テラーノベル
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キリが良かったのでいつもよりは短いです。
それでも6,000字ありますが。
キーボードに縋り付くようにぼろぼろと泣き崩れた僕に、元貴と若井はずっと寄り添ってくれた。何も言わずにただ抱き締めてくれた。僕が捨てた何もかもを拾い上げて、傍に居ていいと許してくれた。諦めなくていいと教えてくれた。たくさん傷つけたのに、許されないことをしたのに、大丈夫だから、とやさしく慰めてくれた。
落ち着くまで待ってくれていた社長に、ちょっといいかな? と声を掛けられる。立てる? と訊いてくれた元貴に頷きを返し、リビングに3人で戻りソファでぎゅうぎゅう詰めになって座る。いや、少し離れてくれていいんだけど……もう、逃げないって決めたから。
そんな僕らを社長が目を細めて見つめる。やさしい眼差しだった。
「取り敢えず休んでくれといいたいところだが、決めなければならないことをさっさと決めてしまったほうが安心できるだろう?」
決めなければならないこと、と繰り返す。
それはそうだ。自分の都合で事務所を辞めた人間が数ヶ月足らずで戻りたいです、なんて、そんな自分勝手なことを許すわけにはいかないだろう。お仕事舐めてるのかって話ですよ。契約のしなおしもあるだろうし、労務規定なんかも気になる。
そんな不安を抱いた僕に、さらっと社長は言った。
「心配しなくても、退所はしていないよ」
「へ?」
「有体に言えば休職扱いにしてある。すぐにでも復帰は可能だよ。そもそも世間的には休んだことにすらなっていないのだし。だから問題はそこじゃなくて、留学から戻ってきたタイミングをいつにするかという点と、病気の公表をするかどうかという点だ」
衝撃的な事実をあっさりと流して話を進めていく社長にさしもの元貴も固まっている。僕も若井もびっくりしすぎてなんの言葉も出てこなかった。三者三様に呆然とする僕たちに向かって、社長はにっこりと笑った。
「うちのフロントマンの宝を、おいそれと手放すわけがないだろう?」
社長のこういうところが、元貴いわく“たぬき親父”なのだそうだ。僕にも元貴たちにも、退所は受理された、と言っていたのに。
でも僕には、これが社長のやさしさのように思えてならない。結論を急ぐなと言ってくれた言葉の通り、僕に考える時間をくれたのだと思う。僕の退所を受けて元貴がどのような結論を出すかは分からなかっただろうけれど、どのような結論を出したとしても、どうにか僕を護ろうとしてくれたのだろう。そのくらいの信頼を、僕は社長やチーフに抱いている。
こんなにも大切にされていたのだと、気がつくのに時間が掛かってしまった。いや、気がついていたのに見ないふりをしてきてしまった。
にこにこの社長をじっとりとした目で見たあと、ぐるっと部屋を見回した元貴が言った。
「……ずっと気になってたんですけど、ここって、誰の家ですか?」
どういう意味?
「涼ちゃんの家にあったものが揃ってるのは分かるんですけど、そうじゃなくて……ここ、涼ちゃんのために用意された場所ですよね?」
僕が初めてにここに足を踏み入れたとき、元貴が抱いたものと同じような違和感を覚えた。なんというか、自分の荷物だったものはともかく、目が見えなくなる可能性がある人が住む家としての条件が揃いすぎているのだ。
この2ヶ月間、外出ができないことに多少の不便さはあったとしても、家の中での生活は快適そのものだった。炊事、洗濯などの家事をはじめ、お風呂も寝室も僕が使いやすいように、いずれ目が見えなくなったとしても生活しやすいような間取りになっていることに、流石の僕でも気づいている。家の中には段差がなく、壁の至る所には手すりがあって、介護を必要とする人が住んでいたのかな、と思うほどだった。その上、開かずの間だったお部屋にはキーボードが置かれていて、そうなればあのお部屋には防音加工が施されているはずだ。
元貴の言いたいことが、なんとなく分かった。だけどそうだとするなら、いったいいくらお金を使ってくれたんだろうか、と思いながらも目を背けていた。
けれど社長は、なんでもないことのように笑った。
「親戚筋の家だったのは嘘じゃない。ただ少し、リフォームをしただけだよ」
「り、リフォーム……」
なんとなく予想がついていたとはいえ、明らかにされた答えにぽかんと口を開ける。元貴はやっぱり、と納得し、若井はまじかよ、と笑った。部屋の中のどこもが真新しい感じがするのにも納得だ。
