただ、確認すべき項目を、順番に消していくような口調。
Kは、一瞬だけまばたきした。
それは驚きではなく、“理解できないものを見たときの反応”だ。
「不思議だな……」
と、Kは言う。
「過去にここへ連れてきたやつは何人かいたんだ。でも全員、怯えて逃げ返って、二度と来なかった」
なるほど。
それもそうだろう。
犯罪者がいない世界。
空にインターネットの画面が漂い、巨大な月が睨みつけ、青いノートを持った謎の男が“アンチ狩り”をしている世界など──
まともな人間なら、正気を失っても不思議じゃない。
だが僕は、そもそも“まともな人間”の枠には入っていない。
「僕は別に……驚かない」
正直に答えているだけだ。
嘘ではない。
「死神も見たことがある」
事実だ。
いや、あれは見るというより、常に隣にいた。
「だから今更、天使が現れようが、“ボーカロイドが話しかけてこようが”……驚かないよ」
その言葉に、Kは──明確に驚いた。
感情を表に出すのが不得手そうなその顔が、ふっと緩む。
「……俺を、知ってるのか?」
僕は頷いた。自然に、滑らかに。まるで当然のことのように。
「そりゃあ、知ってる。“有名人”だからな」
たったそれだけで、Kの目元がわずかに緩む。
自分が“知られている”という事実に、嬉しさを隠しきれていない。
──この男は、承認欲求の塊だ。いや、“承認されなかった歴史”の塊かもしれない。
Kは空を見た。そこに浮かぶ巨大な月と、漂う文字の残骸たちを見ながら、ぽつりと語り出す。
「……俺、KIRAに憧れてるんだ」
風が吹く。脚色じみたタイミングで。
このセカイは、きっとKの情緒に合わせて風向きすら変わる。
「悪人を裁いて、弱いものを守る。そういう“正義”、かっこいいなって思ってた。
このノートを手に入れたとき、本当に、そうなるつもりだったんだ。
でも──気づいたら、俺をバカにしてきたやつばっかり書いてた」
KAITOの声は、静かだった。
まるで“本当に気づいてしまった人間”の声。
滑稽で、自己中心的で、未熟で、それでも彼なりに“まっすぐ”だった。
だから僕は、
KIRAとして、
ほんの少しだけ、肯定してやることにした。
「……それでいい」
「──え?」
僕の声には、“重さ”を込めた。
“世界を導いた者”だけが持ちうる、肯定の重み。
「悪人は裁かれるべきだ」
ハッキリと、事実を述べるように。
ひとつの理論として、淡々と。
Kは固まった。
青いノートのページが、風に震えている。
「悪口や『死ね』なんて言葉を、軽い気持ちで吐く奴は多い。だが──あれはただの文字じゃなく、凶器だ」
僕は続ける。
Kの“裁き”を肯定するためではない。
世界の原理を教えるためだ。
「言葉の暴力は、人を殺す。
傷つけ、追い込み、人生を壊す。
場合によっては、自殺まで導く」
Kは息を呑む。
これは僕の倫理ではない。
KIRAとしての“結果論”。
そして──この世界では、結果がすべてだ。
「悪意を持って発言したアンチは悪だ。自覚があろうがなかろうが、人を傷つけるのは“罪”」
だから。
「K、あなたがアンチを殺したことを……僕は咎めない」
Kの瞳が揺れる。
青い光が震える。
「それこそ、新世界に必要な裁きだ」
その一言を告げた瞬間、このシンセカイに吹く風の温度が一度下がった気がした。
Kの行いは幼稚で、未熟で、自己中心的だが、原理としては間違っていない。
“害を為す者は裁かれるべきだ”──それはこのセカイの、そして元の世界の、揺るがない真実だ。
Kは震える声でつぶやく。
「……俺の裁きは、間違ってなかったんだな」
Kはまだ、自分の裁きが“正しい”と言われた衝撃から抜け出せずにいた。
