テラーノベル
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「初恋という毒」
🟦🏺
※シリアス
※暴力描写あり
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あれから何日か時間が経ち、つぼ浦はソワソワしながらレギオン近くの公園を歩き回っていた。幾何学的なモニュメントの前を何度も行き来し、黄緑のスマートウォッチに目をやってはまた歩き回る。
モニュメントを何周かして、つぼ浦はスマホを取り出した。メモには何度も書き直した告白の言葉が書き連ねられている。それを見ると歯が浮くような気持ちになってつぼ浦は思わず身震いした。
それからメッセージアプリを開いた。つぼ浦の震えるような呼び出しの言葉に対して「これから行くよ」という青井の返事が表示されている。
───それにしても遅い。青井が一分一秒遅れるごとに、つぼ浦がうろつく頻度も上がっていく。
つぼ浦がしびれを切らして電話をかけそうになった頃、道路から水色のパトカーが滑り込んできた。強引に公園の中まで車体を突っ込んで停めて青井が急いで降りてきた。
「ごめんごめん、ユニオン始まっちゃって。ドリーに押し付けてきちゃった」
ユニオン、と言われてつぼ浦は一瞬考え込んだ。つい先日まで火がついたように走り回っていたというのに遠い話のように思えた。
「ああ、そうなんすね」
「パトカー通ってなかった?見られたらやだな、ちゃんと言ってきたからこれサボりじゃないんだけどな」
青井が呟いた直後にけたたましいサイレンとともに特殊刑事課のライオットが通り過ぎていった。青井は肩をすくめて首を振り、それからつぼ浦を見た。
「で、どしたの?」
その声でつぼ浦の心臓が爆音を上げた。頭の中で何度も考えたのに本人を目前にすると用意していた言葉が飛んでいってしまった。
「ア、アア、アオセン、話があるんだ」
「ちょうどよかった、俺も……いやなんでもない。どうしたの?」
青井は言いかけた言葉を切ってつぼ浦の言葉を待った。つぼ浦はいつになく出来上がった顔をしていて落ち着きがない。こんなところに仕事中に呼び出されたのだからまずは話を聞いてあげよう、と青井はつぼ浦の言葉を待った。
つぼ浦は更に焦ってしまった。目の前では青井が話を聞くモードになって待っている。組み立てたはずの告白の言葉がバラバラになってしまって、拾い集めようにも手も足も震えている。
「あ、アオセ、おれ、あの」
「……んー、あーごめん、無線うるさいな」
頑張って会話を切り出そうとしたのに、いきなり無線で出鼻がくじかれてつぼ浦は言葉を飲み込んだ。遠くで銃声と爆音がしている。ユニオンヘイストが進行中なら無線がうるさくても仕方がないだろう。つぼ浦がぼうっと見つめている中、青井は片手で無線を切った。
「ごめん。で?」
今度こそ警察無線という邪魔もなく、青井はつぼ浦の言葉を聞こうとしていた。つぼ浦はつばを飲み込んだ。飲み込んでも乾いた喉で頑張って言葉を吐き出した。
「アオセン、その……お、俺ッ、好きだろ!?アオセン、は」
「は?なに??」
全く文章にならない語句が転がり出た。あっけにとられる青井はもちろん、つぼ浦も顔に熱が集まるのを自覚した。
「チクショウ、えーっと……グウッ、ち、ちげぇんだよ」
「大丈夫そ?お前最近なんかちょっと変だよ」
「ん、んなことねーし!」
大げさに両手を振るつぼ浦のことを青井は心配そうに見上げた。鬼面越しとはいえ下から顔を覗き込まれてつぼ浦は息を飲んだ。
「最近仕事してないけどさ、なんかあったの?」
「ア?いや、だって仕事なんてもんは」
「今日もハイライトがタンクローリー持ってきて大変だったよ、来てくれたら面白くなったろうになぁ。やっぱ特殊車両犯罪には特殊刑事課でしょー」
「……でもよ」
先程までとは違う、別のなにかがうまく言葉にならずつぼ浦の臓腑でモヤついていた。腹の奥が焦げるように熱くなる。
「でもアオセン、俺が危ない目に遭うの嫌なんだろ?」
「え?そりゃ……悲惨なやつはないほうがいいけどさ」
