テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
鏡の中のソフィア――いや、今の私は、青ざめた顔でガタガタと震えていた。完全に思い出した。ゲームのストーリーを。
明日、この国の皇太子カイル殿下と結婚する。けれど、それは愛のあるものではない。彼が皇太子妃にふさわしいと考えているのは、ゲームのヒロインである「聖女」シェリー。この婚姻は、皇室とヴァンクロフト公爵家を結びつけるための政略結婚にすぎない。
ゲームは、夫に愛されない寂しさと嫉妬から、ソフィアは聖女への嫌がらせを繰り返していく――という筋書きだった。
そして一年後の断罪イベントで、衆人環視のなか『国を害する悪女』として糾弾される。結末は、火あぶりの刑。紅蓮の炎に焼かれて死ぬエンドロールが、脳裏に鮮明にフラッシュバックした。
「……冗談じゃない……」
冷や汗が背中を伝う。さっきの交通事故の、あの焼けるような痛みが蘇る。前世で私は、一度死んだのだ。夫に裏切られ、誰にも愛されず、孤独の中で。それなのに、二度目の人生まで男に翻弄されて、今度は業火に焼かれて死ぬ?
「そんな人生、絶対にお断りよ」
鏡を睨みつけた。映っているのは、社交界の華と謳われる公爵令嬢の姿だ。前世で薬の副作用とストレスでボロボロだった自分とは比べ物にならない、若さと生命力に溢れた身体。
(こんないい女に生まれ変わったのに、処刑エンドなんてありえない)
だったら、やることは一つ。
(……逃げなきゃ)
部屋を見渡した。窓の外には帝都の街並みが広がっている。今すぐここから飛び出して、隣国へでも高飛びすれば――。
コンコン、と扉がノックされ、屈強な騎士が顔を覗かせた。
「ソフィア様、警備の確認に参りました。明日の挙式に向け、屋敷の周囲には鼠一匹通さぬよう騎士団を配置しておりますので、どうぞご安心ください」
「……ええ、ご苦労様」
引きつった笑顔を返しつつ、心の中で舌打ちをした。
(安心できるか! 逃げ道まで完璧に塞がれてるじゃない!)
そうだ、公爵令嬢の結婚は国家プロジェクトだ。逃げ出そうにも、協力者もいなければ、ドレスの下に隠せるような現金もない。
今、無理に動けば、厳格な父――ヴァンクロフト公爵が黙っているはずもない。下手をすれば、むち打ちか地下牢行きだ。
(……詰んでる。今は、大人しく結婚するしかない)
ギリ、と奥歯を噛み締め、爪が掌に食い込む痛みで冷静さを取り戻す。
一度結婚して、皇太子妃という立場を手に入れる。そして、皇宮にある宝石や現金をいただいて逃走資金を貯めよう。
夫である皇太子はどうせ私に無関心だ。隙をついて準備を整え、十分な資金が貯まったところで、誰にも見つからない田舎へドロンする。
「よし……決まりね」
鏡の中の自分に向かって、不敵に微笑んでみせた。前世で培った「仮面夫婦スキル」を総動員して、この場をやり過ごしてみせる。
***
そして、翌日。皇宮の控え室で、私は純白のウェディングドレスに身を包んでいた。コルセットで締め上げられた息苦しさに耐えながら、これから始まる「愛のない結婚生活」への覚悟を決める。
その時、ガチャリと扉が開いた。
入ってきたのは、金銀の刺繍が施された豪奢な礼服を纏った青年だった。光を吸い込むような漆黒の髪。透き通るように白い肌。長い睫毛の下には、アイスブルーの瞳。
すっと通った高い鼻筋に、薄く形のいい唇。骨格からして、神様が気合いを入れて作ったとしか思えないほど整っている。
ただし――その完璧すぎる容貌には、一片の愛想もなかった。鋭い眼差しと、周囲を寄せつけない雰囲気が、近づく者すべてを拒絶している。
顔だけ見れば、間違いなく国宝級の美形。この国の皇太子、カイル・フォン・オルディス。
かつて「一番の推し」だと画面越しに熱狂し――そして、私を処刑台へ送る張本人。
(……はぁ。悔しいけど、顔だけは本当に最高ね)
見惚れそうになるのを戒める。カイル殿下は部屋に入ってくるなり、鬱陶しそうに手を振って人払いをした。侍女たちが一礼して部屋を出て行くと、室内に重苦しい沈黙が落ちる。
彼はこちらを見もしない。窓の外を向いたまま、氷点下のような声で言い放った。
「……勘違いするなよ、ソフィア」
その声には、隠そうともしない侮蔑の色が滲んでいた。
「この結婚を受け入れたのは、父上の命令だからだ。お前のような性悪女を愛することなど、一生ない」
そこでようやく、彼は振り返った。向けられたのは、嫌悪と警戒を隠そうともしない冷たい眼差し。
「皇妃にふさわしいのは、民を救う聖女シェリーだ」
冷たい声が、さらに続く。
「世継ぎのため、子は一人必要だ。だが――それ以外で、お前と関わるつもりはない」
――プツン。
頭の中で、何かが切れる音がした。前世の記憶が、濁流のように蘇る。
『義務感でそういうことするの、しんどいんだけど』
私を家政婦扱いし、子供を作るための機械としか見ていなかった元夫の言葉。それとほぼ同じ言葉が、彼の口から発せられたのだ。
(ああ、そう。あんたもそっち側の人間なのね)
恐怖も不安も、すべて吹き飛んだ。代わりに湧き上がってきたのは、二度の人生分の、身勝手な男たちへの怒り。ゆっくりと立ち上がり、手に持っていた扇子をパチリと閉じた。
(上等じゃないの。そんなに嫌なら、その減らず口を塞いでやるわ。覚悟しなさい)
コメント
1件
おお、第2話、めちゃくちゃ熱かったですね…! ゲーム知識で未来を知ったソフィアが「逃げる」と決断するまでの焦りと覚悟、そしてカイル殿下の冷たい態度にブチ切れて開戦を決意するラスト、鳥肌立ちました。特に「処刑エンドなんてありえない」って鏡に不敵な笑みを向けるシーンと、前世の元夫の言葉がフラッシュバックして覚悟が怒りに変わる流れが絶妙で、思わず拳を握りしめて応援したくなりました。伏線の張り方も計算されていて、この先どう転がるか本当に楽しみです!