「この度は妹の面倒を見てくださり、誠にありがとうございました」
佐橋の家の前から最後のマスコミがいなくなった一ヶ月後。
麗を迎えに来た麗音は茶の間で父と母に丁寧に頭を下げ、麗もその横で追随する。
「頭を上げてちょうだい。麗ちゃん、とってもいい子だったから楽しかったわ」
麗音が持ってきた茶菓子と金の入った封筒の、茶菓子だけ受け取った母がにっこりった。
「そうそう、我々夫婦にもう一人子供ができたようで楽しかったよ。そうだ、今回の件で麗ちゃんは就活ができなかっただろう? どうだろう、うちの百貨店の最終面接が近々ある。名前を加えておこうと思うのだが」
これは父が麗のことをかなり気に入ってるからできた提案だった。
以前、それとなく伝えておいたのだ。麗は就活ができていないと。
最終面接と言っているが、実質は面接さえ出れば採用するということだ。
「ええ! いえ、そんな! これ以上ご迷惑をかけるつもりはありません」
麗はわちゃわちゃと両手を横に振った。
短大は単位をほとんどとっており、事情を話してレポートの提出で残りの単位ももらえることになっている。
だが、就活はそうはいかない。
面接に出られないのだから、麗の就活は完全にだめになっていた。
「不運に見舞われたんだ。コネを使うことは悪いことじゃない。それに麗は接客業、向いていると思うよ」
今、自分自身が特別扱いされていることに反発しているというのに、自然と口に出ていた。
ただでさえ、苦労しているのだ。これ以上苦労を背負い込ませたくなかった。
「でもでも、そもそも須藤百貨店の最終面接に残れる実力自体、私にはないわけで。元々フリーターになるしかなさそうかなって思ってたりもしてて……」
「妹のために、ありがとうございます」
麗音がまたしても深々と頭を下げた。
「しかしながら、妹には我が社の仕事を用意しておきました。ご心配には及びません」
麗音は明彦と違い最短で社長の椅子を目指していたため、最初から佐橋児童衣料に入社していた。
「そうなんっ?」
麗が驚いた様子で目を見開いた。本人も知らなかったのだ。
「忙しくてなかなか連絡できなくて悪かったわ。でも、麗のことは姉さんちゃんと考えていたから。いつだってね」
麗は断ると思った。
父の提案を断ったのと同じ理由で。
だが、その瞳は潤みだす。
「姉さん、会社に泊まり込んだりして、毎日めちゃくちゃ大変やったのに、私のこと思っててくれてたん?」
「当たり前でしょう? たった一人の可愛い妹なのよ。須藤家の皆様に守って頂けているとわかっていても、あなたが私のためになにか無茶をしないか心配だったわ。だから、今後は私の目の届く範囲にいてちょうだい」
麗がうんと強く頷いた。
そうしてうつむく麗の瞳からポロポロと涙が溢れ、こぼれだす。それを麗音がハンカチで拭いている。
明彦は拳を握りしめた。
(何故、俺じゃなくて、麗音の前で泣く! 散々面倒見て可愛がってきたのは俺だろう! 俺のもののくせにっ!)
何故その瞬間、そう思ったのかわからない。
だが、気付いた、それで気付いた。
まるで、頭を鈍器で殴られたかのような衝撃。
麗を可愛がったのは勘違いしないからではない。愛しているからだ。
「よくがんばったわね、麗」
崩れ落ちるように麗音の膝の上で泣き始めた麗を見ながら、握った爪が手に食い込んでいく。
妹なんかじゃない。
妹なんぞなわけがない。
どうして今まで気づかなかったのか、いや、気づかないようにしていたのだ。
気づいたら、己を止められなくなるから。
(麗は俺のものだ)
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