「だろ?!じゃあ問題ないだろ」
「うーん……」
青井は腕を片手で掴んで難しい声を上げている。それを見てつぼ浦の中で苛立ちめいた感情が足先から焦がし始めた。言いたいことと言わなければならないこと、そして理解してほしいこと。それがどれも上手く回らない。
それでも、今は人生最大の正念場だ。つぼ浦は真っ直ぐに青井を見た。
「チクショウ、アオセンのくせに埒が明かない話するとはな。アー、さっきの続きなんすけど」
「どうしちゃったの?」
「……は?」
やっと話が本題に戻りそうになったところに青井の一言が突き刺さった。まるでブレーカーが落とされたかのようにつぼ浦の思考が一瞬途切れる。
「どう、って、なんだ?」
目の前の黒い鬼の顔が急に知らない人のように見えた。言われている言葉の意味がわからない。つぼ浦は何度も瞬きをした。何度世界が明滅しても青井の姿は変わらない。
「だってアオセンは俺のこと、大事……なんだろ?」
「まぁそりゃ大事、だけど……」
歯切れの悪い返答でも「大事」と言ってもらえたことでつぼ浦は勝手に笑顔になった。まだ勝負は終わっていない。もう一度仕切り直せる。今度こそちゃんと言うために、胸いっぱいに息を吸った。
「だ、だ、だからアオセン、アオセンって俺のことが好……」
「……前のほうが好きだったな」
腹に響く重低音、地響きすら覚えるほどの爆音が二人のすぐ近くで響き渡った。警察かギャングか、どちらかのヘリがビルの上に墜落した音だった。パラパラと破片と火の粉が宙を舞う様子はさながら大輪の花火のようだった。
青井は一応勤務中なのでどこに落ちたのかと首を曲げて行方を追った。
その様子をつぼ浦は見ていた。ただじっと見ていた。
「前、って?」
「そう。だから、ねぇつぼ浦───」
つぼ浦の腕が勢いよく横に薙いだ。
その手が掴んでいたバットが青井の頭にぶち当たった。
「あ」の一言を最後に青井の身体が地面に叩きつけられた。
「前?前ってなんだ?」
右手に持ったバットの先端を地面に引きずりながらつぼ浦は地面に転がる青井の元にゆっくり近づいた。
「アオセン、は、俺が好きなんだよな?」
衝撃で脱げた鬼の面は少しひしゃげていて、離れたところに転がっていた。こめかみの傷から青井の端正な顔に血がだらだら流れている。つぼ浦が青井の素顔を見るのはあの日以来だった。少しだけ胸が満たされて、しかし同時に強い渇きが押し寄せてきた。
「おかしい、こんなの、へんだ。なぁアオセン」
震える手でつぼ浦は青井の肩を揺さぶった。しかし返事はない。返事がないことがつぼ浦をひどく苛立たせた。
投げ出された青井の手首をつぼ浦はためらわずに強く掴んだ。そのまま立ち上がって青井の水色のパトカーに向けて引きずっていく。
トランクに青井の身体を投げ入れる。蓋を閉めて青井の横顔が見えなくなった瞬間、得も言われぬほどの満足感がつぼ浦を襲った。
「アオセンは、おれのことがすきじゃないと」
緩みまくった口に手を当ててうっとりと呟いて、つぼ浦は足取りも軽く運転席へと向かった。
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割れるような痛みで青井は目を覚ました。実際に割れているのかもしれない。心臓の拍動とともに頭がズキズキと痛む。
「あれ、なんだっけ……」
ここに至るまでの記憶を思い出そうと鈍い頭を動かす。額には包帯が巻かれている感覚があった。それに触れて確かめようとして、青井は自分の腕が動かないことに気づいた。
「は……?!」
驚いて立ち上がろうとした足も、もたついて動かなかった。そこで初めて青井は周りを見た。
全く見覚えのない場所だった。薬の精製所でもギャングのアジトでもない、とても使われているようには見えない倉庫のような場所だった。
青井は椅子に座らされていた。バランスに気をつけて両足を伸ばしてみると、足首がロープでまとめて縛られていた。手首も椅子の後ろでロープで縛られていて倒れずに立ち上がるのは難しかった。
警察装備の入ったベストはとても手の届かない壁際の机に置かれている。換気扇だけが耳障りな音を立てていた。
