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十七
幼稚園生の頃、寝る前に必ずお母さんに読み聞かせて貰った話がある。
虐げられていた黒髪のお姫様が、白馬に乗った黄金の髪を持つ王子様に助けてもらって結ばれるお話。
綺麗なお話で、とっても素敵なハッピーエンド。
お母さん譲りのつやつやな黒髪を持っていた私は、「里奈にもこのお姫様みたいに白馬の王子様が来てくれるかもね」と、お話が終わった後、毎回のように言われていた。
――――だけど、悲しくて辛い私の元に現れたのは白馬の王子様なんかじゃなくて、真っ黒な格好をした死神だった。
*
中宮里奈は坂ノ束大学工学部に所属する生徒である。
大学の夏休みはいつの間にか消費され尽くされ、蒸し暑い日々は終わりを告げた。
比較的外出のしやすい気温になってきた現在、里奈は然程混んでいない電車に揺られていた。理由は勿論、大学に行くためである。
窓によって切り取られた秋特有の澄んだ青空。電車が進むたびに移り変わっていく景色を見ていると、気づけば目からぽろりと涙が溢れた。隣の席に座っている人がぎょっとした顔で見てくるのを尻目に、ごし、と乱暴に袖で涙を拭う。
こんなことが、ここ半年以上続いている。
理由もなく涙が溢れたり、夜眠れなかったり、食欲が無かったり。辛くて悲しくてしくしくした気持ちがずっと胸に張り付いて離れないのだ。
そのせいで、いや、それ以外にも理由はあるのだが、朝起きられなくなって、倦怠感が体にまとわりついて、朝はベッドから出られない。体重は五キロも減って、あばらが浮き出ている。顔色は常に最悪。授業にも出られない日々が続き、一週間ほど前に留年宣告を受けてしまった。
こんな駄目な私だから、東本さんは私を捨てたのか。
そうだ、と誰かが言った気がした。そうだ、そうだよ、そうに決まってる。お前は駄目な奴だ。頑張っていない。だから頑張ろう。頑張らなきゃ駄目なんだ。留年宣告だって受けたんだから。もっと頑張らないと。そうだろう? そうに決まってる。頑張れ。頑張れよ。
「……もっと……頑張らないと……」
ぼたぼたと大粒の涙が溢れて、隣の人の視線が痛くて、里奈は何処かもわからない途中駅で電車を降りた。
*
結局ギリギリのところで授業に間に合い、息を切らしたまま教授の話を聞くこと一時間半。
無事に授業も終わり、ぽってりと腫れてしまった目を冷やすべく、里奈はトイレに向かった。
……のだが。
トイレの目の前まで来たところで、きゃはきゃはという耳をつんざく声が聞こえてきて、里奈は足を止めた。
恐らく、おしゃれに気を遣った女の子たちがトイレの中でたむろしているのだろう。
どうしよう。入れない。
こんな腫れぼったい目をキラキラした人たちに見られたくない。冷やしているところなんて見られたくない。別世界の人といるのって、気まずいし。
俯いてぎゅ、と唇を噛み締めると、ぷつりと皮が切れて口の中に血の味が広がった。
と、その時。
「――――あ、ねえ知ってる? ほら、あの坂ノ束大学連続失踪事件の奴!」
「あー、あれね? 佐喜子ちゃんが殺された」
「女ばっか狙っててキモイよねぇ」
「そーそー! でもね、殺されちゃったのって佐喜子ちゃんだけじゃないらしいんだよぉ~!」
「え、ガチ? 佐喜子ちゃんは殺されちゃったって言われてたけど、他は行方不明じゃなかったっけ?」
