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『紗良』
朝のホームルーム。
出席が読み上げられる。
1人ずつ、名前と「はい」の声。
規則正しいリズム。
――そこで、止まる。
担任が名簿を見たまま、ほんの一瞬だけ間を開ける。
「……欠席」
それだけ。
名前は聞き取れなかった。
いや、聞き取ろうとしていなかったのかもしれない。
胸がざわつく。
ペン先が止まる。
黒板の文字がぼやける。
何も考えるな。
関係ない。
ただのクラスメイト。
そう言い聞かせる。
一限が終わる。
前の席の男子が振り向く。
「また休み?」
「最近多くない?」
「もともと来てなかった時期あるらしいよ。」
耳を塞ぎたい。
でも優等生はそんなことしない。
普通に聞いて、普通に流す。
「へぇ」
自分の声が、自分じゃないみたいに軽い。
「なんかメンタル系らしい」
「まじ?ちょっと怖くね?」
笑い声。
喉の奥が苦しくなる。
怖くない。
そう思った瞬間、はっとする。
――何を根拠に?
何も知らないのに。
昼休み。
廊下を歩いていると、職員室の前で足が止まる。
中から、声が漏れていた。
「……しばらく登校は難しいかも知れません」
担任の声。
もう一人、知らない大人の声。
「家庭の事情もありますし」
家庭。
その言葉が、妙に重い。
「無理に来させるのは逆効果ですから」
頭の中が真っ白になる。
聞くつもりなんてなかったのに。
足が動かない。
「本人が安心できる環境を――」
それ以上は聞けなかった。
逃げるようにその場を離れる。
息が浅い。
心臓がうるさい。
――しばらく、登校は難しい。
つまり、もう来ない可能性。
屋上にも、学校にも、どこにも。
「……」
壁に手をつく。
冷たい。
現実の温度。
何も知らないくせに。
自分の言葉が、鈍い刃になって返ってくる。
放課後。
気がついたら、また屋上に向かっていた。
来ない。
分かってる。
でも止められない。
ドアを開ける。
風。
誰もいない。
それが当たり前になりつつあるのが、怖い。
フェンスに触れる。
「……もう、来ないのかな」
言葉にすると、本当になってしまいそうで嫌なのに。
でも、口からこぼれ落ちた。
答えはない。
空だけが広い。
夕焼けが滲んでいる。
ここにいると、余計に考えてしまう。
だから立ち上がる。
今日は、早めに帰ろう。
――そう思ったのに。
振り返ってしまう。
何度も、何もない場所を。
塾の帰り。
夜の空気は冷たい。
駅前の明かりが眩しい。
母には「遅くなる」と連絡してある。
優等生は予定を狂わせない。
交差点を渡る。
住宅街を抜ける。
その途中にある、小さな橋。
川は暗くて、底が見えない。
いつもは通り過ぎるだけ。
でも今日は、なぜか足が止まった。
手すりに触れる。
冷たい金属。
下を見る。
黒い水面がゆっくりと流れている。
静かだ。
屋上とは違う静けさ。
ここなら――
何も考えなくていい気がした。
風が吹く。
髪が揺れる。
「……」
あの人は今、どこにいるんだろう。
部屋の中?
外?
それとも――
考えない。
考えたところで意味がない。
名前も知らない。
連絡先もない。
何もない。
ただ同じ場所に居ただけ。
それだけ。
それだけなのに、胸が痛い。
「……帰ろ」
小さく呟く。
誰に言うでもなく。
橋を渡りきる。
でも、その場所が頭から離れなかった。
『悠真』
夜。
部屋の電気はつけていない。
暗い方が落ち着く。
時間の感覚が曖昧になる。
昼なのか夜なのか、どうでも良くなる。
スマホが震える。
母からのメッセージ。
⦅ご飯、置いてあるから食べてね⦆
返事はしない。
画面だけ閉じる。
食欲はない。
でも何か口に入れないと怒られる。
そういう面倒だけは残っている。
立ち上がる。
足が重い。
ドアを開ける。
廊下の明かりが眩しい。
目が痛い。
キッチンのテーブルにラップのかかった皿。
冷めた食事。
電子レンジに入れる。
回る皿をぼんやり見る。
ぐるぐる、ぐるぐる。
意味のない動き。
それが少し安心する。
――チン。
音がやけに大きい。
皿を取り出す。
湯気。
食べる。
味がしない。
ただ作業みたいに口を動かす。
「……」
ふと、思い出す。
屋上で感じた風。
夕方の匂い。
何も話さない時間。
あそこだけは、時間が止まっていた。
今は、全部が重い。
呼吸するだけで疲れる。
「……行かなきゃよかった」
また同じ言葉が出る。
出会わなければ、思い出もない。
思い出がなければ、失うものはない。
それなのに。
「……」
箸が止まる。
脳裏に浮かぶのは、怒鳴った顔じゃない。
その後の――
泣きそうな顔。
震えていた声。
本当に怒っていたのかどうか、分からない。
むしろ――
助けを求めているみたいだった。
「……違う」
首を振る。
勝手な解釈だ。
関係ない。
他人だ。
そう思わないと。戻りたくなる。
屋上へ。
あの場所へ。
でも戻れない。
あそこはもう、安全じゃない。
食事を途中でやめる。
皿をシンクに置く。
水を流す。
音がやけに大きい。
「……疲れた」
何もしてないのに。
ただ生きているだけなのに。
部屋に戻る。
ドアを閉める。
暗闇に戻る。
それだけで少し安心する。
ベッドに倒れ込む。
目を閉じる。
浮かぶのは、やっぱり屋上。
そして――
隣に座る気配。
「……もういい」
小さく呟く。
誰にも聞こえない声。
関わらない。
それが正しい。
それが一番安全。
なのに、胸の奥だけがずっと痛い。