「なんでこんな……どうしたんだっけ」
焦燥にかられて青井はできる限り首を動かしてあたりを見回した。埃っぽい室内には机や椅子が乱雑に置かれているだけで役立ちそうなものは見当たらない。部屋全体を照らすには全く足りない古びた裸電球が、頭上で弱々しくフィラメントを光らせている。
ギャングの報復、なにかの人質、嫌な可能性が青井の頭をよぎった。しかしそれらについて深く考えるより先に、ふと誰かの顔が思い出された。
「……つぼ浦?」
おぼろげな記憶が蘇る。つぼ浦に呼び出されたこと、話をしたこと。どうしても噛み合わなくて、そのうちに誰かのヘリが墜落して、そして。
最後に見た映像を、青井はじんわりと思い出した。しかしつぼ浦がどんな表情をしていたのかはどうしても思い出せなかった。
部屋の外で物音がした。倉庫のドアがひどくきしみながら開く。片手にビニール袋を下げたつぼ浦が、入ってくるなり目を覚ました青井に気づいて駆け寄ってきた。
「おはようございますアオセン、起きたんっすね」
「いや、お前……あぁ?」
あまりにも平然とした言葉に青井は言い淀んでしまった。つぼ浦は胸を躍らせながら、買ってきたものを一番汚れがマシなテーブルに置いた。
全く状況が飲み込めなくて青井は背中に冷や汗が伝うのを感じた。一瞬つぼ浦は助けに来てくれたのかと思ったがそうではない。青井が最後に見た光景がそれを否定する。
険しい表情で見つめられていることに気づいて、つぼ浦は縛られている青井に近づいた。
「腕、痛くないっすか?そんな強く締めてないと思うけど」
「なん……っ、お前、が?」
「痛かったら言ってくれよな。大丈夫だぜ、どっか行っちまうなんて思ってねぇっすよ」
ではなぜ縛っているのか?という疑問が青井の喉までこみ上げたが言うことができなかった。
「喉乾いてないっすか?水とか買ってきたぜ。ああ、傷も……まだちょっと血ィ出てんな」
そう言うとつぼ浦はティッシュに水をつけ、青井の頬を優しく押さえて赤黒くこびりつく血を拭った。甲斐甲斐しく世話を焼く様子はまるで恋人のようで、しかしこの傷をつけたのは壁に立てかけてあるつぼ浦愛用のバットだった。
つぼ浦の思考が全く読めない。青井は唇を噛んでただしたいようにさせておいた。つつけば破裂しそうなのに、いつでも首に噛みつけそうないびつさがあった。
包帯を巻き直し、青井の乱れた髪を整えてやり、つぼ浦は満面の笑みを浮かべた。───やっと手に入った。つぼ浦の世界に正しく光が収まった。しかしまだ足りない。
順番が変わったが、言うべきことは変わらない。今度こそ、青井をすべて手に入れるためにつぼ浦は微笑んで話しかけた。
「さっきちゃんと言えなくてすいません。俺、アオセンにずっといてほしくて、俺を見ててほしくて」
もうスマホのメモを見なくてもそらんじて言うことができた。嬉しくてつぼ浦の足が勝手にステップを踏む。
「……それで?」
「だってアオセンも好きなんすよね?俺のこと」
「いや、それは……」
青井がたじろいだのを見てつぼ浦は一つ大きな拍手をした。歌でも歌い出しそうになってグッと堪える。
胸に咲く「恋」と名付けた花はこぼれんばかりに満開で、つぼ浦は心の底から幸せだった。
「だろ?あんな、額くっつけてくれて、大事って言ってくれて……そんなの他の奴にしないよな?俺が好きなんだよな、わかってるぜ」
饒舌に語りながらあの時の熱を思い出して思わずつぼ浦の目頭が熱くなった。舞台上でその身を燃やして暴れまわるつぼ浦、その舞台裏のつぼ浦に当ててくれた光。魂にまで届くほどの青井の手と熱。それが全てのきっかけだった。
「……つぼ浦」
「最初はすげぇ怖かったけど、でもアオセンが言ってくれたからわかったんだぜ。これが恋……初恋なんだって!」
「ねぇ」
「さっきはなんか間違えたんだよな、俺の段取りが悪かったんだ。チクショウ、なんせ初めてだからな。不手際ばっかでスイマセン」
ペラペラ喋り続けるつぼ浦の目に、椅子に座ったまま眉間にしわを寄せる青井の顔が写った。きっと傷が痛いのだろう、鎮痛剤も飲ませたのにな、とつぼ浦はすぐに興味を無くした。
