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まなこ〜友
117
#ますしき
T
5,800
仕事に戻ると、周囲は以前と変わらず私を迎え入れ、昇進の話も淀みなく進んだ。
支社の和気藹々とした空気とは違う、本社の静かな緊張感に、背筋が伸びる思いがした。
「よ、朝比奈」
突然頭上から降ってきた声に顔を上げると、そこには佐久間くんがいた。
転勤の間、一度も会わなかったから、懐かしさを感じる。
「久しぶり、営業のエース様」
「その呼び方やめろよ。久しぶり、元気だった?」
「うん。同期が何人か辞めたってまた聞いてたから、佐久間くんだけでも残っていてくれてよかった」
この一年で、結婚や出産で職場を去った同期も多い。
たった一年だけれど、その時間は確実に環境や状況を変化させていた。
「昇進おめでとう。どうだった? 支社は」
「とにかく人に恵まれた。親切にしてくれた人も居たから困らなかったし」
「そっか。良い所に当たってよかったな」
佐久間くんの言葉に頷く。
「せっかく戻ってきて昇進も決まったし、飯行かない? 奢るよ」
「あー……、ありがたいお誘いだけど」
彼が転勤する前、告白されたあの日のことを思い出した。ここで二人きりの誘いに乗れば、雅が不機嫌になるのは目に見えている。
結婚を前提に同棲している身で、告白されたことがある男性と二人きりで食事に行くことが、どれほど彼に対して不誠実なことかも理解していた。
「……私、まだあの時の彼氏と続いてて……、その、二人きりでのご飯は……」
「あ、そっか、そうだよな。ごめん、気が回らなくて。じゃあ、他の奴も誘う?」
飲み会などの予定はいつも事前に雅へ伝えているが、今日は何も話していない。一緒に住んでいる以上、断りもなく飲みに行くのは気が引ける。
そもそも、男性のいる集まりを彼が快く見送ってくれるとは思えないのだけれど、念のため聞いてから返事をしようと決めた。
「今日、彼に何も言ってないから、聞いてから返事しても良い?」
「大丈夫。連絡待ってるな」
佐久間くんに手を振って見送り、スマートフォンを取り出して雅とのトーク画面を開いた。やり取りは昨夜、私がコンビニで買ってきてほしいものを送りつけたところで止まっている。
別に疚しいことなんて何ひとつないのに、この瞬間はいつも、指先が重くなるような気まずさがあった。
オフィスを少し離れ、自動販売機のあるスペースまで移動してから雅に電話をかけた。
『……はい』
繋がった先から聞こえてきたのは、寝起きのがさがさの声だった。
「もしもし? 寝てた? ごめん」
『……何。緊急?』
「……今日、同期の人達が昇進のお礼に飲み会開いてくれるって言うんだけど、行ってきてもいいかな?」
恐る恐る問いかけたが、返ってきたのは重苦しい沈黙の後の、深い溜息だった。
『……お前さ、仕事の事は優先する癖に、俺との事は後回しだよな』
低く鋭い声に、思わず背筋が凍る。
男もいるかと詰められたり、反対されたりすることは予想していたが、予想以上に彼の怒りは深く、飲み会そのものの話ではなかった。
優先順位を持ち出されたあたり、雅の中で何かが限界まで溜まっているのだと察する。
吐き捨てられた言葉に、どう返せばいいのか分からない。
『仕事が忙しいから待ってって言う割に同期様とは飲みに行くの? それで俺との事はちゃんと話す時間も無いんだな』
「それは……、私の為にってしてくれる事無碍には出来ないでしょ?」
『その思いやり俺にも欲しいくらいだわ』
結婚の話も、確かに一方的に待たせたまま何も解決していない。雅なら待ってくれると甘えていたと思う。
会社の人には気を遣うけれど、雅には甘えられる。その甘えが、いつからか彼には雑な扱いと受け取られていたのかもしれない。
自分にそのつもりがなかったとしても、彼にそう思わせてしまった時点で、言い訳の余地はなかった。
『……行きたいなら行けば。俺には関係無いし。そもそも今日仕事だから居ないし。お好きに』
「……そんな突き放す言い方しないでよ。今度、きちんと話そう?」
『残業、休日出勤が好きな夏帆に今度とか、そんな時来んの?』
皮肉を言い放たれ、一方的に電話が切れた。
行けばいい、なんて言葉を真に受けてはいけない。ここで行けば、彼は今度こそ本当に口をきいてくれなくなる。それを私は、嫌というほど知っている。
仕事が、会社がと言い訳を並べ、雅とのことを後回しにし続けてきたのは事実で、彼に我慢をさせてきたとようやく理解した。
佐久間くんとのトーク画面を開き«やっぱり今日、行けなくなった。せっかく誘ってくれたのにごめん»と送った。
スマートフォンの画面を落とし、自動販売機で冷たい飲み物を購入する。
少しでも早く仕事を終わらせて、家に帰り、やるべきことを済ませよう。雅が何時に帰ってきてもいいように、起きて待っていよう。
今日こそは逃げずに、彼ときちんと向き合いたい。
コメント
1件
もうっ雅くんの嫉妬と拗ね方がエグすぎて胸が痛いよ〜!!😭💔「俺には関係ないし」って……それ一番関係あるやつやん!!でも夏帆が自分の甘えに気づいて、ちゃんと向き合おうとしてるところにグッときた。逃げずに待ってる決意、応援したくなるよ!次どうなるか気になって仕方ない〜🔥