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デザート食べ終えると、お腹も心も満足感でいっぱいになっていた。
「帰る前に化粧室へ行ってくるね」
健治の浮気を許したわけではないけれど、今日は自分の誕生日。豪華で美味しいお料理に、贅沢気分を味わい、プレゼントまでもらって久しぶりに満たされた気持ちになっている。それなのに浮気話をして嫌な思いをしたくない。また別の日に話しをすればいいと立ち上がった。
「化粧室なら、ココ出て左に曲がった奥だよ」
「うん」
お部屋から廊下に出て、左の方向に足を進めると健治の言っていた通り化粧室があった。用を済ませてから洗面台で手を洗い、口紅を直していると、人が入って来る。
「あっ!」
意外な人物を鏡越しに見つけて、凍りついたように動けなくなってしまった。
その人物は、私に気が付くと、獲物を見つけた肉食獣のように紅く色づいた口角を上げる。
「あら、お久しぶり、覚えているかしら? 大学の時に一緒だった、野々宮よ。浅木さん。ああ、今、菅生さんでしたっけ?」
何で一番、会いたくない人にこんな所で会ってしまうんだろう。
健治の浮気相手、元カノの野々宮果歩だ。
手入れの行き届いた長い髪、気の強さが現れた大きな瞳、抜群のスタイルをブランドの服に包み、学生の頃から変わらない女王然とした風格。
口を引き結んでいると果歩は私を上から下まで値踏みするように見下ろす。その視線に耐えきれず自分から話しかけた。
「こんばんは、おひさしぶりです。噂でお医者様とご結婚なさったと聞きましたが……お名前は、野々宮さんのままで?」
「ああ、苗字? 夫は婿養子だから、苗字はそのままよ。だけど、今度、離婚するかもしれないから……。フフッ、どっちにしても野々宮なのよ」
果歩の口から離婚と言う言葉を聞いてゾワリと背筋が寒くなる。
果歩は、フフッと笑い、話を続けた。
「このお店、素敵でしょう。私も良く来るのよ。友人にもこのお店を紹介する事が良くあるのよ」
と言って、洗面台を指先でコツコツと鳴らす。
音のする方へ視線を移すと、果歩の指先には綺麗にネイルが施され、ブランドの指輪が輝いている。
私は、医療関係者だから、短く切りそろえ、指先にネイルなどできない。仕事帰りで指輪もしていない状態だ。
自分との差を見せつけるような、女としての見下されているような、指先にやるせなさが募る。
それに、”友人にもこのお店を紹介”という含みを持たせた言い方も、暗に自分が健治にこのお店を紹介してあげたと私に言っている。
そうだ、健治は私が化粧室に行くと言った時に場所を教えてくれた。以前にも果歩とこのお店を使ったことがあるんだ。だから、詳しかったんだ。
イヤだ。もう、聞きたくない。
でも、この人の前で泣くような事もしたくない。
「失礼します」と言って、その場から立ち去ろうとした私の背中に「またね」と余裕たっぷりの声が響いた。
どうしよう。このまま、何処かに消えてしまいたい。
お店の部屋で健治が待っている。今、会ったら叫びだしそう。
こと-koto
402
荒い息を繰り返し、廊下を歩いていると段々と視界が白くぼやけてくる。
「あっ……」
と、思った瞬間には意識が途絶えてしまった。
意識が戻ると見慣れない天井、白いカーテンが下がり、私の腕には点滴が注射されていた。
どこかの病院に運ばれたんだ……。
お店の廊下で倒れるなんて、きっと大騒ぎになったのだろう。
果歩は、その騒ぎの様子を見て、あの紅く染まった唇で、私の事を笑っていたのかも……。
モゾモゾと寝返りをうつと、カーテンが開き、健治が顔を見せた。
「美緒、大丈夫か?」
ベッドの横にある椅子へ腰を下ろし、心配そうに覗き込みながら、私の顔へ手を伸ばす。
健治に触れられると思うと抵抗を感じて思わずビクッと身をすくめた。
「どうした? 気持ち悪いのか?」
優しくされると、どうしたらいいのかわからなくなる。
でも、もう、私の限界……。
「お店のトイレで野々宮さんと会ったの。もうすぐ、離婚するって言っていた」
「えっ? 野々宮?」
健治から、ヒュッと息を飲む音が聞こえた。
私の視界は涙で歪み、健治の顔がぼやけて見える。
「私、先週、渋谷に居たの。健治と野々宮さんがホテルから出て来たのを偶然見ちゃったんだ」
そこまで言うと涙がスーッと流れ落ちた。
悲しくもあったけれど、胸の中にずっと溜まっていた重いモノを吐き出して、ホッとしたような不思議な気持ちになった。
「美緒……」
「健治は、そろそろ子供って言っていたけど……。私は健治との将来が考えられなくなっている。ごめんね」
健治は視線を泳がせる。それだけで、健治の動揺が見て取れるようだった。
きっと、不倫現場を見られたなんて、考えもしなかったのだろう。
でも、私だって凄くショックを受けた。出来れば、そんな場面を見たくなかったのに……。
健治は、気持ちを切り替えるように大きく息を吐き出した。
そして、いつも通りの優しい瞳を向け、ベッドの中にいる私へ手を添える。
「落ち着いたら家に帰ろう。お医者様から、美緒の意識が戻ったら、帰って良いと言われているんだ」
確かに、ココは病院だ。今は深刻な話なんて出来ない。家に帰ってからだ。
その間に、自分がどうしたいの考えないといけない。
「美緒……大丈夫か?」
健治は、私が起き上がるのに手を貸してくれる。そう、いつも優しい。健治との将来を考えられないと言ったけど、この手を自分から離すことが出来るのだろうか?
一度、繋いだら心地良く。私を助け、引っ張ってくれる大きな手。
ベッドから立ち上がると、健治が心配そうに私を覗き込む。
「無理すんなよ。タクシー呼んだからな」
健治は、私の肩を抱き歩き出す。
病院を出ると深夜の深い時間。見上げた空には厚い雲がかかっているのだろうか、星ひとつ見ることも叶わない、暗い夜空が広がっていた。
家に帰るためのタクシーに乗り込むと、低いエンジン音と共に、ゆっくりと街の景色が流れ出す。
私の心は、ドコに行くんだろう?
健治と並んで歩んでいくのだろうか?
一人で歩いて行くのだろうか?
それとも他の人の手を取るのだろうか?
車窓から見える、街並みを見ていてそんなことを思った。