その視線は宙を彷徨い、まるで世界の座標そのものを探しているようだった。
だから──僕は、そこにひとつの“方向”を与えた。
「そうだ。それでいい──あなたは正義だ、K」
その言葉は、青い空間に落とした石のように、静かに反響する。
意味は一つだが、影響は計り知れない。
Kは、ぐいっと顔を上げた。
驚き、困惑、期待、そして……救済。
それらの感情が彼の目に同時に灯る。
「……正義?」
まるでその二文字が、ずっと欲しかった言葉だったかのように。
いや、きっとそうなのだろう。
孤独な神が、初めて見つけた“同類”。
それが僕──夜神月だ。
僕はゆっくりと、黒いデスノートを開いた。
乾いた紙の匂い。
そこに刻まれたのは──
──名前。名前。名前。名前。
びっしりと並んだそれらは、“悪”の辞書のようだった。
殺人鬼。連続脅迫犯。放火魔。テロリスト。
世界中で語られた犯罪者の名前。
──僕に裁かれた者たち。
Kは息を呑む。
目を見開き、信じられないという顔でページを覗き込む。
「……こ、こんなに……?」
その声には恐れではなく、畏敬があった。
神が“もう一人の神”を見つけたときの、奇妙な尊敬。
「尊い命を奪った凶悪犯たちだ。僕は──僕の世界で悪を裁いてきた」
Kは立ち尽くす。
青いノートを胸に抱え、黒いノートを見つめ、その意味を理解しようとしている。
そして、僕は一歩、Kへ近づいた。
距離はわずか。
だが、概念としては天と地ほどの差を埋める一歩。
「共に、悪を消そう」
そして──言葉を落とす。
「僕が《新世界》にあなたを導く──」
Kの瞳が揺れた。
見つけてしまった信仰。手にしてしまった信条。その名の意味を、口にするには一瞬の勇気が必要だった。
「……お前は……一体?」
僕は静かに目を伏せ、そして、ゆっくりと告げた。
神の名乗りを。
正義の結晶を。
「新世界の神──僕が“KIRA”だ」
そうして、青いセカイに、黒い名が刻まれた。
☾☾☾
──はっ、と目を開ける。
瞬間、視界が現実に戻ってきた。
見慣れた部屋。
机の上。開きっぱなしのノート。
──ああ、僕は寝ていたのか。
「……夢?」
頬が少しヒリつく。手をやると、鉛筆の跡がついていた。
──ノートを下敷きにしたまま眠っていたらしい。
ぐしぐしと擦る。
証拠を消すように。あるいは、夢と現実の境界を曖昧にするように。
ふと、マウスを握る。
気まぐれに、無意味に、何となく。
ブラウザを開いて、ニコニコ動画にアクセス。
検索窓に打ち込む。
──“KAITO”
どこかで見た気がする名前。
画面の中に存在するはずの“青い神”が、そこにいる気がして。
表示された楽曲を、ひとつクリックする。
スピーカーから流れてきたのは、意外なほど熱を帯びた声だった。
『恨みあってんだ どの口で』
『縋りあってんだ その指で』
『黄泉返って お前だって』
『詰めたって 許せよ ジーザス』
──言葉が、音で殴りかかってくる。
憎悪と祈り。懺悔と暴力。
愛と殺意の区別が曖昧なリリック。
曲が進むにつれて、画面に奇妙な文字が現れた。
『愛しい主』
KAITOに呼ばれた気がして──
月はふと、コメント欄を開いた。
指先が自然に動く。
誰に見せるためでもない、ただ一人の青年に届けばいい“声”として。
この声が、KAITOにとってほんの少しでも救いになるように。
カーソルが点滅し、文字が刻まれる。
〈──君を否定した声は多いだろう。
しかし、君の声で救われた命が一つでもあるなら、それは立派な正義だ。
──その声で、理想の新世界を導け〉
──小さく、KAITOの声が聞こえた。
『憎い』
『憎い』
『憎い』
ああ、僕も──この腐った世界が憎いよ。
「『……ジーザス』」