テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
まみか
1
131
小豚ちゃん
雨音が激しさを増し、新宿の廃ビルの屋上が重苦しい沈黙に包まれる。乙骨憂太の瞳に、困惑と、それ以上に深い焦燥が浮かんだ。目の前に立つ少女、水乃刻の放つ呪力は明らかに異質だった。氷の結晶が周囲を舞い、炎が雨を蒸気へと変え、それらが混ざり合うことで発生する不可解な対流が、乙骨の感覚を麻痺させていく。
「君、何者だ。呪術師でも呪詛師でもない……なら、なぜ」
乙骨が問いかけるが、刻は無機質な視線を向けるだけだ。刻の右目――かつて実験室で無理やり埋め込まれたその瞳は、赤く発光し、乙骨の次の太刀筋を完全に先読みしている。未来視が告げるのは、乙骨が虎杖を「殺す」という確定した未来。それを刻が「変える」ための介入。
「悠仁に指一本、触れさせません」
刻が氷の刀を一閃させると、纏った炎が龍のような咆哮を上げて乙骨を襲った。乙骨は刀でそれを受け流すが、氷刀の密度と炎の熱量が尋常ではない。相容れないはずの性質が矛盾なく同居している。それは刻が己の存在そのものを、万物創造の術式で歪め、再定義しているからに他ならなかった。
虎杖は「天の羽衣」の結界の中で、荒い息を吐きながらその光景を呆然と見つめていた。体に流し込まれる反転術式に近い治癒エネルギーは、確かに刻のものだった。
(刻……なんで、どうして……。俺が一番、知らなかった……)
幼い頃、公園で一人で空を見ていた刻。母親が迎えに来ないと分かっていても、何も言わずに待ち続けていたあの子。虎杖が「俺と一緒にいればいいじゃん」と無邪気に笑ったとき、初めて見せたあの微かな微笑み。あれは、孤独という檻の中にいた彼女が、初めて手に入れた希望だったのだと、今になって虎杖は理解した。
戦場では、刻の負担が限界に達しつつあった。天眼による未来視の演算は、脳神経を焼き切るほどの負荷を強いる。六眼が呪力を見るための視力なら、刻の瞳は「運命の改変」を演算するための演算機(プロセッサ)。鼻から赤い筋が伝い、刻の唇から血が溢れる。
「っ……、解析完了」
刻が冷たく言い放つ。彼女は直前まで乙骨が放っていた術式を、その万物創造の力で瞬時にコピーし、自分の炎と氷の性質を上乗せして再構築した。
「――『純愛の奔流』」
乙骨のそれとは異なる、氷と炎の複合属性を帯びた圧倒的な呪力の衝撃波が、乙骨の足元を爆発させる。不意を突かれた乙骨が後方に跳んだ隙を見逃さず、刻は距離を詰めた。
「……悠仁は、私にとっての救いです。あなたがどんな縛りに縛られていようと、あなたがどんな正義を振りかざそうと、私は私だけの正義で、悠仁を守ります」
刻の声は相変わらず震えておらず、冷淡なほどに静かだった。しかし、その瞳の奥には、すべてを焼き尽くすほどの焦燥と、虎杖への執着が渦巻いている。
彼女は、自分がただの実験体として廃棄されるはずだった運命を、虎杖との出会いによって書き換えた。だからこそ、今度は虎杖の運命を書き換える。たとえそれが、呪術界という巨大なシステムに牙を剥き、世界を敵に回す行為であったとしても。
「下がって、乙骨憂太。次は……殺します」
氷の刃を首筋に突き立てる刻の姿は、もはや怯えていた少女の面影はなく、一人の「守護者」としての凄みを帯びていた。虎杖は、目の前の幼馴染の強さと、その背後に隠された深い傷を思い、結界の中で拳を強く握りしめた。
コメント
1件
読了しました。第2話、一気に引き込まれましたね。 まず、刻の術式設計——炎と氷という相反する属性を「万物創造」で同居させる発想に、世界観の緻密さを感じます。乙骨の「純愛の奔流」をコピーして複合属性に再構築する展開も、能力バトルとして見応えがありました。 何より心に残ったのは、虎杖の回想パートです。公園で一人待つ刻に「俺と一緒にいればいいじゃん」と笑う過去——あの微かな微笑みが「孤独という檻から初めて手に入れた希望」だったと今になって理解する虎杖の痛みが、とても胸に沁みました。 「私だけの正義で、悠仁を守ります」という刻の台詞、彼女のすべてが詰まっていて、痺れました。次が気になります。