「それがさ、ほら、アタシ経済学部じゃん? だから被害者の一人のアイナん――――田中愛奈ちゃんと知り合いなんだけど」
「あー、え、そうなの? つか、来てないなっては思ってたけど、アイナん被害者だったんだ」
「そそ。ホラこれ、被害者の名前~」
「花崎望に中山静香……で、佐喜子ちゃんだ。あとは……森村瑛子……? 知らない子いっぱいいるね」
「そりゃそうでしょ」
あ、と思った。花崎望に、中山静香、大島佐喜子、森村瑛子……。
まさかと思う。でも。
「で! なんだけど、アイナんも誰かに殺されちゃったんだってー!」
「え、ガチ!?」
「ガチガチ! なんか現場見た人いたっぽいんだけど、その人も行方不明になってるっぽい。怪しくねー!?」
「ヤバぁ~! 怖すぎなんだけど」
「狙われちゃったらどーしよー!」
きゃははと笑いながら話す彼女らの会話を聞きながら、スマホの検索エンジンに『坂ノ束大学 失踪 被害者』と検索する。
出てきたサイトにアクセスすると、そこに並ぶ名前は、すべて見た事がある名前だ。
勿論、話したことのない人もいる。でも、この人たち全員――――。
「……東本さんと、付き合ってた……」
ざあっと体が冷えていく。大島佐喜子は殺された。先程の彼女たちの会話から、田中愛奈も殺された。なら、他の人たちだってきっと殺されている。
載っている名前は全部で九人。
東本さんは、里奈を含めて十二人との交際経験があったはずだ。なら、残るは三人。里奈と、あと二人だ。
偶然かもしれない。でも、偶然にしては出来過ぎている。
私も、巻き込まれて殺されるかもしれない。
無残になってしまった自身の死体を想像して、吐き気から口を押える。だけどそれと同時に、里奈には星のように瞬く希望が見えた気がした。
*
「紅上ぃ~、もうこのゲームやめよーぜー!」
「はあ? あとちょっとで全クリできんだろーが」
「あとちょっとって! ダンジョンあと三つあるぜ!? ラスボス戦入れたら四つ! もう三時間やってっしさあ」
「まあまあ」
東本は、またもやアポなしで突撃してきた紅上兄弟と、結局夏休み中にクリアできなかったRPGゲームの続きをやっていた。
いつもの東本ならば三時間では根を上げたりしない。しかし、東本は昨夜やってもやっても尽きない課題と永遠向き合い、エナドリで無理矢理眼を覚醒させて、徹夜で全ての課題を終わらせていた。
ようするに、今東本はめちゃくちゃ眠かった。
「……はあ、仕方ねえ。一回休憩する」
「やったー!」
紅上の言葉に飛び上がって喜んだ東本は、ぽいっとコントローラーを放り出し、意気揚々とビールを取りに行く。勿論漣斗さんの分も。
「紅上もビール飲むか?」
「いらない」
そう淡白に答えた紅上はすくりと立ち上がり、荷物を纏めて玄関に向かっていった。
「あ? 何、どっか行くの?」
「ああ、次のターゲットを尾行してくる」
その言葉に東本は首を傾げた。
「でも、ターゲットの情報は最初に調べたじゃん」
「馬鹿か、あれからもう数ヶ月経ってる。行動パターンが変化してんだよ。しかも今回のターゲットはころころバイトを変えてるからな」
「いや、それにしても何で紅上が自分で調べんだよ。ほら、業者? みたいなのに頼めばいいじゃん」
「ああ~、それがねえ……」
困ったような笑顔を浮かべた漣斗さんは、東本に向けて衝撃の一言を放った。
「前に調べ上げて貰った情報屋の所に、ガサ入れが入ったんだよね」
「……は?」
ガサ入れ……? 紅上が使った所に? 警察が?
