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月日が経つというのは本当に早いもので、簪を桐生様から頂いのは昨日のよう。
その簪を身につけ。支度部屋にて百合子様のお茶会に行く用意が整った。
メイドさん達と美容師の方は先ほど静かに部屋を出て行って、私は一人。姿見の前で自分の姿を見ていた。頭に付けた翡翠の簪がキラリと光る。
美しい緑の輝きはどうしても澪様の瞳を思い出してしまう。
自分でも良くわからない感情が膨れる前に、簪から目線を逸らして自分の髪を見つめた。
美容師の方が短い私の髪を後ろにきゅっと、まとめて。簪やリボンで華やかに結んでくださり、綺麗な結い髪になっていた。
それに合わせて上品な薄桜色の着物を着ていて、メイドさん達がとても褒めて下さった。
まるでお姫様みたいだと。
それはグリム童話で出てくるような、金髪に青い目のお姫様じゃなくて。
お雛様とかを彷彿させるものだろうと思った。
それもそうだろう。
私には王子様は──と。そっと近くにある鏡に手を伸ばし。
虚像の中の私の顔に触れる寸前。
扉がノックする音がして、桐生様が部屋に入って来た。
さっと鏡から手を離して桐生様を見ると、その凛々しいお姿に目を見張った。
将校姿と言うのだろうか、黒の大礼服は金のボタンや、金のベルトが華やかで桐生様によく似合っている。
まじまじと見てまうと、コツッと革靴の音がしてはっとした。
「桐生様。着物を仕立てて頂き、ありがとうございます。本日は私達の婚約を百合子様に報告をして。つつがなく、桐生様の婚約者として務めて参ります」
挨拶をすると桐生様は、肩の|肩飾り《エポレット》をしゃらりと揺らして微笑んだ。
「千里様。そのように硬くならなくとも大丈夫です。百合子様は楽しいことが好きなお方。此度のお茶会は格式ばったものではなく、大道芸人や踊りに唄。芸に覚えがある者達も参加して、大変賑やかなお茶会だと聞いております」
「そうなんですか?」
「えぇ。百合子様はその中でも優秀な者に褒賞を授与すると言うことです。私も楽しみですから、物見遊山ぐらいのお気持ちで大丈夫ですよ」
その言葉に少しほっとすると、桐生様がコホンと咳払いをして私を見つめた。
「それにしても、今日のお姿はとても綺麗です。百合子様も千里様に会いたいと手紙が来ていました。きっと喜んで下さることでしょう。私も鼻が高い」
柔らかな言葉使いは紳士そのもの。簪を貰った日から桐生様の表情はなんだか、柔らかくなったような気がする。
それでも聞かずにはいられなかった。
「私は本当に、桐生様に相応しいのでしょうか。このように良くして頂いているのにまだ、私は……」
自信が持てません。
そう、言葉を続けるつもりだったのに。
桐生様が。
「それは、藤井澪のことが好きだからですか?」
と言ったのでびっくりした。
「私が澪様のことが好き?」
「……そのようにお見受けしましたが。違うのですか?」
問われて、ゆっくりと考えて力なく笑ってしまった。
「私にも分かりません。きっとそれが分かる前にお別れをしたんだと思います。でも、私が澪様のことを好きだとしてもきっと想いは通じません。だって澪様は大人ですから」
それにと頭の簪に触れる。
「だったら──好きだと気づく前に。お別れして良かったと思います。子供に好かれても迷惑でしょうし。最後にあの雑木林で私は澪様に『忘れて下さい』と言いました。なのに私が未練がましく覚えていたら、おかしいじゃありませんか」
自分で言ってなんだか、スッキリした。ずっとずっと思っていたあやふやなことが、やっと言えたと言う気持ちだった。
──そうして、そっと簪から手を離す。
「千里様……」
珍しい桐生様の戸惑いの声。
それに対して私は頭がすうっと、今まで悩んでいたことが明瞭になった。
「桐生様。不甲斐ないことを言って申し訳ありませんでした。私はここで、選んだ場所でちゃんと生きて生きます。私達はずっと山に隠れて生きてきた。でも、それを探してくれてる人がいた。心配してくれる人がいた。だったら、もう隠れるべきではないのでしょう。だから、これからもよろしくお願いします」
すると桐生様は私の手をきゅっと握ってきた。ちょっとびっくりする。
「私がもし藤井澪より先に千里様と出会っていたら。堺の街で逃亡する千里様のこの手を、私が握っていたら──そのような思いをさせずに済んだのではと思っています。私は、いや。俺は千里様の信頼を得た、藤井澪が羨ましかったと思います」
この人はずっと昔の主人の言葉を代々受け継いで来た。それを誇りに変えたきた一族。
今の言葉にきっと嘘偽りはないだろう。
握られた手を淡く、握り返すと桐生様が深く頷いてくれて。
──さぁ、行きましょうと。私の手を引くのだった。
ここは仙石邸。
まるでお城の天守閣を日本庭園に建てたみたいな、圧巻のお家だった。
その庭は言うまでもなく広く。美しく。周りを囲う陣幕が紫色で気品さえ漂う。
早くもその庭では宴会がおっとりと始まっていて、綺麗な人達が談笑している様子は竜宮城の宴を思わせた。
そしてこの宴の主。
仙石百合子様は見渡しの良い場所に、一際目立つ真っ赤な野点傘を差し。非毛氈を敷き。その後ろには白銀の屏風を背にして、この場を愛でていらっしゃった。