「完全に失明はしないとはいえ、見えないことによって生活における危険性が増すのは分かっていたからね。大森たちが藤澤を離すとは思えなかったし、そうさせるつもりもなかった。それなら、言い方は悪いが手元で安全に囲っておくのが最適だと判断した」
社長は相変わらずの笑顔で、これまたサラッと言った。
飼われているみたいだ、という僕の感想はあながち間違いではなかったんじゃないだろうか。
「留学とくるとは思っていなかったが、どうにか世間を欺くだろうとは思っていた。だからこれは必要措置だ。気にする必要はない。マンションはこちらで解約させてもらったから今更戻ることもできないしね」
規模が大きすぎる話に頭が痛くなってきた。平家の戸建てのフルリフォームが数十万でできるとは思わない。数百万、下手したら数千万はかかったのではないかということを、何も気にしないでいられるほど非常識ではない。
「そ、そういうわけには……」
「これから仕事で返してくれればいいさ。それより先の件のほうが重要だ。どうする?」
なんか事務所総出で甘やかされている気がする。Mrs.だけをマネジメントすると言っても、個人をバックアップする範疇を余裕で超えていると思うのに、そんなことは些細なことだという姿勢を崩さない社長は話を進めていった。
「それなら、ちょっとやりたいことがあるんですけど」
切り替えの早い元貴が社長とお話し合いを始め、いくつかの提案と実現に向けて具体的な手段や方法を詰めていった。それでいこうかと社長が頷き、チーフに幾つかの指示を出した。
これからのことが簡単に決まってしまって、こんなんで良いんだろうか、と不安を覚える。だけど両隣に座った2人が僕の手を握り、大丈夫、と笑ってくれるだけで、本当に大丈夫な気がしてくるから不思議だ。
なんで僕は、この手を離せるなんて思ってしまったんだろう。握ってしまったら最後、もう離せるなんて思えなかった。
今後の流れを確認し終わる頃には、時刻が深夜帯に差し掛かっていた。ライブの翌日は最低1日は休みを取るから元貴と若井はオフのはずだけど、今決まったことをまとめる社長とチーフは寝る暇もないんじゃないだろうか。
それなのに、社長もチーフも穏やかに、いっそ晴れやかに笑っている。荷物をまとめて立ち上がった社長が、僕の傍から離れない元貴たちに視線を遣った。
「家に帰るなら送るよ」
ライブ終了後のままでここに来た2人の荷物はチーフが持ってきてくれているとはいえ、片付けないといけない諸々もあるはずだ。でも、当然のように2人は首を横に振った。
「いやです」
「無理です」
だろうな、とカラッと笑った社長は、チーフと一緒に玄関へと向かった。元貴と若井も一緒に玄関へと見送りに立った。
僕はハッとして、チーフが家を出る前に腕を掴んだ。びっくりして振り返ったチーフに、頭を下げる。
「突き飛ばしてごめんなさい。怪我しなかった?」
「大丈夫ですよ。……もう、捨てちゃ駄目ですからね?」
薄く笑ったチーフの目には涙が浮かんでいて、チーフの優しさと厳しさに何度助けてもらったか分からなくて僕の目にも涙が滲んだ。捨てないでと、消さないでと、願ってくれたチーフに、最大限の感謝と敬意を込めてありがとう、と微笑んだ。
「俺、先にお風呂入っていい?」
社長とチーフを見送ると、若井がぐっと背伸びをしながら笑った。急だなと思いながら頷く。
手際のいい社長によってお風呂はすでにお湯が張られていたため、若井は余分に持ってきていたらしい着替えをキャリーケースから取り出してランドリールームに入っていった。
「……カッコつけめ」
若井の後ろ姿を見つめた元貴が呆れたように言った。どういうこと? と隣に座る元貴に視線を向けると、元貴が自分の膝を叩いた。僕がきょとんとすると、やわらかい笑顔を浮かべて再び自身の膝を叩いた。
おずおずと身体を動かして元貴の膝に乗り上げると、満足そうに息を吐いた元貴がぎゅぅと僕の腰を抱いた。少しだけ緊張しながら、僕も元貴の頭を抱え込むように抱き締めた。汗臭くないかな、と心配する僕の胸元から細めた目を向けた元貴は、やさしく微笑んでいた。
「若井、俺たちを2人にしてくれたんだよ」
「ぇ……」
「あと、風呂で泣いてると思う」
「ぁ……」
同居期間中、僕に気を遣わせないようにお風呂で泣いていたという若井の言葉を思い出す。どこまでもやさしい若井を、僕は散々に振り回してしまった。今こうして僕を抱き締めている元貴のことも。
「涼ちゃんが逃げるからめちゃくちゃムカついてたし、言いたいこと山のようにあったんだけど」
「……うん」
「涼ちゃんが轢かれるかも、って思った瞬間、どうでもよくなっちゃった」