それよりも重要なことがある。舞台から降りたつぼ浦の世界には導くための光が必要だった。自分だけの大切な光が。
これですべてが手に入る。つぼ浦は縛り付けた青井を真っ直ぐに見て、口を開いた。
「だからアオセン、俺アオセンのことが……」
「ごめんつぼ浦。……今のお前には言えない」
心臓を握りつぶされたかのようだった。意識まで途切れ、つぼ浦の時間が凍りついた。
青井は苦しげな顔のまま、つぼ浦から少しも目をそらさずに見つめている。
はっきりと言われた言葉。それが「拒絶」であることが、どうしてもつぼ浦は理解できなかった。
「……今?」
長い沈黙のあと、絞り出すようなつぼ浦の声が荒れた部屋にこぼれ出た。青井は目線だけでそれを肯定した。
なにかが軋む音が聞こえた気がした。つぼ浦の中で、なにかに亀裂が入っていく。
「俺を救ってくれたのに、アオセンが大事にしてくれたのに、だから俺は俺を大事にしたのに」
一歩近づいてつぼ浦は両手をわななかせた。おかしなことが起きていた。間違いは訂正しなければならない。そのために青井を捕まえたのだ。
瞳孔の開いた目は正気の所在を曖昧にしている。青井は軽く首を振った。
「それは全部俺のせいで……」
「せい?おかげだぜ。アオセンのおかげで俺はこんなに自由で、幸せなんだぜ!」
「そうじゃないでしょ、お前はそんなんじゃないだろ。どこが自由なの」
「自由だぜ!やめたんだ、俺は。危ないことしたら俺がかわいそうだ。だってアオセンは俺のことが大事なんだよな!」
「そうだけどそうじゃないんだよ、だって前のつぼ浦は……」
「前?前ってなんだよ!!」
青井の襟元を掴み、喉が裂けそうなほどの声でつぼ浦は怒鳴り散らした。あまりの剣幕に流石に青井も息を飲んだ。
過呼吸になりそうなほど激しく息を吸って、つぼ浦の目の前を星がチカチカ舞う。襟を掴む手も力を込めすぎて細かく痙攣している。
「キャップもアオセンも、みんな前の話ばっかだ!!アオセンがいてくれるから俺はここまでこれたのに!」
ぐっと襟を持ち上げて青井の顔を近づける。今すぐ腹を裂いて見せたいほど、煮えるような感情がつぼ浦に満ち溢れていた。
つぼ浦匠の舞台裏に手を伸ばしたのは青井だった。お前が大事だと言ったのも青井だった。その手を頼りにつぼ浦は荒れ狂う炎のような舞台から降りた、はずだった。
「……どうしちゃったんだよ」
今のつぼ浦の全てを否定する言葉だった。
「俺は、アオセンのせいで、こんなにおかしくなったのに?!」
襟元を掴んでいた手が白い首にかかった。震える指が皮膚にめり込み、力任せに絞め上げる。
「俺のこと好きなんだろ!?なぁ、言ってくれよ!!好きなんだろ!?」
「つ、ぼ……ッ、ア゛っ、グッ……」
抵抗する手段のない青井から苦痛の喘ぎが上がる。必死に身をよじっていたがやがて声は聞こえなくなった。
「おれ、は、こんなに……ッ!!こんなに!!」
意識を手放し、がっくりと首を折った青井からつぼ浦はゆっくり両手を離した。青井が暴れたせいでちゃんと縛ったはずの頭の包帯がほどけ、黒ずんだ傷からまた血がじくじく滲んでいる。
やっとつぼ浦の邪魔をする雑音が消えた。
同時に最も欲しい言葉をかけてくれる声も消えた。
「……違う、こうじゃない、こうじゃねぇだろ、こんなことがしたいんじゃなくて……」
体の力が抜け、つぼ浦は青井の前に崩れ落ちた。青井は目を開けない。
「はじめて、だったんだよ」
まるで許しを請うかのように、つぼ浦は青井の膝に両手を乗せて突っ伏した。
「はじめて、こんな気持ち、これが「恋」なんだろ?「恋」じゃなきゃこうならないんだろ?」
ただ認めてほしかった。横にいて、光であってほしかった。
そしてただ受け入れてほしかった。つぼ浦の願いはそれだけだった。
つぼ浦は膝にもたれたまま顔を見上げた。青井の目は閉じたままだった。黒いタトゥーの刻まれた首にはくっきりと手の跡が残っている。
ひどい後悔が湧いてきて、つぼ浦は身体を起こしてその頬を手で挟んだ。紺色の前髪をどかして、あの日してくれたように───額を押し当てた。
柔らかな温もりが返ってくる。それだけですべてが許されたかのようで、胸が満たされていく。
