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空気は穏やかで、10時を過ぎると道行く人も疎らだ。
軽食をとりつつ車を走らせ、1時間強で現場に到着した。 錆びた鉄骨と放置された機械が残るデカい廃工場。左手に提げた銃の悪魔の肉片が、普段より強く吸い寄せられる。今回も一筋縄ではいかないかもしれない。
毎度、コイツと一緒の任務だと碌なことがない。
天井の隙間から日光が細く差し込み、埃が舞い上がる。床には、割れた窓ガラスやパイプが散乱し、足を踏み外せば簡単に怪我をしそうだ。
「足元気をつけろよ」
「おァ〜あぶね」
少し後ろを歩くデンジに忠告する。
デンジが持ち上げた右足の先で、鋭く光る窓ガラスが尖るように露わになっていた。
「血まみれんなるとこだったぜ」
鼻をかきながらへへっと苦笑いするデンジに、眉を顰めつつ視線を注いだ。塵っぽい匂いが鼻をかすめ、静まり返った空間の緊張感が、悪魔の存在を一層引き立たせる。こんなに非日常な光景も、もう見慣れてしまった。奥へ進むにつれ、足音がやけに大きく響く。崩れかけた床材を踏むたび、乾いた音が天井から跳ね返ってきた。
──静かすぎる
ネズミが走る小さな物音だけがして、他は不自然なほど静まり返っていた。
悪魔の気配は確かにある。
銃の肉片が、左手の中でじわりと重さを主張しているのに、どこまで進んでも出てくる前兆がない。
「なあほんとにここで合ってんのォ〜?」
「……合ってる」
瞬間、空気が一段と冷えたのを体感した。埃の舞い方が変わり、光の筋が歪む。反射的に足を止め、右手でデンジを制した。機械が積み重なった影の向こうで、何かが動くのがみえる。
「来るぞ」
声を落とした直後、機械の山の隙間から、金属を削るような不気味な音と共に、悪魔が現れる。その異形を目にしただけで、背筋が伸びた。
まずい
胸騒ぎがして振り返ると、デンジは既にいなかった。床を蹴る音が一拍遅れて届き、視界の左端で、赤い軌跡が弾けた。
止める間もなく、チェンソーの音が轟く。
「おい!」
小さな銃の肉片が、息をしているかのように脈打つ。嫌な予感ほど、どうしてこうも外れない。
「ギャっハぁハハハ!ぶっ殺してやんよ ‼︎ 」
物騒な言葉と同時に、腕のチェンソーが悪魔の輪郭に深く食い込んだ。ひび割れたような悪魔の唸り声で、工場全体が震えたのだと錯覚しそうになる。反射的に床を蹴り、悪魔との距離を詰める。崩れたコンクリートを踏み越えた時、足音がやけに響いた。
一切の躊躇を削ぎ落とし、重心を前へ預けて日本刀を振り下ろす。悪魔に刃が沈みきった刹那、説明のつかない欠落が脳の内側に走った。
目元が痙攣するほどの違和感に蓋をして、もう一度斬りつける。切断する知覚と共に、悪魔の動きが一瞬鈍った。そしてまた、何かが抜け落ちていく感覚。だが、何を失ったのかが分からない。
思考能力、判断能力か、それとも感情か。あるいは、身体を制御する感覚そのものか。
どれだ? 今の俺に何が足りない。いつもと何が違う。
考えれば考えるほど、頭の奥がじわりと熱を帯び、胸の奥で警鐘が鳴った。
「下がれ、デンジ!」
「ぁんでだよ ⁉︎ 今いいトコじゃん ‼︎ 」
声は届いているものの、素直に従うつもりは無いらしい。強く踏み込み、身を捻ったデンジは、チェンソーを一直線に振りきる。血と共に悪魔の一部が火花のように散った後、どろどろと部位が蝟集し再生した。
「げぇェぇえ、キッモォ ⁉︎ 早ぇとこ終わらせて帰ろうぜ!俺ぁ今日も昨日と同じうまい飯食うんだヨォ〜 ‼︎ 」
デンジの言葉に引き摺られ、昨日の夕食を遡る。
嗚呼そうか、そういうことか。
「おい待てデンジ、攻撃するな!」
「意味わかんねェ〜!俺ぁコイツぶっ殺して手に入れんだよ!」
「何をだ」
すかさず問いかけると、デンジの視線が宙を彷徨う。攻撃の余韻を残すようにチェンソーの唸りが響いた。
「…なにかは、忘れたけど」
間違いない。記憶を失っている。いや、奪われているのか。どちらにせよ、欠けてしまった。デンジはもう、銃の悪魔という目的の骨子を失っている。
「多分記憶関連の悪魔だ、攻撃するな。下手したら戻らなくなるぞ」