ぞわりと鳥肌が立つ。
警察が、自分達に迫ってきている。
東本は慌てて漣斗さんに訊き質した。
「そっ、それって、大丈夫なんですか!? なんか証拠とか……!?」
「いや、こっちの情報は漏れてないよ。そもそも向こうも上手く対応したみたいで、警察も目ぼしい証拠は見つからなかったみたいだしね」
その一言にほっと息を吐く。しかし、警察の手がすぐそこまで伸びていることは確かだ。暫くは警戒した方がいいだろうし、紅上の使った業者が調べられたことも踏まえると、他の所に情報収集の依頼をするのもやめた方がいいだろう。
「いやなら、尚更今行動するのはやめた方が……」
つい最近、もう見られている訳だし。
しかし紅上は首を横に振った。
「こちらに明確な物的証拠はない。警察もすぐに取り押さえるのは無理だろう。尾行程度で警察が動けるとは思えないしな」
「うわ、自信満々じゃん……」
「茶化してるならぶち殺すぞ」
「すみませんでした」
東本は綺麗な土下座をかました。
*
里奈は俗に言う貧乏大学生である。
理由は簡単、実家が貧乏だからだ。
実家からの仕送りは勿論見込めず、携帯代、定期代、家賃、食費エトセトラ、全て里奈が稼いだお金で支払っている。そうなると、やはり足りないのがお金だ。
というわけで、大学が終わればすぐに定食屋でのバイト。時給千円が夜十時まで。その後はちょっと……かなり、怪しい夜間バーの店で夜中の三時まで働く。目の下の隈とは常に友達になってしまった。
はっきり言って後半のバイトはかなり怖い。ヤクザみたいなガラの悪い人たちはいっぱい来るし、オーナーも情報漏らしたらただじゃおかねえぞと暗に脅してくる。普通に泣きたい。この前警察来て調べられたらしいし。
何でそんなところに入ってしまったのか、普通に高時給に目が眩んだからである。今考えるとただの夜間バーにしては高すぎるのだが、コレを逃す手はないと応募してしまったのが運の尽きだ。
「中宮サン、お客様に飲み物出して上げて。ジントニックだって」
「あっはい」
そんなこんなで、今日も夜間バー『ミオート』にてお酒を出している。此処はどうやらやばい情報を扱っているようだが、ただのバイトである里奈にはそういう直接的なモノには関わらせてはくれない。関わりたくはないので別にいいのだが。
*
恐ろしいバイトをやっとの思いで終わらせ、夜遅く帰路に就く。
「はあ……」
緊張のせいかキリキリと痛むお腹をさすり、すんと洟をすする。後追いするように涙が一つ流れた。あの店で泣いたら最後、生きて帰れないような気がしているので、店を出た途端にボロボロとせき止めていた涙が溢れてしまう。
この時期になってくると、夜遅くは酷く冷える。夜間バーの近くは何故か街灯がえらく少ない。おかげで毎日びくびくしながら通っていた。
オーナーもお客様も帰り道も怖いし、普通に寝不足だし、お酒も詳しくないし、やめたいけどもうこんな高収入なところないし、とぐるぐると思考が回っていく。考えれば考える程涙は止まらない。
えぐえぐと泣いていると、ふと視線を感じた。
こんなスキルも、実は夜間バーによって鍛えられた。しかし、わからない方が怖くないことだって世の中沢山ある。気づいてしまった事により、恐怖に蝕まれることも。
後ろから様子を窺っている。歩くたびについてくる。
たまらず里奈は振り返った。
ひゅ、と、掠れた音が喉からなる。
十メートルほど先、そこには、真っ黒の髪と真っ黒の服を着た男がいた。
もしかして、と思う。
偶然かもしれない。全然違うかもしれない。でも、だって、このタイミングで遭う怪しい男。東本さんの元カノである里奈の元に現れた、恐ろしい恐怖とたった一つの希望。
私の死神が、来たのかもしれない。
*
次のターゲットである中宮里奈。馬鹿みたいに遅くまでバイト詰め込んで、しかもそのバイト先の一つが紅上自身が使っていた情報屋ときた。こんな偶然あるのか、と紅上は目を見張った。
そんな彼女のバイト終わりを尾行すること約十分。何故か気取られて認識されてしまった。
………………詰んだ。
やばい、まずい、しくった。何でバレたかはわからない。尾行なんて何回もやっているし、今まで悟られたことはなかった。何者だよあの女。ていうか、情報屋がバイト先なら普通に聞けばよかった。判断を間違えた。くそ。
そんな疑問と後悔に塗れた脳味噌を使っている内に、中宮里奈は紅上に近付いている。
……?
……――――近付いている???