つぼ浦にはこれしかわからなかった。
他にできることがなかった。
突然、青井が苦しげに咳き込んだ。酸素を求めて夢中で呼吸をするうちに真っ白に溶けた視界が回復し、まず真っ先につぼ浦を探した。
つぼ浦は青井の前でへたり込んでいた。
「アオセンっ、初恋、なんすよ、これが……俺の」
しゃくり上げながらつぼ浦は訴えた。許されたい思いでいっぱいだった。目に涙が浮かんできて青井の顔が滲む。今こそはっきりと見つめたいのに焦点が合わない。
青井は数回咳き込んで、それから何度か言いかけて迷った。それでも、あまりにも純粋に自分を見つめるつぼ浦と目があって、かすれた声で告げた。
「……ねえ、じゃあ俺のどこが好きなの」
「んなのアオセン、おれ、こんなにアンタのことが、……こと、が」
つぼ浦の言葉が不自然に途切れた。
青井に言われて初めて、つぼ浦は自分の中にあるひずみに気づいた。
ずっと確認したいのは「青井が自分を好きかどうか」だけで、つぼ浦自身が青井を好きだと伝える言葉は湧いてすらこなかった。
好きとは一体何なのか、この果てがないほどの渇望はなんなのか。
そもそもこれは「恋」なのか。
「……あ」
あの日胸の中に咲いた花、「恋」と名付けたその花のラベルが剥がれそうになった。
しかし、もう引き返せなかった。
今更曲げることはできない。これは恋で、初恋だった。それは甘く美しく、光で救済であるべきだった。
あとは認めてもらうだけだ。
「……言ってくれよ、一言でいいから」
「ごめんつぼ浦。それだけはできない」
「俺のこと、好きなんだろ?」
「今は駄目だよ」
「なんでだよ、認めてくれよ、俺を、今の俺を!!」
「駄目だよ。……駄目なんだよ」
諭すような青井の足元でつぼ浦は静かに泣きじゃくった。
「……傲慢だったな。唯一になりたいだなんて」
薄暗い部屋に青井のつぶやきが落ちた。
つぼ浦が”つぼ浦”をすることに疲れたとき、炎と爆発の表舞台から引っ込んでちょっと舞台裏で休憩したいと思ったとき。青井はその時間を自分だけのものにしたいと思った。
自由奔放な男の唯一のとまり木になること。それは普段気持ちを顔には出さない青井のほんの小さな独占欲だった。
「何にも縛られない、自由なお前を見ていたかったよ」
少年のように泣き続けるつぼ浦に、青井は静かに言った。
「今のお前はどう?」
つぼ浦はハッと顔を上げた。急に呼吸が荒くなる。全ての齟齬の原因が見えそうだった。
つぼ浦にとって舞台の上で暴れまわるのは役割や演技やいろいろなものにがんじがらめになることでもあった。青井に手を引かれてその舞台から降りることで初めて本当の意味で自由になったと思っていた。
青井が好きなのは舞台の上で暴れまわるつぼ浦だった。それこそが自由でのびのびと生きているように見えていたのだ。
今、つぼ浦はとっくに舞台から降りてしまった。
「はは、わかったぜ。なんか間違えちまったんだな」
涙を乱暴に拭ってつぼ浦はフラフラ立ち上がった。壁際においていた青井から剥ぎ取った装備から黒く重たい拳銃を抜く。
「アオセン、リスポーンしてくださいよ。それで記憶無くしてまたやり直そうぜ」
青井の前に立ち、銃口を突きつけた。青井は怯えることもなく皮肉げに笑った。
「俺でリセマラするなよ」
「するぜ、やり方が悪かったぜ。叩いて直らないならリスポーンしかないよな」
「つぼ浦……」
「俺に好きって言ってくれるまで何度でも、何度でも捕まえて殺せばいいんだな。間違えないアオセンに会えるまで、何回でもやり直そうぜ」
「つぼ浦ッ!!」
「それが嫌なら、……一言でいいんだ」
つぼ浦は冷たい銃口を青井の頭に押し付ける。引き金にかけた指が震えて不意に撃ってしまいそうで恐ろしかった。
全く動揺が隠れていない脅迫だった。青井は逆に頭で銃口を押し返す。
「駄目だってそれは、お前もわかってるんだろ」
「わかんねぇよ!アンタのこと考えると、俺ッ、おかしくなっちまうんだよ!!」
拭ったはずの涙がまたつぼ浦の頬を伝う。雑音がうるさい。銃で殴りつけそうになって、手を頭上に振り上げたままなんとか止めた。
「今のお前には言えないんだよ!」
