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ありんす
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成瀬りん
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タウロスとの会敵が、序章か否かは定かではない。
この魔物が、牛を模倣してデザインされたかどうかも不確かだ。
タウロスは二人の人間に膝をつかせることには成功した。
しかし、そこまでだ。
リードアクターを発現させたエウィンによって、口の中を貫かれて絶命。
この少年は素手で倒すという宣言したが、武器を使おうと勝ちは勝ちだ。
ここまでは前座なのだろう。
ここからが本番かもしれない。
空から降り注いだ何かが、邪悪な闘気を振りまいている。
それはまだ砂埃の内側だ。そこにいることは確かながらも、その姿は隠れてしまっている。
そうであろうと、エウィンとアゲハは目を離せない。刺すようなプレッシャーがそこから放たれている以上、目をそらすことさえはばかられる。
ゴクリと喉を鳴らしたのは、果たしてどちらか?
あるいは両名なのかもしれない。
どちらにせよ、エウィンは息苦しさを感じながらも頭の中は冷静だ。
(落っこちてきた? いや、違う。猛ダッシュで突っ走って、どこかのタイミングでジャンプしたんだ。そして……)
二人の近くに着地した。
まるで砂場で遊ぶ子供のようだが、事実そうなのだから受け入れるしかない。
エウィンはリードアクターを、アゲハはワスレナグサを維持したままだ。この状況でドーピングを解除出来るはずもなく、身構えながら見守り続ける。
煙のような砂塵は今なお健在だ。
これが霧散した時こそ、第二ラウンドが開始される。
だからこそ、時計の針は早められた。
前触れの無い突風が、砂煙を切り裂く。その風量は凄まじく、エウィンの前髪はオールバックのように額を晒す。
この瞬間、二人を驚くことしか出来ない。
その姿は、真っ黒な女だ。着地の衝撃で雑草が爆ぜたのだろう、むき出しの大地に立っている。
いくらか離れた距離ながらも、わかることは少なくない。
それは間違いなく女だ。
しかし、人間ではない。
頭頂部からつま先に至るまで、全身が闇のような黒一色だ。
唯一、異なる部位は瞳だけ。両眼は血液のように赤く、その色は異物のように目立つ。
体毛の類は一切見当たらず、ゆえに頭髪は一本も生えていない。
これは魔物だ。
しかし、様々な部位が人間の女性に似通っている。
アゲハほどではないが、双丘を描いた乳房。
腕はすらっと細いが、足はアスリートのように太く、それでいて色っぽい。
顔の造形も美人だ。髪の毛がなくとも、これはこれで一つの完成形と思わせる。
全身は鱗のような何かで覆われており、それが黒いため、この魔物は闇のような色に染まっている。
魔物でありながら人間を模倣した姿だ。
けれども、エウィンは決して騙されない。
「や、やばさがヒシヒシと伝わってきます。まるでハクアさんを怒らせた時みたいな……。おそらくはこいつも、オーディエンの手下。四体目ってことに……」
タウロスが三体目なら、これが最後の手札だろう。
エウィンはそう予想するも、その目は魔物の右腕に注目する。
黒い女は棒立ちではない。右腕は黒い長物を握っており、それをエウィン達の方向へ向けている。
正しくは、地面の方へやや垂れ下がっており、まるで素振りを終えた直後のようだ。
(さっきの風はそういうことか……)
長い凶器は剣だ。ゴツゴツと不格好な造形ゆえ、刃物というよりは鈍器が正解かもしれない。
魔物は砂埃の中でこれを振り抜いた。
その結果、突風が視界を晴らし、三人はこうして相まみえる。
シャドウデーモン。タウロス同様、煉獄に生息する魔物だ。こうしてウルフィエナに呼ばれた以上、鬱屈な故郷のことなど忘れ、思う存分暴れるつもりでいる。
眼前の人間は、記念すべき初めての獲物だ。
自分を呼び出した存在にも、戦えと命じられた。
同胞でもあるタウロスは無残にも殺されてしまったが、悲哀という感情など持ち合わせてはいない。
今すべきことは一つだけだ。
標的が見知らぬ闘気をまとっていようと、魔物は意にも介さず行動を開始する。
その仕草は、エウィンを驚かせるには十分過ぎた。
「な⁉ 手招きだと……」
