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「え、一ノ瀬先輩?」
「⋯⋯か、神楽?」
「え!?覚えていてくれたんですか!?何年ぶりですか!お久しぶりです!」
神楽と俺は三年前大学の甘党サークルで知り合った。
今でも覚えている。こいつにファーストキスを奪われてからもう三年も経ってしまったことを今日知った。
そもそも、神楽がここに来る確率は凄いと思う。神楽という苗字くらい他にもいる。それに珍しい訳でもない。現に神楽麻央という会社員も広報部にいるからだ。
「あ、今日からこの部署に配属されました!神楽椿と言います!!」
神楽から皆への挨拶から始まった朝。心地よくもどこかふわふわとした甘い雰囲気に包まれたオフィスから俺は逃げたかった。結局、自分の席である個室に戻った。
神楽にどんな顔して話せばいいのか全く分からない。忘れていたあのキス─────俺が大学を卒業した日にキスされた。
『一ノ瀬先輩!⋯⋯好きです!僕と付き合ってください!!』
その真っ直ぐな告白の返事に俺は嬉しいけれど、そういうのよく分からないからもう少しだけ待って欲しいなんて神楽に甘えてしまった。そのうち、連絡も疎遠になっていき、会ったのも今日で三年ぶりという訳だ。
「……あーもう!なんで、俺が神楽なんかに……こんな⋯」
悶える声を漏らして辺りを見回した。だが、そういえば、集中したいからと防音仕様にしたんだったと思い出した。
「好き⋯⋯なのか?」
そんなことを呟いても答えなんて全く見えてこない。そんなこと分かってる。あのキスが脳裏に焼き付いて、頭から離れない。
『ねぇ、せーんぱいっ?』
『んーっ?⋯⋯なんだ?』
椿が俺を桜の咲いている大学の穴場に連れてきてくれた。椿は、休日だが俺のために大学まで来てくれた。こんないい後輩を持てて俺はとても幸せだ。
『あのさ、時先輩ってどこに就職するの?』
『この近くにあるインターネットネット文学カンパニー、通称、イン分ってところなんだけど知ってる?ネット小説やネット漫画、インターネット広告を作ったり販売、素材配布しているところ』
『いやぁ、ちょっと知らないです!』
『だよなー』
俺が持っていた缶コーヒーを口に近づけて勢いよくすする。少し肌寒い春風が頬を伝って耳に空気が抜ける音まで聞こえてくる。
『⋯⋯甘いもの欲しいな。』
俺は椿の顔を見ようと体を動かした。その瞬間、唇に柔らかい感触と甘い匂いに酔った。お酒を飲んだかのようなその香りが口内を満たす。
『椿⋯⋯おまっ⋯⋯!!』
離れようと顔を遠ざけようと試みるがお酒のせいか脳がとろとろになった。絶対に俺がお酒に弱いせいだ。昔から、チョコレートに配合されている少量のお酒でさえ酔ったこともある。
だが、その抵抗も虚しくもう一度、椿の唇と俺の唇が重なった。まだ、重ねているだけなのに息苦しかった。椿にファーストキスを奪われてしまった─────
『⋯んん、んっは⋯⋯!!はぁはぁ⋯』
しばらくの間、口内を舌で遊ばれてしまった。お酒に当てられて気持ち悪いのと同時に今まで感じたことのない知らない感情が昂りだす。こんな経験は初めてだった。
『一ノ瀬先輩!⋯⋯好きです!僕と付き合ってください!!』
『え⋯⋯?』
そして、椿に勢いのまま告白されてしまった。
なんであの時、キスしたのか聞いていれば良かったな。なんて考えてしまう自分を恨むよ。
『⋯⋯先輩が⋯』
あのキスの間に何か言っていたのかな。
「⋯⋯さん!⋯ノ瀬さん!!一ノ瀬さん!!!」
「⋯⋯!?あ⋯、紗枝さんどうしたのかな?」