「なんでだよ!どうしたらいいんだよ、こんなッ胸、ザワザワして……!!」
膨れ上がった渇望が青井を欲してやまない。
救済を、承認を、依存を、肯定を望んでやまない。
「アオセンがいないと生きていけねぇんだ!!」
胸に咲いた花は本当の名前を隠しながら「恋」という名前のまま成長した。
それは「恋」と思い込んで丁寧に育てた怪物の叫びだった。
「どうしたらいいんだよ……どう、したら……」
振り上げた手も下ろし、うなだれたままつぼ浦はすすり泣いた。
もうどうしたらいいかわからなかった。それがなければ生きられないはずのものが、どうやっても手に入らない。捕まえて、縛り付けているのに青井まではあまりに遠く、こんなに近いのに絶望的なほどの溝があった。
不意にガタンという物音がしてつぼ浦の腕が引っ張られた。我に返って顔を上げると、ゆるく結ばれていた手のロープを振りほどいた青井がつぼ浦の手から銃を奪い取っていた。
「ア、アオセ……」
青井は椅子に座ったままつぼ浦に銃口を向けた。形勢逆転だった。銃を奪い返そうにも青井の視線が手を伸ばすことをためらわせた。
「つぼ浦、ごめんね」
頬を伝う涙が乾くほど、しばらくの無言のあと、青井がポツリと言った。
「俺が悪かったんだよ。俺が……お前のこと考えないで、大事とか言ったから」
「は……?悪くなんてない、アオセンは、絶対に」
「間違えたんだよ。俺もお前も」
青井はつぼ浦が聞きたくもない贖罪の言葉を連ねてくる。それ以上言わせまいと一歩近づこうとしたが、銃を鋭く突きつけられた。
「ごめんね、本当にごめん。……本当に」
「なんで謝るんだよ、やめろよ!」
「……ごめん、つぼ浦。間違えてごめんね」
「違うぜ、間違ってなんてねぇよ!」
つぼ浦は必死に叫んだ。青井が次に何をしようとしているのかを想像して鳥肌が立った。
青井の心を変えさせないといけない。つぼ浦にとって青井の謝罪はありえないものだった。青井が間違っていたのならすべてが崩れてしまう。聞くことさえも耐えられなかった。
「つぼ浦、……ごめん」
ぎゅっと目を閉じて青井は歯を噛み締めた。そしてゆっくりと銃を下ろした。つぼ浦のことを思えば思うほど、青井のできることが減っていく。選択肢はもういくつも残されていなかった。
青井が諦めてくれたのを見てつぼ浦は安堵のため息をついた。しかしほっとする間もなく、青井はその銃口を自分の喉元に突きつけた。
「は?!な、なにやってんだ!?」
「忘れるから。お前がこんなことしたってこと。忘れてくるよ」
覚悟などとっくに決まっている顔だった。先ほど同じ理由で脅迫したのに、つぼ浦は頭が真っ白になってしまった。恥も外聞も投げ捨てて青井を止めようと喚き散らす。
「い、やだ、忘れるなんてそんなの、駄目だ!やめてくれ!!」
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃねぇよ、なにも……ッ、なんも大丈夫じゃねぇだろ!!」
「ううん、お前がしたこと全部忘れるからね」
いつかの日と同じくらいとても優しい声だった。誤解も悪意も微塵もない、ただ誠実な言葉だった。
「なんでだよ、なんでそんなこと言うんだよ!!」
暴力を振るったこと、監禁したこと、破綻した姿を見せたこと。忘れたほうがいいのは当然だろう。先ほどつぼ浦も脅迫したように、そうなればまだ希望があるかも知れない。しかしつぼ浦はどうしても受け入れられなかった。
「本当にごめんね。お前にしてやれることがもう……これしかないんだ」
青井の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。うるんだ青い瞳が最後につぼ浦を愛おしそうに見つめていた。
「前の俺なら、……きっと」
つぼ浦が強引に銃を奪い取ろうと飛びかかるより早く、身をかがめて青井は引き金を引ききった。
パンッ、という軽い音が響いて延髄を捉えた弾丸が一瞬で命を奪った。
頭に空いた穴から血が壁にまで飛び散って、力を失った手から虚しい音を立てて床に銃が落ちた。
「は……?!い、やだ、いやだいやだ、アオセン、嫌だ!!忘れるな!忘れないで……ッ!!」