シャドウデーモンが、人間並みの知能を持ち合わせていると晒した瞬間だ。
その事実に、傭兵は混乱してしまう。
魔物はそのほとんどが、動物や昆虫程度の知性しか持ち合わせていない。
草原ウサギがそうであるように。
ミファリザドがそうであるように。
もっとも、二人は例外と出会っている。
そうであろうと、アゲハは静かに驚いてしまう。
「い、意思疎通が、可能なんて……。お、オーディエンだけじゃ、ないんだ。アレも、言葉を話すの、かな?」
「口はついてますし、と言うか姿はほとんど女の人ですもんね。おっぱいは、ハクアさん以上アゲハさん未満ってところでしょうか」
常軌を逸した殺気に晒されながらも、エウィンはその部位を眺めてしまう。
その分析は正しく、シャドウデーモンの乳房は小ぶりながらも綺麗な山なりだ。鱗のような未知の物質に覆われているため、そういう意味では裸ではないのだろう。
それでも蠱惑的な姿であることは変わりない。
もっとも、ここは戦場だ。
エウィンもそのことは自覚しており、劣情を抱いてはいない。
手招きされた以上、傭兵として招待状を受け取る。
「さて……。相手は武器を持ってますし、あいつも僕がやります。多分、さっきの奴以上に手ごわいでしょうから、やばくなったらアゲハさんだけでも逃げてください」
「う、ううん、逃げるとしても、一緒、だよ」
「善処します」
作戦会議は終了だ。
魔物が待機している以上、エウィンの方から歩み寄る。
同時に、問わずにはいられない。
「おまえも! オーディエンの仲間ってことでいいんだな⁉」
念のための確認だ。
見たことも聞いたこともない魔物ゆえ、別世界からやって来たという推論は暴論ではない。
ましてや、この気配は特徴的だ。
肌に突き刺さるような殺気。
あるいは息苦しさを感じる邪悪さ。
未確認ながらもおそらくは存在するであろうその場所には、煉獄という名が与えられている。
(返事はなし、と。首を傾げたってことは……、どういうことだろう? まぁ、いいや。難しいことは、アゲハさんに考えてもらうとして……)
コミュニケーションは失敗だ。
その仕草には知能が垣間見えるも、エウィンは一旦口をつぐむ。
話し合うために近づいたわけではない。
傭兵と魔物が出会った以上、やるべきことは明白だ。
(こいつからは到底逃げられない。それだけは断言出来る。だったら……)
挑むしかない。
背中を見せれば、斬り殺される。
あるいは、串刺しかもしれない。
黒い剣は歪ながらも禍々しく、凶器としての迫力はスチールソード以上だ。
その使い手も未知の化け物ゆえ、戦いながら探るしかない。
その実力を。
その思惑を。
戦闘開始だ。これ以上の問答や推理は時間の無駄でしかない。
エウィンの接近を受けて、シャドウデーモンが嬉しそうに武器を構える。右手で黒剣を持ち上げた理由は、刃を寝かせて右肩に乗せるためだ。
その姿は隙だらけながらも、真っ赤な眼光は真剣そうに人間を見つめている。
対するエウィンだが、足取りは大胆なようで慎重だ。一歩、二歩と確実に距離を詰めるも、体力を温存するようにゆっくりと進む。
譲られた以上、その一振りに迷いなどない。
まるでステップのように跳ねた理由は、先制攻撃のためだ。
滞空時間は一瞬。落下と共に、エウィンは灰色の刃をぶつけるように振り下ろす。
手加減なしの剣戟だ。並の魔物なら、この一撃で血しぶきを散らすだろう。
もっとも、その結果は刃が当たった場合に限る。
頭上から迫る殺意を、魔物はその場からほとんど動かずに避けてみせる。左足を軸に、右足を下げて回転するようにやり過ごす。
その際に、スチールソードがシャドウデーモンの乳房をかすめるも、実際にはギリギリながらも届かなかった。
鮮やかな回避だ。
エウィンは感心するように驚くも、それよりも今はすべきことがある。
追撃だ。地面を切ったその刃を、振り上げるように右へ走らせる。
両者の間合いは十分近く、シャドウデーモンとしては避けるよりも体当たりの方が有効な手立てだろう。
それでもなお、この魔物は後ずさることで避けてみせる。大剣のような凶器を肩に担いだまま、まるで相手の力量を計るような立ち振る舞う。
この状況において、エウィンは攻撃の手を緩めない。相手に反撃の意図が感じられないのなら、果敢に攻めて好機を見出す算段だ。
この傭兵は、素手での戦闘を得意とするインファイターではない。