「……は?」
何故か、中宮里奈はこちらを認識したうえで、逃げるでもなく、誤魔化すでもなく、こちらにまっすぐ近づいてきていた。
「あ、の……」
しかも話しかけてきた。
紅上の思考は既に飛び立ち、大気圏へ向かっていた。
しかし、その思考も彼女の言葉によってすぐに地上へと戻ってくることになる。
「あなた、もしかして、……坂ノ束大学連続失踪事件の犯人ですか……?」
ドクン、と心臓が高鳴る。
まずい。まずいまずいまずい。もう失敗は出来ない。尾行だけの予定だったので凶器の類は持っていない。口封じも出来ない。どうする、どうすればいい、どうするのが正解? 決まってる、逃走――――。
思わず走り出そうとした紅上を中宮里奈は「待って下さい!」と引き留めた。ティーシャツの裾を握られ引っ張られ、紅上はつんのめりそうになった。
「っ!?」
ばっと中宮里奈を見る。
顔は真っ青になり、目の下には濃い隈。髪はぼさぼさのギシギシ。初めて写真を見た時よりも大分やつれた姿で、目を腫らして、中宮里奈は揺れる瞳でこちらを見ていた。
「おっ、……お願いがっ、あるんです……!」
目に溢れんばかりの涙を溜めて、中宮里奈は紅上に言い放った。
「私をっ、殺してください!」
「……はあ!?」
紅上は素っ頓狂な声を上げた。
*
とりあえず酷いことになっている涙痕をハンカチで拭わせて、紅上は問題の要件を切り出した。
「ええと……何だったか。こ、殺してほしい……?」
「はい……」
「いや、なんでだよ……」
紅上は困惑していた。東本も出会ったときに中々ヘンテコな頼みごとをしてきたが、こちらの方が断然ヘンテコである。
中宮里奈はまたもやわっと泣き出して説明しだした。紅上は必死に涙を拭ってやった。紅上の中の類稀なやさしさである。
「私、もう辛いんです……。彼氏に捨てられるし寝られないし食欲無いし毎日悲しいし留年するしバイトは怖いし……。でも、この前、坂ノ束大学連続失踪事件の被害者が全員私と付き合ってた人の元カノだって気づいて……」
「あー……」
成程、まあ、事情を知っていれば、確かに気づくだろう。一般人に気づかれるなんて普通にまずいのだが。
「だから、私も殺してほしいんです! 今すぐ!」
「今すぐって……今は特に殺せる道具持ってないぞ」
「そんな!」
わあっと泣いて顔を覆った中宮里奈に困惑と焦りが募る。
なんというか、ここまで泣かれてしまうと、こちらもなんだか申し訳なくなってくる。もう早くどうにかしたい。
気まずくなり、何かないかと周囲を見回す。すると、横の路地に落ちている物に目が行った。
あれならどうだろう。
いや、あれで殺せるかはよくわからない。一命をとりとめる可能性はあるだろうし、確実に殺すには何発か食らわせなければいけないだろう。しかし、紅上はとにかくこの状況をどうにかしたかった。
「あー……、その、じゃあ、やって、みるか……?」
紅上がそう言えば、中宮里奈はぱあっと目を輝かせた。
「ほんとですか!?」
「お、おう……。つっても結構痛いと思うが……」
「大丈夫です! 死ねるなら!」
「えー……」
まあ、こちらとしても元々殺すつもりだったのだ。早いか遅いかの違いなら、大して変わらないだろう。
紅上は横の路地に転がっていたもの――――鉄パイプを拾った。ところどころ錆びてはいるが、殺すには別に問題ない。
これで頭を何回か殴打すれば、いつか死ぬだろう。証拠隠滅がかなり面倒ではあるが、今殺さないと、いつ冷静になって警察に駆け込まれるかわかったものじゃない。
紅上は鉄パイプを振り上げ、中宮里奈に向けて力一杯振り下ろした。
*
後日、サイゼリヤにて。
「お前彼女の趣味どうなってんだ」
「は? 何の事???」
げっそり疲れた顔をした紅上が東本に辛味チキンとモッツァレラのカプレーゼをつつきながら問いただしていた。