この夢から醒める夜。
それは 深く、静かに降りていた。
王宮の灯りは落ち、まるで誰も存在しないかのように、世界は眠っていた。
それでも――ひとつだけ、確かに灯る光があった。
国王の私室、その奥。扉はもう、開け放たれたままだった。
ハイネは、窓辺の椅子に腰掛けていた。
その小さな背中を、ヴィクトールは黙って見つめていた。
「……今夜が、最後ですね」
そう、ハイネがぽつりと呟いた。
「夢にすがるような夜は、これで終わりにしましょう」
ヴィクトールは黙って近づき、向かいに座る。
グラスには今夜も、あの白ワインが注がれていた。
「君の決意なら、私も受け入れよう」
「ありがとうございます」
ふたりは乾杯をしない。
もう儀礼は、いらなかった。
「ヴィクトール」
ハイネは、名を呼ぶ。
「……貴方のことを、愛していました」
「それは今も、変わりません
それこそ、口に出すのを躊躇うほど」
「けれど、この感情が“王室教師”として許されるものでないことも、わかっています」
ヴィクトールは俯いた。
「私は、教師として、貴方のそばにいたい。
それ以上を望めば、きっと、壊れてしまう。
……だから、わたくしは、“教師”でいさせてください」
ヴィクトールの喉がわずかに動いた。
「……ハイネ」
「はい」
「それでも、君が私の名前を呼んでくれるのなら、それだけでいい」
沈黙の中に、静かに風が通る。
ヴィクトールは立ち上がり、ハイネの前にひざまずいた。
手を取るでも、抱きしめるでもない。
ただ、その目線を同じ高さに揃えた。
「夢をありがとう、ハイネ。
たとえ現がどれほど静かでも、君が隣にいてくれる世界は、もうそれだけで充分だ」
「……わたくしも、です」
ふたりの間に、たしかに想いはあった。
けれどそれは、抱きしめることも、口づけを交わすこともない。
ただ“知っている”ということ。
それだけで十分な、深い愛情だった。
窓の外に、夜明けの気配が滲む。
やがて――
「……陛下」
「……ああ。ヴィクトール、だ」
「ヴィクトール。おやすみなさい」
「おやすみ、ハイネ」
その言葉を最後に、ふたりはふたたび、役目を生きる者へと戻っていった。
夜が明ける。
そして、夢は静かに、終わった。
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