「いや、外からお声掛けしてもお返事がなかったのでつい、中に入ってしまいました。ご迷惑おかけしました。」
「いやいいんだよ。それで、要件はなんだ?」
紗枝が持っている資料に注意を配りつつ話を進めた。
「神楽くんから資料の出し方を聞かれたんですけど許可がないと出来ない仕様で、一ノ瀬上司と河野上司のどちらかに頼んでとお願いしたところ一ノ瀬さんをお選びになりました。」
ああ、例の面倒くらい制度の件だろう。新人がこれに着いてくることはまず不可能だ。上司とのコミュニケーションを増やす取り組みだが正直、要らない制度だとも思っている。
「神楽をここに呼べ、俺が使用許可を渡す」
「ありがとうございます!!一ノ瀬上司からの呼び出しがあったと伝えておきますね。では、これで」
「あぁ、違う部署の方がわざわざありがとな」
「はい!では、次の案件でお会いしましょう」
「あぁ、待っているよ」
紗枝が出ていった個室を見て何故か孤独感を感じてしまった。物思いにふけって窓の外を眺めたり昔の思い出に想いを馳せていると自分だけの世界に入ってしまうことが分かった。
しばらくして、柔らかいノック音が外から聴こえてきた。俺がどうぞ、と言うと
「失礼します。」
という言葉と同時に神楽が顔を出した。大学の頃からは全くと言っていいほど変わっていない。三年前も、今も、爽やかイケメンだ。
目を見て話すと何故か肩がすくんで上手く伝えられないから、下を向いているといきなり耳元で神楽の俺を呼ぶ声が聴こえてきた。
「ひぅ⋯!?」
ビクッと体が反応してそれだけでただただ恥ずかしさが募るばかりだ。
「 ねぇ、せんぱい⋯⋯」
「ここでは一ノ瀬さんか、一ノ瀬上司だ。」
いつもの言い方で神楽にも伝えてしまった。それを聞いた神楽は低音で
「そんな体でなーに、偉そうなこと言ってるんですか?」
と、俺に迫ってきた。腰に手を回された。あの時と同じように顔を近づけられて、あ、これはダメだ。まだ神楽の気持ちに応えられていない。だって、俺は三年前のキスの意味を知らされていない。知らないまま神楽に想いを伝えられてフッてしまったから。
「⋯⋯神楽、頼む。かっこいい上司で居させてくれ」
「えー?⋯⋯分かりました!一ノ瀬さん?って呼ばせてもらいますね。」
そういうと俺から離れていった。神楽は俺の肩に手を置き、書類に目を向けた。
「こんなにも溜まっているのに、こんなことしていたらもっと溜まってしまいますよ?」
「っ⋯⋯」
もう、俺には変な意味でしか聞こえてこない。脳内が桃色のグラデーションで染まっていく。
「⋯⋯溜まってるって、資料の方ですよ?まさか妙な想像させましたか?」
俺は、一体何を考えていたんだ。好きでもない─────いや、好きかも分からない相手に心を許していいわけがない。俺は椿なんて、す、す⋯⋯
「ん⋯?なんで、泣いてるんすか?」
「え⋯?」
俺は気づかない間に泣いていた。─────涙なんて見せる気、俺はなかったのに。
「⋯⋯大丈夫っすぁ⋯」
「触んな⋯⋯!」
あ、
「あ、と、きせん、ぱい⋯?」
「お前なんか、大嫌いだ!!早くそこの許可証取って出ていけ⋯」
あ、あ、
待って⋯⋯つばき⋯⋯⋯⋯⋯⋯
「失礼しました⋯」
なんで、こんなこと言っちゃうんだろう。どこで間違えた⋯⋯?
そんなことをいくら考えていても俺と神楽はただの大学の先輩と後輩でしかない。そんなこと分かってる。分かってたのに、頭から離れてくれない
「好きなんかじゃない、好き⋯?好きってなんなんだよ。神楽を傷つけるつもりなんてなかったのに⋯⋯」
俺は、デスクの上に乗っている大量の書類を眺めつつ肩を落とした。
「ごめん⋯⋯椿」