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第三十二章 静寂に差し込む異物
コト、と乾いた音が落ちた。
――茶杯が、卓上に置かれる。
注がれたばかりの湯気が、ゆらりと揺れる。
白磁の皿に、銀の箸先が触れる。
それだけで、この空間の静けさが分かる。
低く流れる音楽。
遠くで、グラスが触れ合う澄んだ音。
静まり返った個室に、それだけが響く。
辰哉💜「狼の勝ちかな?」
カチャ、と箸が置かれる音。
それを合図にしたみたいに、視線が一つ、動いた。
蓮 🖤「まだ時期尚早かと」
辰哉💜「おっ勝算あんの黒豹?」
とく、と茶が注がれる音。
その間に、亮平はゆっくりと指先を動かした。
カチャ、と箸を揃える。
無駄のない動き。
まるで――
最初から全部、決まっているみたいに。
亮平💚「まだ、あの言葉は頂けてないけど――」
カラン――
亮平💚「ほぼ確。ごめんね蓮」
グラスの氷を、指先で弄ぶ。
カラン、と音が揺れる。
そのまま、亮平は蓮を見た。
氷が、わずかに沈む。
亮平の視線を受けて、蓮はわずかに目を細めた。
口元には、まだ余裕が残っている。
けれど――
空気は、ほんの少しだけ張り詰めていた。
蓮 🖤「……そう簡単にいくかな」
低く返す声。
そのやり取りを挟んで、箸が動く。
コト、と皿に触れる音。
辰哉💜「いやぁ、いいねぇ」
深澤は楽しそうに笑いながら、
構わず料理を口に運ぶ。
まるで――
この場の空気ごと、味わっているみたいに。
辰哉💜「ほら、二人ともいっぱい食べて」
辰哉💜「精をつけなきゃね――どっちも」
回る卓上。
蓮の分まで取り分ける亮平。
辰哉💜「ピーマン嫌いなの?目黒くん」
蓮 🖤「いえ」
亮平💚「えっ食べれるようになったんだ。なぁんだ大人になったのね」
辰哉💜「……ふたり付き合ってたの?」
静まり返る個室。
一気に傾いたグラス。男らしい喉仏が上下するとコトっとグラスを置く乾いた音が響いた。
蓮 🖤「随分と昔の話で忘れました」
蓮 🖤「――食べ物の好みが変わるほど」
亮平💚「あらっ鮮明に僕は覚えてるけど?昨日の事のように」
辰哉💜「へぇ……おもろっ」
深澤は、ゆっくりと笑った。
――コト。
箸を置く音。
それまで崩さなかったリズムが、ほんの少しだけ、途切れる。
辰哉💜「そういえばさ」
軽い調子のまま、もう一度、茶杯を手に取る。
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辰哉💜「ひとつ、面白い報告があってね」
とく、と音を立てて注がれる茶。
湯気が、揺れる。
辰哉💜「今回の教授戦――」
一拍。
辰哉💜「もう一人、増えたよ」
空気が、止まる。
誰も、すぐには反応しない。
蓮 🖤「……誰ですか」
先に口を開いたのは、蓮だった。
深澤は、楽しそうに目を細める。
辰哉💜「ラウ男くん」
――カチ。
わずかに、何かが鳴る。
それが何の音か、誰にも分からないまま。
亮平の指先が、ほんの一瞬だけ止まった。
亮平💚「……は?」
低く、漏れる声。
辰哉💜「いやぁ、正式に書類も通っててね」
深澤は肩をすくめる。
辰哉💜「ちゃんと“本人名義”で」
その言い方が、
わざとらしくて。
蓮 🖤「……本人が、出したんですか」
蓮の声が、少しだけ低くなる。
深澤は、くす、と笑った。
辰哉💜「さあ?」
茶をひと口。
辰哉💜「そこが、ちょっと面白いんだよね」
視線だけが、二人を舐めるように往復する。
辰哉💜「彼、そんなタイプだったっけ?」
静寂。
さっきまでの“余裕”が、じわりと形を変えていく。
亮平は、グラスに触れたまま、何も言わない。
氷が、わずかに鳴る。
――カラン。
「……偽物、か」
誰のものでもない声が、落ちた。
辰哉💜「振り出しだねぇ」
深澤は、楽しそうに笑う。
その声だけが、妙に浮いていた。
ピクリと動いた眉。
亮平の顔から、笑みが消える。
亮平💚「はぁ……最悪」
吐き捨てるように、低く。
辰哉💜「で?」
深澤が、わざとらしく首を傾げる。
辰哉💜「アッチの方はどうだった?」
一瞬の沈黙。
氷が、わずかに鳴る。