奪われているだけならいい。悪魔を殺せば、力は解除され、全て元に戻るだろう。だが、失っているのなら話は別だ。悪魔を殺しても戻ることはない。 失ったものは、もう元には戻らない。
それからどうも、俺はこういうことに関して運がめっきりない。嫌な汗が肌を伝う。
「マジか ⁉︎ 殺せねぇじゃん!」
「殺すことをゴールにするな。攻撃より回避を優先しろ!応援を呼ぶ、来るまで持ち堪えるぞ」
デンジに向かってそこまで言い切った時、背後に勢いのある殺気が押し寄せた。避け切れない、もろに喰らう。 嫌な未来は好き勝手見せるくせして、大事なとこで役に立たねぇ。心の内で、短く悪態をついた。
僅かでも反撃の兆しがある事に賭け、振り向きざま片手で防御反応を示す。
衝撃が来ない代わりに、強い衝撃音と肉を叩く感触が空気を震わせた。
「ギッ ‼︎ ぐぅゥ…」
「デンジ ⁉︎」
目の前で、攻撃を真正面から受けたデンジが、大きく身を折る。腹を押さえ、ゆらゆらと足元が覚束ない様子だ。
「あァ〜痛ってぇ」
まるで他人事のように吐き捨てるコイツに、不安で押し潰されそうになっていた心の底から、怒りが湧いた。
「何してんだバカ!回避優先しろって言」
「じゃ黙って見てろってコトォ?それは無理じゃね?」
そう言われ、庇われたと意識を塗り替えた折、背筋が冷え、手の力が抜けた。本来、俺が負うはずだった傷を、コイツが肩代わりした。
『もっと自分を優先しろ』と、出かかった言葉を飲み込む。言ってやるべきはこれじゃない。
「ありがとな」
「おー……」
時が止まり、この甘い趣きだけが世界中に漂っている感覚に陥った。否、そんな筈もなく、目の前の殺気はさらに膨れ上がる。
反射的にデンジが半歩踏み込み、腕を振る。軌道は荒く、狙いも定まっていない。それでも刃は、確かに悪魔を捉えた。
血の弾ける音が、遅れて耳に届く。
「ゃべ、斬っちった」
浮いてしまいそうなほど軽い声が、右から左へと流れた。
喉がひくついて声が出ない。開いた口が塞がらなかった。まだ失っていないモノの方が多いはずだと、自分に言い聞かせ、溢れてしまいそうな感情を必死に抑える。
「あれ、アキ……なんで斬っちゃダメなんだっけ?」
振り返ったデンジの目は、さっきまでのそれとどこか違っていた。焦点が合っていないわけでも、正気を失っているわけでもない。ただ、何かを探してるような視線。
「は、なんでって……」
途中まで出た言葉が、喉の奥で絡まって続かない。最後まで言ってしまえば、それはコイツがまた一つ失ったことの証明になってしまうから。
「まぁいいか!」
逡巡の隙間を縫うように、デンジがあっさりと言う。切り捨てるようで、あまりにも無邪気で。その軽快さが、胸の奥を抉った。
「デンジ、止まれ!」
山積みになった瓦礫が、雪崩のように崩れていく音に掻き消され、牽制の意味を込めた声は、先程とは違ってもう届かない。狂気じみた笑い声とチェンソーの唸りは止まることを知らず、更に悪魔の呻き声が重なる。
「おい、もうやめろって…」
独り言のように、小さく空を切った言葉に対して返事が来る訳もない。応えるのは、耳を塞ぎたくなるほど執拗なチェンソーの回転音だけだった。
どう考えてもやりすぎている。肉片とも瓦礫とも区別のつかないもの達が、足元に積もっていく。
やがて、唐突に音が止んだ。粉塵の向こうで血に濡れたデンジがゆっくりと振り返る。その視線が、俺を通り過ぎた。
ほんの一瞬の違和感。その違和感を見逃せるほど、俺は鈍くなかった。『デンジ』と声をかける直前で、言葉を飲み込む。
「エっ…えぇ〜、誰?」
デンジの瞳に、もはや俺の姿は映っていなかった。俺という存在は、意識の隙間から忽然と消え去っていた。胸の奥が凍りついたようで、目の前で暴れるデンジを止められなかった無力感が、波のように押し寄せる。息が詰まり、全身に力が入らなかった。
◇◆◇
いつも通りの朝だった。
そのまま最後まで過ぎてはくれなかった。天候には恵まれていたが、俺たち自身は恵まれてなどいなかった。
とある平日の逢魔時、積み重ねてきた物が雪崩のように崩れ落ちていった。人の心が壊れる音を聞いたのは、人生で2度目だった。