本来は短剣を振るう傭兵であり、アゲハと出会って以降は打撃で魔物を屠り続けるも、結果論に過ぎない。
そして、エウィンは片手剣を短剣の延長線上に捉えており、乱暴な論理ながらもこうして扱えている。
常識的には不可能だ。
なぜなら、それらには覆せない差異が二点ある。
重量。
刃の長さ。
これらは性質の根幹を左右することから、同様に扱えるはずもない。
そうであろうと、エウィンは剣の達人のように猛攻を継続出来ている。
言うなれば、センスだ。
そして、これがエウィンとアゲハの決定的な差でもある。
両者を比較した場合、実は身体能力そのものはそれほど離れていない。もちろん、エウィンの方が一回りは上回るも、裏を返すとのその程度か。
この二人が本気で戦った場合、どれほどの試行回数を重ねようと結果は変わらない。
エウィンの全勝だ。
戦闘の才能、その一点においてそれほどの差が生じてしまっている。
身のこなし。
相手を壊すことへの躊躇の無さ。
そういった要素がアゲハには欠けている一方で、エウィンは十分過ぎるほど持ち合わせている。
持って生まれた素養と言うよりは、経験の差かもしれない。
エウィンは十年もの歳月を、ウサギ狩りに費やした。その年月は決して短くはなく、才能を開花させるには十分過ぎた。
そういう意味では、アゲハはこれからなのだろう。
ウルフィエナに転生を果たして、まだ一年と少し。身体能力は順調に向上していることから、体の操縦はこれから学べば良い。
もっとも、死闘は既に始まっている。鍛錬の機会が与えられるかどうかは、眼前の魔物を退けてからの話だ。
(来る!)
エウィンが冷静に仰け反った結果、黒い拳が空を切る。
突然の裏拳だ。予備動作のない鋭い一閃ながらも、手の甲は人間を捉えられない。
未来予知のおかげで、エウィンはこの反撃を避けることが出来た。
しかし、素直に喜べない。
当然だろう。魔物は依然として黒い剣を担いだままだ。裏拳は左手によって繰り出されたことからも、手を抜かれているとしか思えない。
あるいは様子見か。
だとしたら、その目的は何だ?
何もわからないままに、エウィンは数歩下がって体勢を立て直す。
(こいつ、やっぱり手ごわい。だけど、スピードにはついていける、か?)
少なくとも、食い下がれている。斬撃は全て避けられたが、それはお互い様だ。
このタイミングで、傭兵は改めて魔物を観察する。
その姿は全身が黒く、背丈はエウィンよりも頭二つ分は高い。つまりは優に二メートルを超えており、それでいて健康的な肉付きをしていることから、色気さえ漂う。
裸なようで、そうではない。
その外見もまた男を魅了するも、今は殺し合いの最中ゆえ、エウィンとしても気を引き締める。
(あんなデッカイ剣で斬られたら、一発でおしまいだ。でも、大振りになるだろうし、警戒すべきは左手のパンチか? 隙だらけな癖に、目の良さと機敏な動きでこっちの攻撃は全部避ける。簡単に勝てる相手じゃない)
傭兵として分析を終えた頃合いだった。
肌寒いと感じた理由は、草原地帯の気温が下がったからではない。
シャドウデーモンの殺意だ。魔物は美しい顔を歪ませながら、嬉しそうに口角を釣り上げている。
表情筋を存分に動かす魔物とは対照的に、エウィンは引きつるしかない。
(笑ってる? でも、なんで……)
わからずとも、察することは可能だ。
勝ち誇っている。
あるいは、闘争そのものを楽しんでいるのか。
(やっぱり、こいつはやばい。アゲハさんを守り切れるかどうか……)
不安がよぎるも、抗うしかない。
そのための一手が、この斬撃だ。愚直な薙ぎ払いながらも、距離を詰めると同時に繰り出したため、相手を驚かせるには十分過ぎる。
刃が届くか否か。
あるいは、反撃さえあり得るのか。
実は、どれであろうと構わない。
なぜなら、エウィンの目論見は別にある。
そうであると裏付けるように、シャドウデーモンは目を疑った。
斬りかかってきた人間が、こつ然と姿を消したからだ。
灰色の刃が降り抜かれなかった理由。寸止めですらないその中断は、フェイントに他ならない。
エウィンは魔物の右手側に回り込む。眼前の魔物が強敵である以上、ここからは技術を織り交ぜ、立ち向かうつもりだ。
鱗のよう黒い何かに守られたそのわき腹へ、スチールソードを押し当てる。そのまま背中側へ刃を滑らせるも、その手応えに斬りつけた側が驚きを隠せない。
(無傷⁉ こいつも!)