――カラン。
亮平は、グラスを傾けたまま答える。
亮平💚「感度良好」
短く。
亮平💚「持ってかれそう」
――思ったより、早い。
グラスの氷を、指先で転がす。
カラン、と軽い音。
あの震えるカラダ。視線が揺れ濡れた瞳。
拒もうとして、結局、縋ってくる指。
全部、想定通り。
「今日はここまでにしよっか」
あそこで止めたのも、正解だった。
無理に進めれば、壊れるだけ。
でも――
一度、与えて、途中で奪う。
そうすれば、人は勝手に欲しがる。
――ほらね。
あの顔。
離した瞬間、乱れる呼吸。温もりを探して追いかける指。
肌に唇が触れるたびに、甘い吐息が漏れ、熱を帯びるからだ。
可愛いすぎる……ほんと。
グラスを傾ける。
氷が、また鳴る。
――あと一歩。
「好き」は引き出せた。
でも、まだ足りない。
あの言葉を、自分から言わせるまでは――
終わらない。
逃げ場は、ちゃんと残してある。
自分で選んでるって、思わせるために。
でも実際は――
どの道を選んでも、こっちに来るようにしてある。
「一緒に堕ちようか」
あの一言で、もう、戻れないところまで来てる。
あとは、
――勝手に、落ちる。
指先で、グラスの縁をなぞる。
「……ほんと、素直」
わずかに笑みが浮かぶ。
繋がった二人の身体。深く求めるように、擦り付けた翔太の後孔に腰を掴んで押し込んだ熱茎は、中で脈打ち十分な硬さになると喰らい付いて離さない翔太の隘路に、白濁を放った。〝亮平せんせっ……抜かないで〟愛くるしい表情で訴えた、可愛い翔太の顔が頭から離れない――
「与えた分だけ、ちゃんと欲しがるんだから」
グラスを傾ける。
「いい反応だね……クセになりそう」
――完璧、のはずだった。
なのに。
ほんの一瞬だけ、指先が、止まる。
切り離したはずの熱が、まだ、残っている気がした。
……なんでだろ。
あの顔が、まだ、残ってる。
――ほんと、
依存体質だな。
……こっちが、か。
――厄介。
蓮 🖤「へぇ……」
舌先で、唇をなぞる。
蓮 🖤「それは楽しみだ」
視線が、絡む。
さっきまでとは違う意味で。
亮平💚「優しくしなさいよ」
深澤が、くすくすと笑う。
蓮 🖤「得意分野だ」
即答。
亮平💚「嘘おっしゃい」
蓮 🖤「鮮明に覚えてるんじゃないのかよ?」
意地悪く笑った蓮を他所に、頰を赤く染めた亮平。
亮平💚「馬鹿じゃないの」
トクトク、とグラスに酒が注がれる音。
その音だけが、妙に、生々しく響いた。
辰哉💜「恋の巨塔も中詰だねぇ〜」
目を覚ました時、最初に感じたのは、温もりじゃなかった。
隣は、もう、空だった。
触れたシーツは、冷たくて、そこにあったはずのものを、全部、夢みたいに消していた。
しばらく、動けなかった。
体が、まだ、余韻を覚えている。
なのに、隣には、何もない。
ゆっくりと、手を伸ばす。
触れる。
――冷たい。
それだけで、分かってしまった。
――またひとりぼっち。
「……」
声にならない。
残っているのは、熱じゃなくて、違和感だった。
テーブルに置いてあった書き置き。
🗒️ごめんね、病院から呼び出し。
朝まで一緒に居られなくて本当にごめん。 亮平
少しだけ、ホッとした。
――はずなのに。
胸の奥に残っているのは、安心じゃなかった。
翔太💙「一緒って……言ったじゃん」
どこか、変えられてしまったみたいな、戻れない感覚。
一人取り残されたホテルの一室。
静かすぎて、余計にそれが、はっきりする。
すぐに寂しくなって、
「……ない」
思わず、声が漏れる。
「なんで……」
雪うさぎのキーホルダー。
昨夜まで確かにそこにあったのに、キーチェーンから外れたのか、うさちゃんだけが無くなっていた。急いで部屋を探したものの、見つからずチェックアウトを済ませ、来た道を辿った。
カラコロと鳴るドアベルの先。
喫茶店を探しても見つからず、もう一度辿ろうと歩みを進めたその時だった。
ラウ男🤍「何してんの?」
――タイミングが、良すぎた。
斜めにかけた鞄の紐をギュッと握りしめた翔太の表情は今にも泣き出しそうだった。
ラウ男🤍「大丈夫?少し話そうか?」
顔を横に振った。