その様子は貫禄があり、なんとご挨拶していいか分からなくなってぴたりと足を止めてしまうと、なんと。桐生様が私を百合子様に紹介してくださる前に、百合子様が野点傘の下から立ち上がり、従者を率いてこちらにやって来た。
それには桐生様もギョッと驚いた様子だった。
私達が驚いている間に、百合子様は私の前でピタリと止まった。
白髪の結い髪に、白銀の着物に、白いミンクの豪勢なショール。
彩雲を纏った気高さは、まるで中国のお伽話にでて来る西王母様みたい。
そんな風格を持つ、百合子様が私の顔をまじまじと見つめた。
圧倒的な佇まいに緊張していると、百合子様はにこりと微笑まれた。
「そなたが千里姫かえ?」
「は、はいっ! 千里と申しますっ」
「どれ、顔を良く見せてくりゃれ。あぁ、この瞳は妾と同じじゃ。間違いない。姉妹の血じゃ。よう、生きておった。あな嬉しや……」
そう言うと百合子様は私を抱きしめてくれた。
その瞬間。不思議とお母さんに抱きしめられた──ような懐かしさが胸に広がった。
「百合子様──お会い出来て、心よりお喜び申し上げます」
百合子様に触れて自然と言葉が出た。
「うむ。ほんに愛らしい姫じゃのう。妾とそなたにには縁がある。健勝で何よりじゃ。千里姫よ。後でその茶の腕前、妾に見せて欲しい」
「は、はいっ。もちろんです。喜んでっ」
百合子様の体はゆっくりと離れたが、華奢な手を私に伸ばして頬に触れてきた。
そして愛い愛いと、頬をさすりながら微笑む。
その仕草さに初めて会ったのにも関わらず、親愛を感じて嬉しくなった。
すると隣に居た桐生様が百合子様に頭を下げた。
「百合子様。本日はお招き頂き、」
「桐生の当主。黎夜よ。そうしゃちこ張るではない。堅苦しいお前様が余計、堅苦しくなってどうする。昔みたいに、トンボを追いかけているお前様の方が妾の好みで実に愛らしかった」
ふふと笑う百合子様に、桐生様は慌てる。
「ゆ、百合子様。それは昔の話で」
「そうじゃな。今日は姫の前では男らしくありたいものよな。黎夜よ。妾を許してたも」
朗らかに百合子様にそう言われたら、桐生様も首を縦に振るしかないみたいだった。
百合子様は私の頬から手を離し、桐生様を見つめた。
「桐生黎夜と千里姫との婚約、妾が見届けよう。よいか、黎夜。千里姫は失われたと思われていた──大姉様の血を今に引き継ぐもの。妾の同胞と言うても過言ではない。粗末に扱うものなら、妾が赦しはしない。よいな?」
「もちろんでございます。千里様は私の命を賭けて守るべき存在です」
「その言葉、信じておる。さて、二人とも今日は晴れの日じゃ。妾のそばにおるといい。甘い菓子でも共に食そうではないか。ほほっ」
百合子様は私と桐生様の手を取り、また赤い傘の下へと戻る。その様子はまるで無邪気な乙女。
威厳もあるのにとても不思議な方。さすが侯爵様の地位にある方だと感心してしまう。
すると桐生様とぱちっと視線があって、ふっと互いに微笑んだ。
それから、和やかな雰囲気でお茶会が始まった。
堅苦しい挨拶もなく。
百合子様は皆様に「今日も楽しんでくりゃれ」と、短く挨拶をしただけ。
庭の一角には舞台が用意されており、そこで招かれた芸に覚えがある人達がその腕を競った。
歌に踊りに腹話術。どれも楽しい演目ばかり。
しかも立食式の宴で、給仕の人達が机に料理を運んでくれる。
そして私と桐生様は百合子様のそばにいたので、代わる代わる様々な人達が挨拶に来られて、私にも挨拶をして下さるので、お顔とお名前を覚えるのに必死だった。
でも、そんな私の様子を見て桐生様が前にでてくれて、対応を一身に引き受けて下さった。
その間に百合子様にお菓子や料理を勧められて、ゆっくりと話しかけられる。
「のう。千里姫よ。そなたの経緯は黎夜から包み隠さず聞いておる。まこと──罪な姫じゃ」
「つ、罪でございますかっ。わ、私。何か知らぬうちに犯罪をっ」
さっきまでこんもりと盛られていた、アイスクリームが空になったガラスの器を落としそうになって、急いで隣に居た給仕の人に渡す。
何も心当たりがないと慌てるけど、百合子様は楽しそうに笑い、白髪を揺らす。
「あぁ。それはそれは大罪じゃ。しかし、我らが祖を辿れば仕方ないこと。妾達は恋多き女。千里姫もそのことを、ゆめゆめ忘れるではないぞ」
百合子様の含みある言葉に、その真意はわからずとも「はい」と返事をすると。
またにっこりと微笑まれて。視線を舞台へと向けた。
「さて、千里姫。それに黎夜、戻って来い。次の舞台は今日の目玉じゃ。ゆっくりと見なされ」
その言葉と同時に舞台から、わぁと女性の歓声が上がった。
──まぁ、なんて素敵な殿方達。
次の演目は踊りかしら。
唄かもしれないわ。
そんな期待に満ちた会話が起こり。
食事やお喋りに無茶になっていた人達も、歓声に釣られて舞台をはっと見つめる。
そこには噺家のように、こざっぱりとした草木染めの着物と羽織を着た男性が二名登壇していた。
その二人に私は目が釘付けになった。
「あ……」
なぜなら一人は春の陽気を纏う嫋やかな男性。そしてもう一人は眼が覚めるような、長い金髪の持ち主。
どちらも大変見目麗しい男性で、私が知っている二人に違いなかった。
「……うそ……澪様に、臣様?」