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劇の練習を始めてから二週間ほど経ったある日のこと。
屋敷の自室で自主練習をしていたルシンダは、大きな溜め息を吐いた。
(こんなに練習してるのに、全然上達してる気がしない……!)
台詞は一応暗記し終え、つかえずに言えるようにはなった。
けれど、台詞が棒読み気味なのは相変わらずで、自分でも白々しく聞こえてしまう。
男主人公の三人はすでに台詞も演技も完璧なので、アーロンとライルは劇の練習をしながら多忙な生徒会の仕事もこなしている。
一方のルシンダは、生徒会の手伝いは休ませてもらって、劇の練習に専念している形だ。
「みんなに迷惑をかけて練習させてもらってるのに、こんなんじゃ顔向けできないよ……」
ひたすら練習に励んでいるおかげで、ほんの少しは見られる演技になってきたと思う。でも、アーロンたちに比べると雲泥の差で、これではせっかく観に来てくれた人たちをガッカリさせてしまうかもしれない。
「どうしよう……本当にどうしよう……」
台本を片手にウロウロと部屋の中を歩き回る。
そうして十往復くらいしたところで、ルシンダはハッと閃いた。
「そうだ! 経験者に聞いてみよう!」
◇◇◇
「お兄様、いらっしゃいますか? ルシンダです」
大きなドアの前でコンコンとノックをすれば、すぐに扉が開いてクリスが現れた。
「ルシンダ、どうした? 勉強で分からないところでもあったか?」
「いえ、勉強のことではないのですが、ちょっとお兄様にお願いしたいことがあって……」
クリスは昨年の文化祭で劇に出て、男主人公の一人を演じていた。
ヒロインとは結ばれずに、最後は死んでしまう当て馬の役だったが、クリスの演技が神がかりすぎていて、ルシンダはつい正ヒーローよりもクリスの演じた公爵のほうに肩入れしてしまったのだった。
(あんなに素晴らしい演技をしていたクリスお兄様だったら、きっといいアドバイスをもらえるはず!)
さっそく文化祭の劇の演技で悩んでいることを相談する。
「……台詞に気持ちを込めるのが難しい、か……」
「去年の文化祭でのお兄様の演技は、本当にその役が生きているみたいで感動しました。私もあんな風に演技できたらと思って……。どうすれば上手くできるようになると思いますか?」
切羽詰まった様子で教えを乞うルシンダを前に、クリスは顎に指を当てて考え始める。
「そうだな……。ルシンダは台本に書かれていることをそのまま演じようとしているから上手くいかないのかもしれない」
「え……どういうことですか?」
台本に書いてあるとおりに演じる、それが演劇なのでは?
首を傾げるルシンダから台本を取り上げ、クリスが説明する。
「たとえば、ヒロインが城から追い出されて森へと連れていかれるシーン。ルシンダはこのシーンをどんな風に演じている?」
「えっと、ここは台本に”心細そうな様子”と書いてあるので、弱々しい感じで……」
ルシンダが説明すると、クリスは納得したように小さくうなずいた。
「なるほどな。ルシンダはきっと、ヒロインの心情を理解するといいかもしれない」
「心情、ですか?」
「ああ、ヒロインはなぜ、どんな風に心細かったのか考えてみるんだ」
「そうですね……慣れ親しんだ自分の家から追い出されて……暗い森に連れていかれて、これからどうなるのかも分からない……辛くて怖くて不安だったと思います」
ヒロインの気持ちを想像しながら、ぽつりぽつりと答えると、クリスが首肯した。
「そうだな、きっとそういう心情だったと思う。それが分かったら、今度は自分に置き換えて考えてみるんだ」
「自分に置き換える……?」
「ああ。ルシンダはヒロインとまったく同じ経験はないが、似たような出来事はあるんじゃないか?」
クリスに促され、ルシンダはこれまでの記憶を振り返ってみる。
「あ……そういえば、孤児院からこの屋敷に連れてこられたときは、似たような気持ちになってました……」
ルシンダは九歳のときに、このランカスター伯爵家の養子として孤児院から引き取られた。
貧しい孤児院での暮らしから、裕福な貴族の暮らしができると嬉しい気持ちもあったが、不安だってもちろんあった。
自分なんかが貴族の屋敷で上手くやっていけるのだろうか。
礼儀作法や勉強をきちんと身につけられるだろうか。
元孤児だからと、使用人からいじめられることはないだろうか。
義理の両親だって、気が変わったと言って後から追い出したりしないだろうか。
孤児院を出て屋敷へと向かう道中、胸の中では恐怖や不安が渦巻いていた。
当時のことを思い出してうつむくルシンダの頭を、クリスが優しく撫でる。
「嫌なことを思い出させてしまってすまない。でも、そういう自分の体験や思いを基にすれば、ルシンダの演技も変わるはずだ」
「分かりました。では、このシーンをやってみます……!」
ルシンダが顔を上げて演技を始める。
『……狩人さん、森の中に入ってどうするのですか……? 私はもうお城には帰れないのですか?』
『……リリィ姫、女王様の命令なのです』
『私はどうなるのですか? ここは暗くて、とても怖いです……』
クリスが狩人役になりながら、二人の掛け合いを演じる。
クリスのアドバイスどおり、自分の経験や心情に当てはめてみたら、驚くほどすんなりと演じることができた。
「……ルシンダ、やればできるじゃないか。今の演技はとても自然だった」
「お兄様が教えてくださったおかげです。私、なんだかコツを掴んだ気がします」
この調子で練習すれば、演技上手の三人にも追いつけるかもしれない。さっきまで落ち込んでいたのが嘘のようにやる気に満ちあふれてきた。
「今日、相談してみてよかったです。お兄様が演じた公爵様の役もこうやって作り上げたんですね!」
「……そうだな」
「では、部屋に戻ってまた練習してきます」
「ああ、頑張れ」
早く他のシーンも練習したくて、喜び勇んでクリスの部屋を出たルシンダだったが、ふと引っかかりを覚えて立ち止まった。
(お兄様も自分の経験や気持ちを基にして演技したって言ってたけど、お兄様のやった役って……)
よくよく考えてみれば、クリスの演じた公爵はヒロインを愛しすぎて嫉妬に狂い、監禁してしまう役だ。
(あんな過激な役と似たような経験なんてある……?)
まだ若いのにそんな経験があったら心配になってしまう。……いや、若くなくても心配ではあるが。
でも、ずば抜けて賢いクリスだから、そういったシーンはきっと自分などよりずっと豊かな想像力で乗り切ったのだろう。
「よし、今度は私がお兄様を感動させられるよう頑張ろう!」
ルシンダはぎゅっと両手を握って気合を入れるのだった。