それが翔太の精一杯だった。
堰を切ったように流れ出した涙が頰を伝う。
翔太💙「ううっ……無くしちゃった」
翔太💙「うさちゃん……いなくなった」
太ももの横で小さく握りしめられた翔太の冷たい手を、温かいラウ男の手が覆った。
ラウ男🤍「……泣くほど大事なやつ?」
しゃがんで、目線を合わせる。
翔太は、言葉にならないまま頷いた。
ラウ男は、小さく息を吐く。
――あれか。
一度だけ、視線が逸れる。
自分が取った、あのキーホルダー。
軽く言いかけて、やめた。
代わりはいくらでもある。
そう言えば済む話だった。
でも――
翔太の指先に込められた力が、それを否定していた。
翔太💙「……違う」
掠れた声。
握りしめたまま、離さない。
同じ形じゃ、だめ。
同じじゃ、意味がない。
言葉にならない感情だけが、そこに残っている。
ラウ男は、少しだけ目を細めた。
――ああ、そういうことか。
理解したように、静かに息を吐く。
それは、自分があげた“物”じゃない。
翔太の中では、もう――
別の意味にすり替わっている。
ラウ男🤍「……そっか」
それ以上は、踏み込まない。
ただ、
ラウ男🤍「……探しに行く?」
当たり前みたいに言う。
翔太が、顔を上げる。
ラウ男は、ゆっくりと手を差し出した。
ラウ男🤍「〝それ〟じゃないと、だめなんでしょ」
差し出された手を、翔太は、まだ掴めなかった。
ラウ男🤍「一緒に探そう?」
――簡単でしょ、言ってご覧
〝……好き〟
亮平へ放った、自分の言葉。
亮平からは、最後まで貰えなかった言葉。
まだ、耳の奥に残っている。
消えてくれない。
――一緒に堕ちようか
胸の奥が、きゅっと締まる。
あの腕の中じゃないと、あの声じゃないと、満たされない自分がいて――
指先が、じんわりと熱を思い出す。
触れられた場所だけ、まだ、残っているみたいに。
何もされていないはずなのに、身体の奥が、勝手に反応する。
――触れられている気がした。
名前を呼ばれた気がして、喉が、勝手に震えた。
息が、止まる。
ぞわ、と背筋をなぞられて、肩が、遅れて震えた。
――思い出したくないのに。
消えない。
怖い。
なのに。
離れたくない、と思ってしまう。
だから――
後ろめたい気持ちのまま、半歩前に出る。
伸ばした指が、掴んだのは、ラウ男のシャツの裾だった。
違う。
分かってる。
分かってるのに――
手は、繋げなかった。
翔太💙「また一人ぼっち」
ラウ男は、すぐには答えなかった。
代わりに、掴まれた裾を見下ろす。
ラウ男🤍「……ほんとに?」
掴んでいるはずなのに、違う。
ここにいるのに、いないみたいだった。
足音が、並ぶ。
同じ速さで、同じ方向に歩いているはずなのに――
どこか、噛み合わない。
ラウ男の手が、そっと触れる。
さっきみたいに、冷えた指先を包む。
温かい。
ちゃんと、優しい。
なのに。
――違う。
そう思ったはずなのに、どっちが正しいのか、一瞬分からなくなった。もっと強く引かれる感覚。
逃げ場を塞ぐみたいに絡め取られた指。
低く落ちる声。
「……っ」
喉が、ひくりと震えた。
思い出したくないのに、身体が、勝手に思い出す。
途切れた音みたいに、
――いいね、
――翔太、
――ジョウズニ デキテル
断片だけが、浮かぶ。
ラウ男の声が、遠くで何か言っている。
でも、うまく入ってこない。
視界の端で、手が動く。
差し出される。
優しく。
選べる余白がある手。
――なのに。
その余白が、怖かった。
何もされないことが、こんなに落ち着かないなんて、知らなかった。
差し出されたままの手を、見つめる。
掴めばいいだけなのに、どうしてか、指が動かない。
――違うから。
分かってる。
これは、違う。
なのに。
喉の奥が、ひくりと震えた。
呼ばれている気がする。
あの声で。
あの温度で。
「……っ」
無意識に、息を詰める。
――そっちじゃない。
なのに、そっちじゃない方を、欲しがってる。
〝もう戻れないよ――〟
その声が、
脳裏に焼きついて離れない。
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