半狂乱になってつぼ浦は椅子から崩れ落ちそうになった青井の亡骸に抱きついた。そのまま強く抱きしめる。リスポーンなどさせるものかと、生ぬるい血がベタベタにつくのも構わず抱きしめ続けた。
「いやだ、置いていくなよ!!おれは……ッ、アオセンが忘れたらどうしたらいいんだよ!!」
誠実さも行き過ぎれば不誠実になる。青井の誠実すぎる決断に焼かれながらつぼ浦は泣きわめいた。
あの日の熱も、言葉も、片方からだけ消え去ってしまう。つぼ浦だけが抱える毒になる。
「じゃあ俺も終わらせてくれよ!!もう、苦しいんだッ!全部終わらせてくれ!!」
何度青井の身体を揺さぶっても答えはない。全てが間違いで、過ちで、勘違いで、最初からこの恋など存在しなかったのだと。つぼ浦は青井を繋ぎ止めようと必死で抱きしめた。
その腕が急に抱えるものを失った。青井の亡骸が音もなく消えた。
「あ……」
ただ換気扇の音だけがカラカラと響いていた。ちらつく白熱電球が1人分の影を床に落としている。
「まだなんも言ってくれてねぇのに……!!」
欲しかった言葉はもう二度ともらえない。
つぼ浦の慟哭だけが薄暗い部屋に響いた。
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鈍色の雲が灰色の街の上に広がっている。つぼ浦は無我夢中で青井の水色のパトカーを走らせていた。何度か信号機にぶつかりながら、ようやく病院のビルが見えてきた。
世界のルールに則るなら、青井はここ最近の記憶を失うはずだった。つまり、つぼ浦に手を差し伸べてくれたあの日のことも。つぼ浦の中に渇望だけを残して以前の状態に戻ってしまったのだろう。
つぼ浦だけが一人、「恋」の渦中に取り残された。早く終わりたかった。ねじれた恋はもはや叶う見込みはなく、ただ苦しいだけだった。
恋を終わらせる方法はこの世界に一つだけ用意されている。それは、失恋だ。
すべてが嘘で、勘違いで、青井は自分を好きではなかった。自分は思い込みの一人芝居に先輩を巻き込んだ暴行罪の犯罪者だった。それだけが今のつぼ浦の願いだった。
病院のロビーに突っ込むほどに車を強引に駐車させ、救急隊員が慌てるのも無視してつぼ浦は奥の病室に駆け込んだ。
手前から見ていって、3つ目の部屋。その奥のベッドに青井が腰掛けていた。
「なにそんな血相変えて、ていうか血だらけで」
公園に落としたままの鬼のマスクもつぼ浦が剥ぎ取った警察装備のベストも着ていなかったが、以前のように呑気そうな顔の青井がいた。
青井に言われて初めてつぼ浦は自分の服から顔まで血まみれなことに気づいた。その血は目の前でヘラヘラ笑っている本人のものだった、はずだった。
「あお、せん」
「どうしちゃったの?」
幾度も言われたそのフレーズに、つぼ浦は思わず身体が硬くなった。しかし以前の言葉とは温度が違う。含みのない、ただの確認の言葉だった。
つぼ浦がひどい形相をしているのに気づいて青井は首を傾げた。
「なんかあってリスポーンしたらしいんだけど何も覚えてないんだよね。来てくれたってことはなんか知ってんの?」
「イヤ、俺は……」
「てかショボショボじゃん、キャップに怒られた?それとも有り金オールインしちゃった?見たかったなぁ」
青井はベッドから立ち上がって励ますようにつぼ浦の肩をバンバン叩く。
地続きの日常がそこにあった。ただその地面につぼ浦の足はついていない。
つぼ浦はゆっくり深呼吸をした。断罪を求めなければならない。この「恋」を踏みにじって、終止符を打ってもらうために。すべてを終わりにするために。
「……アオセンって俺のこと嫌いだよな」
「は?金貸してほしいの?やだよ」
突然そんなことを言われて青井は露骨に警戒した。つぼ浦匠とはそういう男だ。彼が姑息に金をせびるのは日常茶飯事だった。
しかし誰かの血に塗れたつぼ浦の顔は真剣そのもので、気迫すら感じられた。気圧されて青井は渋々口を開ける。
「はっきり言ってくれよ、……どうなんだ?」
「どうって、なに?好きか嫌いかってこと?」
「嫌い……だろ?アオセンは、俺のこと」
