テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
[おとぎ話の忘れ物]
若井side
高校生になった俺は、あの頃のお話をすっかり忘れていた。
いや、正確には「忘れたふりをしていた」のかもしれない。
机に向かって参考書を広げても、頭の中は未来のことでいっぱいだった。
大森元貴と組んでいるバンドのことでいっぱいだった。
バンドでプロになる。
俺たちは、日本の音楽を変える。
そんな大それた夢を語り合った。
俺たちの音楽が、たくさんの人に届く。
その未来を想像するだけで、胸が熱くなった。
そんな俺にとって、祖父が毎晩聞かせてくれたお話は、もう、子供を楽しませるだけの現実離れしたおとぎ話にすぎなかった。
湖を走る鹿の群れ?運命の女神さま?そんなファンタジーな話なんかより、どうしたらもっといい曲が作れるか、どうしたらもっと上手くギターが弾けるか、そんなことばかり考えていた。
だけど、祖父がこの世を去って数ヶ月が経った頃から、毎晩同じ夢を見るようになった。
夢の中では、俺がただ一人で湖畔に立っている
目の前には、祖父が話していた通り、湖を走る鹿の群れがいる。
一頭一頭が、まるで光を纏っているかのように、幻想的で美しい。
俺は、その光景をただ見つめることしか出来なかった。
夢は、いつも同じ場所で終わる。
俺が目を覚ますと全身に汗をかいている。
心臓がうるさいくらいに鳴り響いていて、自分がどこにいるのか一瞬分からなくなる。
そして、夢から覚めると俺は決まって、幼なじみの藤澤涼架にちょっかいを出さずにはいられなくなる。
「ちょっと、若井!いい加減にしてよ!」
涼架はそう言って怒るが、俺はそれをやめることができない。
涼架の少し怒ったような、でもどこか呆れたような声が、俺の心をざわつかせる。
まるで、夢の中で見た鹿の群れに、俺の心が引きずられているかのようだった。
俺の心は、ずっと昔の湖畔にいるのに、体は涼架をからかうことでその場に留まろうとしている。
俺は、あの頃のお話を忘れてしまったはずなのに、俺の心は祖父の言葉をまだ覚えているかのようだった。
次回予告
[不器用なメロディー]
next→❤︎500
コメント
1件
涼ちゃんが運命の女神様…?