心臓が止まるかと思った、と元貴が吐き出した。あのとき車を運転していたのが社長じゃなかったら、元貴が腕を引っ張ってくれなかったら、僕はもしかしたらもうここにはいなかったかもしれない。こうして、愛しい人を抱き締めることができなかったかもしれない。計り知れない悲しみと苦しみを、元貴に与えてしまっていたかもしれない。
「……ごめん」
「ほんと、有り得ない」
どうでもよくなってないじゃない。
「ごめん、ね?」
「許さない」
元貴の低い声にびくっと僕の肩が震えた。
腕にさらに力を込めた元貴が、泣きそうな顔で続けた。
「俺の傍から居なくなるなんて、絶対許さない。二度と、こんなこと、しないで」
元貴の大きな目から、涙がこぼれる。僕の目からも涙があふれ、元貴の頬に落ちた。
「涼ちゃんが色々考えてくれたのは分かってる。楽曲を大切にしてくれてるのも、俺を想ってくれてるのも、ちゃんと分かってる」
元貴が苦しそうに顔を歪めた。
「でも、だめなんだよ。涼ちゃんが居なかったら、俺、曲が書けない。詩が紡げない。息が、うまくできない」
生きていけない。
吐露される本音に何も返すことができなかった。音楽をやるために生きていると言っても過言ではない元貴が、楽曲を制作できないなんて思わなかった。そんなにも追い詰めることになるなんて、夢にも思わなかった。
なんと言っていいか分からず、すんすんと泣き続けることしかできなかった。
「よし」
僕の服で涙を拭いた元貴が、僕を抱き上げるようにして立ち上がった。
「俺らも風呂行こ」
「え?」
「みんなで入ろ」
若井はまだ出てきていない。気を遣ってゆっくり入ってくれているのか、元貴の言う通りお風呂で泣いているのか分からないが、乱入していいのだろうか。
「ほら、着替え、取ってきて」
「う、うん……」
キャリーから自分の着替えを取り出した元貴に促され、自分の部屋に戻って着替えを持ってくる。ランドリールームで服を脱ぐと、元貴が僕を見て、痩せたね、と呟く。運動をしない生活を送っていたけれど、太るかなと言う心配が無用なくらい太らなかった。体調が悪くて食べられない日もあったから、健康的とは言えないんだけれど。
元貴は、薬の相談もしないとねと言って、躊躇なくバスルームのドアを開けた。ごめん、若井。
「ぅえ!? なに!?」
「1人で泣いてんなよ若井〜」
「泣いてねぇよ!」
「はいはい、そっち詰めて」
ざぶっと身体にお湯をかけて若井の横に入り込んだ元貴に、目が赤くなっている若井がなんなんもう、とふてくされている。僕はそんな2人を見て笑いながら、シャワーで髪の毛を濡らした。
「……黒髪も悪くないね」
僕の肩まで伸びた黒髪を見ながら元貴が言う。
「ね。似合ってる」
狭いと文句を言いながら若井も頷き、
「でも、やっぱり涼ちゃんは明るい髪の方が好き」
と付け足した。そうだね、僕もそう思う。シャンプーを泡立てながら、ありがと、と応じる。
「何色にしようね? 金? 青? 最近してないから赤系にする?」
「全体を金にして赤メッシュとかは?」
あーだこーだと話し始めた2人の声を聞きながら、シャンプーを流す水に紛れるようにそっと泣いた。当たり前のように僕を受け入れてくれる2人に気づかれないように。
お風呂から上がって小腹が空いたと言う2人と一緒におうどんを茹でて食べ、さぁ寝ようかとなったときに一悶着が起こった。
「いいじゃん今日くらい」
「3ヶ月ぶりの恋人たちの夜だよ?」
「俺だって3ヶ月ぶりなんですけど」
この家には僕が持ってきたセミダブルのベッドしかない。元貴が僕と一緒に寝ると言い出すのは想定内だったけれど、意外にも若井が一緒に寝たいと言い出したのだ。
元貴が拒否をするが若井も食い下がる。成人男性3人が寝るのは流石に無理があるだろうから、1人はリビングのソファで寝てもらうことになるのだけど、どうにも2人とも譲らない。どうしたらいいかな、と考えた僕に妙案が浮かぶ。
「あ、じゃぁ俺がソファで寝るから元貴と若井でベッド使いなよ。ライブで疲れてるでしょ?」
『はぁ?』
言い合う2人が僕を見て、馬鹿じゃないの? と声をそろえた。ひどくない? 気遣ったのに。
「……仕方がない、今日だけだからな」
「うん。今日だけでいい」
元貴が折れて、僕の右手を握った。にこっと笑った若井が、僕の左手を握った。
2人に引っ張られるように寝室に入り、僕を真ん中にして3人でベッドに横になった。
「若井、もっと詰めて」
「無理だって、こっち壁だよ?」
「ちょ、動くなよ落ちる!」
……狭すぎる。
僕を挟んで言い合いをする2人がぴったりと僕にくっつくから暑苦しささえ覚える。
「涼ちゃん、英語話せるようになったんでしょ?」
