放棄された工場の内部は薄暗く、錆びた鉄骨や壊れた機械が無造作に散らばり、荒れた空気を醸し出していた。その中で、桜遥たちと敵軍の間には、すでに戦いの緊張感が張り詰めていた。
桜伊織は兄に同行し、その場に足を踏み入れていた。彼女の目的はただひとつ、兄がどんな場所でどのように動いているのかを「見る」こと。守るわけでも、直接何かに関与するわけでもなく、彼女は冷静に状況を観察するためだけにその場にいた。
敵軍のリーダー格の男が挑発的な声をあげながら前に進み、「おいおい、楽しませてくれるんだろう?」と笑う。彼の後ろには、同じように戦意を見せる数人が控えていた。
桜遥は冷静な目で彼らを見据えながら、「俺たちは遊びでここにいるわけじゃない。戦う気なら早くしろ。」と低い声で応じる。
その言葉に敵軍の一人が拳を握り締めて前へ進み、戦いの火蓋が切られる。その瞬間、桜遥や蘇枋隼人、柘浦巧が瞬時に体勢を整え、反撃に移る。錆びた床を踏む激しい足音が響き渡り、鉄骨の間で衝突が繰り広げられる。
伊織はその激しい場面をただ静かに見つめていた。その瞳にはわずかな驚きと鋭い観察の光が宿り、兄やその仲間たちがどのように戦うのかをじっくりと理解しようとしている。
近くにいた楡井秋彦がそっと声をかける。「桜さん、こういうのを見るのって初めてっすよね?」
伊織は穏やかな表情のまま、少しだけ彼に視線を向けて答える。「ええ、初めて。でも、ここで兄がどういう人たちと動いているのかを見るために来たの。それだけよ。」
その返答に秋彦は感心したような表情を見せ、「さすが桜さんっすね。」と静かに呟いた。
その間にも、衝突はさらに激しさを増していったが、伊織は一切動揺することなく冷静にその場の全てを見守り続けた。彼女の目的はぶれることなく、「見るだけ」。それを理解した上で、ただ兄の背中をじっと見つめていた。
そんな中、一人の敵軍メンバーが鉄材の陰から姿を現し、鋭い視線で伊織と秋彦を捉えた。敵が音もなく距離を詰めてくるのを察知した蘇芳隼人が、迷うことなく素早く二人の前に立ちはだかった。
「危ないから、ここは俺に任せて。」 蘇芳は穏やかな口調でそう言いながらも、その視線には静かな威圧感が宿っている。敵の動きをしっかりと見定めながら、冷静に身構えた。
敵が拳を振り上げて突っ込んできたが、蘇芳はその攻撃を難なくかわし、優雅な動きで間合いを詰める。そして軽い力で相手の腕を捉えると、無理なくその動きを制した。
「落ち着きなよ。こんな場所で暴れるのは、誰のためにもならないよ。」 蘇芳のその言葉は、相手を責めるような言葉だった。
しかし、敵の男は感情に任せてもう一度攻撃を試みようとする。それを見た蘇芳はため息をつきながらも、再び的確なタイミングで動きを封じる。短く「終わりにしよう」とだけ言い残し、最後に相手の力を抜くような一撃を繰り出した。
倒れた敵を見下ろしながら、蘇芳は一瞬だけ肩をすくめ、後ろを振り返って伊織に穏やかに微笑んだ。「君たち、大丈夫だった?」
伊織はその言葉に微笑みを返し、「ありがとう、蘇芳さん。」と静かに礼を述べた。その声は落ち着いていたが、どこか確かな信頼が感じられるものだった。
「危ない目に遭わせて悪かったね。でも、君が冷静に見ていてくれたおかげで助かったよ。」 蘇芳のその柔らかな言葉に、秋彦は小さく頷きながら、「やっぱり蘇芳さんは頼りになりますね。」と呟いた。
直後、鋭い足音が響き、背後から別の敵が拳を振り上げて襲いかかった。その気配を感じ取った蘇芳はすぐに振り返り、体をひねって攻撃をかわす。しかし、不意打ちだったため完全に対応しきれず、その拳は避けた先にいた楡井秋彦へ向きを変えた。
「にれ君、危ない!」 蘇芳が警告を発するが、敵の拳が勢いよく楡井に迫る。秋彦が驚きで硬直したその瞬間、伊織が鋭い声を放った。
「しっかり捕まってて。」 それと同時に、伊織は秋彦の腕を掴み、お姫様抱っこの形で彼を軽々と持ち上げた。次の瞬間、彼女の体は驚くべき速さで空中に跳び上がった。その跳躍力は目を見張るもので、2メートル50センチメートルもの高さを軽々と越え、敵の拳を完全にかわした。
「……まじか。」秋彦は空中で呟いたが、伊織は無言のまま、安全な距離まで跳びながら一切の動揺を見せなかった。
地面に着地すると、伊織はそっと秋彦を降ろし、柔らかな声で問いかけた。「秋彦君、大丈夫?」
秋彦はまだ状況を理解しきれない様子で、驚きと感謝の表情を混ぜたまま答える。「え、えぇ…。助かりました…。」その声には心底驚いた感情が滲み出ていた。
蘇芳はその様子を確認し、落ち着いた声で話しかけた。「伊織さん、ありがとう。にれ君が無事で助かったよ。」
伊織は肩をすくめるように軽く笑い、「私ができることをしただけよ。」と静かに返す。その冷静で揺るぎない態度に、蘇芳と秋彦はただ感心するばかりだった。その後、鋭い目で戦場を見渡した。彼女の視線は敵軍の動きを捉え、次の瞬間には空中へと跳び上がっていた。
伊織の動きはまるで風のように軽やかで、鋭い蹴りを上から敵に向けて繰り出す。その蹴りを敵が手で受け止めると、彼女はその力を利用して自らの体を投げ飛ばされるように動かし、空中で体勢を整えた。
「まだ終わらないわ。」 伊織は冷静な声で呟きながら、敵の足元を狙い、強力なキックを繰り出す。その蹴りは鋭く、敵の足を捉えると同時に、相手のバランスを完全に崩した。
敵が倒れ込む間も、伊織の動きは止まらない。彼女の足が敵の頭部へと向かい、最後の一撃を加える。その瞬間、敵は気絶し、もしくは足の骨が折れるほどの衝撃を受けて動けなくなった。
周囲の敵軍はその鮮やかな動きに一瞬息を呑み、場の空気が変わる。伊織は地面に着地すると、再び冷静な表情で次の敵を見据えた。
つづく
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