「えーつぼ浦のこと?そりゃ好きか嫌いかで言ったら……うーん。なんなん、答えなきゃだめ?」
「頼むぜ、一言でいいから」
つぼ浦は逃がすまいと必死に問いかけた。これでギロチンの刃が落ちる。やっとつぼ浦も解放される。本当は逆の言葉が欲しくて、そのために監禁までしたのに、つぼ浦は涙をこらえて青井の言葉を待った。
追い詰められた青井はつぼ浦から目をそらした。口をモニャモニャさせてなにかを言おうとしてチラリとつぼ浦の顔を見て、そしてまた目をそらす。そんな優柔不断な動きを何度も繰り返し、やっと口を開いた。
「じゃあ、まぁ……好きかな」
あれだけつぼ浦が欲していた言葉だった。
青井は目を泳がせ、頬を少し赤らめて恥ずかしそうにしている。つぼ浦にはわかった。これこそが恋の顔だ。
その瞬間つぼ浦は悟った。青井はこの事件の前から本当につぼ浦のことが好きだったのだ。しかし青井の言う「好き」はつぼ浦に宿ってしまったものとは温度も重さも全く違う。
青井がいま見せた恋は、つぼ浦が「恋」と名付けたものとは似ても似つかないかたちだった。
つぼ浦は一歩、二歩、下がって壁に背中をもたれかけた。心配した青井がなにか言っているがもう聞こえなかった。
つぼ浦の凶行を、犯した罪を忘れた今の青井ならつぼ浦のことを受け入れてくれるかもしれない。簡単に好きと言ったのがその証拠だ。青井もそれを期待して記憶をなくすことに賭けたのだろう。そして青井は賭けに勝った。
しかし今のつぼ浦と青井の間にはどうしようもない溝があった。
青井が好きなのはその身を藁のように燃やす、以前のつぼ浦だ。しかし自由を知ったつぼ浦が今更舞台に戻って道化を演じ直すこともできない。
やっともらった「好き」という言葉は受け取ることができず落ちていった。
つぼ浦の恋を踏みにじる言葉はついぞ与えられることがなかった。
手を伸ばしたらまた同じことを繰り返すだろう。
正しく終わらなかった初恋は、生涯蝕む毒になる。
これがつぼ浦の初恋だった。
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読んでいただきありがとうございます。この話に限っては続きはないです。ここで終わりです。
青井がなんで監禁されてるときに絶対つぼ浦に好きだって言わなかったかなんですが、あの壊れてるつぼ浦に好きって言ったらその状態を認めてしまう、固定してしまいかねないので怖くて言えなかったんですね。しかも青井はもともとつぼ浦が好きなので、好きだからこそ自分のせいで壊してしまったことが悔しくて、好きだからこそ絶対に言えない。それを地の文で書くわけにはいかなかったのでたぶん表現しきれていないのでここで弁解です。
なにがあれってこの話、庭に来る可愛いと思ってた野良猫にお腹すいてそうだから餌をあげたら「この人は救世主だ」「自分は特別なんだ」って町内パトロールも猫会議も放り出して庭でずっと待つようになっちゃって、前みたいにのびのび生きてるお前が好きだったんだけどな、って言ったら餌をくれたのはお前だろうが!って途端に虎に化けて襲いかかってくる話なんですよね……
誰もそんなには悪くなかったのにね
コメント
8件
感謝が止まない…😭 本当に砂場さんの書くシリアス万病に効きますね。こうも狂気を上手く表現できる方なかなかいませんよ…
もう……全部最悪すぎて最高……😭😭大好きですほんとに😭😭 なんですか、🏺は🟦と両思いだって知れたのに一生片思いを背負って生きていくんですか。というか🏺が恋だと思い込んでるものは恋とは違うナニカだから、🟦も🏺に恋をさせておかしくしたくせに一生両思いにはなれないんですか。🏺が監禁した🟦はもうどこにもいないから、🏺は謝る相手もいなくなって許される道も恋が終わることもなく生きていくんですか……救いぃ😭😭😭
読んでいただきありがとうございます。 後編のイメソンは鬼束の「茨の海」で提出させていただきます。あまりにもドンピシャで私は泣きました(作者) これは「🏺が🟦を監禁してしまう話」というお題で書いたものです。大変なことになりましたね…やはり受けの監禁は様子がおかしい