「あー、おかげさまで?」
どうにか納得のいく位置を見つけた2人が動きを止めた。僕の頭のすぐ横に2人の顔があって、首筋にかかる吐息がくすぐったい。
「今の気持ちを一言でどうぞ」
元貴の振りにすぐさま答える。
「Sweltering」
「なんて?」
「暑苦しい」
「却下」
なに、却下って。
「俺たちに言いたいことないの? 謝罪以外で」
若井がぎゅむ、と僕にくっつきながら言った。揶揄うような口調ではなくて、どこか縋るような声だった。
「えー……んー……Being by your side is all it takes to make me happy.」
「……なんて?」
「ないしょ」
「happyって言ったよね? しあわせってこと?」
「さぁ?」
はぐらかす僕に若井が、涼ちゃんのくせに、と失礼なことを言う。とろとろと眠そうな声に、寝なよ、と告げる。若井は寝るけど、と言ったあと、僕にしがみついて、
「……起きてもいなくならないでね」
と祈るように続けられた言葉に心臓がぎゅっとなる。
ごめんね、たくさん傷つけて。ありがとう、ずっと元貴を支えてくれて。僕をもう一度受け入れてくれて、本当に、ありがとう。
いろんな言葉を飲み込んで、顔を動かして若井に擦り寄った。
「いなくならないから、ぜったい」
「ん……やくそく」
「うん」
すぅ、と眠りに落ちていった若井に、おやすみ、と囁く。
無言で僕らのやりとりを聞いていただろう元貴が、ベッドから落ちないように気をつけながらそっと身体を起こす気配がした。
「元貴?」
「俺の顔、見える?」
「……見えない」
「そっか」
照明を落とした部屋では僕の目にはうっすらともなにも映らない。吐息が近いから、元貴の顔が目の前にあることは察しがつくが、見えることはなかった。
「んっ?」
ちゅ、と僕の口に何かが触れた。やわらかなその感触は、おそらくは元貴の唇で、若井もいるのになに考えてんの、と非難を込めて元貴、と小声で名前を呼んだ。
「りょうちゃん」
元貴の顔は見えないけれど、なんとなく元貴が泣いているような気がして手を伸ばすと、元貴のあたたかな手が僕の手を取った。やさしく握り込まれて、僕も力を込めて握り返す。
「これから先、目が見えにくくてつらい思いをするかもしれないけどさ」
「……うん」
「黙っていなくならないで」
「っ」
「相談して、ちゃんと。一緒に考えるから。それは迷惑じゃないし、制約じゃないから。今の俺たちが作る楽曲が、Mrs.の音楽になるから。それを忘れないで」
強く、言い聞かせるような声音に、うん、と答えると、元貴の唇が僕の耳元に寄せられた。だからくすぐったいってば。
「……No one means more to me than you. 」
「なっ!」
「おやすみ」
甘い声で落とされた囁きに声をあげると、頬にちゅっと触れるだけのキスをして元貴の熱が離れていった。ベッドに身体を沈めて僕にくっついた元貴を、ずるいなぁと胸中で詰る。
誰よりも愛してる、なんて、二度と聞けないと思っていたのに、簡単に口にしてくれちゃってさ。
「元貴」
すぐに眠りに落ちた若井と違って、すぐには眠っていないだろう元貴を小声で呼ぶ。なに? という吐息のような声を耳元で感じ、首を動かして元貴の方を向いた。
「You’re all I need.」
あなたさえいれば、なにもいらない。
ふっと笑った元貴が、俺もだよ、と囁いた。
続。
コメント
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更新ありがとうございます。 ああ、社長格好よすぎ✨ とにかく3人がまた再会できて良かったです。 夜になったら見辛い💛ちゃんを実感する❤️君の気持ちを考えたら、 胸が苦しくなっちゃいましたが、 ずっと手を離さずに3人でいて ほしいです💕 最後のベッドでの囁き合いがとっても素敵で泣いちゃいました🥹
今日も大好物の長編、ありがとうございます✨keiさんのお話で満たされました〜🤤💕 3人でくっつき合いっこしてるのも、💛ちゃんが1人ソファで寝ようとする分かってなさも、ぜーんぶ好きすぎました🤭
やっぱり社長イケおじ✨←やっと社長の話笑 社長って合理的であろうとするけどめちゃくちゃ3人とくに💛ちゃん好きですよね🤭(すごくどっちでもいいし既出だったらすみません💦チーフって男性女性どちらのイメージですか?🤔) 3人の絆いいですね〜✨若様の珍しいワガママとか、💛ちゃんのちょっと♡♡提案とか、英語でやり取りしちゃうとかいやらしい🤣笑 あと、お風呂だ!って思いました🤭