タウロス同様、この魔物も鉄壁だ。
事実、鋼鉄の武器が通用しない。
シャドウデーモンを覆う漆黒の肌が、それ以上の強度を誇ると証明されてしまった。
この結果を受けて、エウィンは戦い方を変える。彼の腕力ならば、斬撃以上の痛打を与えることが可能だ。
言い換えるなら、剣を握っている最中は全力を出せていない。刃がその負荷に耐えられないため、斬りかかる際にどうしても手心を加えてしまう。
(だったら!)
ここからは真の意味で全力だ。依然として純白のオーラをまとっており、殴り殺すという気概で新たな局面に挑む。
エウィンがスチールソードを地面に突き刺した理由は、手放すためではない。それを支えとして、体を浮かせるためだ。
飛び蹴りのようでそうではない奇襲に、魔物は反応すらもままならない。
格闘技の心得がある者さえ、このキックには唸るだろう。
ならば、素人に対応など不可能だ。事実、シャドウデーモンは左腕越しに体を蹴られてついに倒れる。
この好機を見逃すほど、エウィンは愚かではない。うつ伏せのまま動かないその背中を、容赦なく踏みつける。
人間なら絶命の一撃だ。仮にこれを受けたのがアゲハやモーフィスであろうと、悶絶は免れない。
そのはずだが、踏んだ側が慌てて後ずさる。真っ赤な瞳に、ギロリと睨まれてしまったためだ。
(頑丈な奴……)
流れるように蹴りを二発ヒットさせた。
それでもなお、少年の表情は晴れない。
対照的に、シャドウデーモンは痛がる素振りを見せないばかりか、音もなく立ち上がる。右手は巨大な剣を手放しておらず、左手は敵を目の前にしてなお砂粒を払うことに忙しい。
一瞬の静寂は、どちらもその場から動かないためだ。
緑色の草原で見つめ合いながら、魔物が改めて意志を表示する。
かかって来い。そう主張するような、二度目の手招きだ。
その仕草が、改めてこの傭兵を混乱させる。
なぜなら、十分過ぎるほど攻めたつもりだ。
何度も斬りかかり、先ほどは蹴とばした。
それでもなお、この魔物は攻撃の機会を譲り続ける。
その意図が読めない以上、エウィンに冷静な判断など不可能だ。
(ば、バカにして!)
無警戒に距離を詰める。
勢いそのままに、サンドバッグを殴るような連打。シャドウデーモンの方が遥かに長身ゆえ、黒い腹部は丁度良い高さに位置する。
エウィンの拳が当たり続ける理由は、魔物が微塵も動かないためだ。避けもしなければ、防ぐことすらしない。棒立ちのまま、眼下の人間を眺め続けている。
この光景は、どちらが強者かを物語るには十分過ぎた。
極めつけは、たった一度の反撃だ。真っ黒な右足が、対戦相手を排除するように蹴飛ばす。
草原の絨毯をえぐりながら、エウィンは受け身すら取れない。左わき腹の激痛は、命に関わる重傷だ。自身に何が起きたのか、わかった上で思考は乱れる。
(来るとわかってたのに……。反応が……)
遅れてしまった。
その理由は、殴ることに集中してしまったから。
どれほどの距離を転がったか理解出来ないまま、エウィンは苦痛を和らげるために左わき腹を押さえる。
同時に、理解させられた。
この魔物には敵わない、と。
漆黒のそれは、どういうわけか手を抜いている。黒い剣を使わないばかりか、それが足かせとなって右手も封じている。
一方で、自分自身はどうだ?
リードアクターは既に発動済み。
スタミナの消耗を顧みない程度の全力。
それでもなお、勝機は一切見出せない。
絶望だ。
エウィンは改めて思い知る。
オーディエンの部下にすら勝てない、己の無力さを。
同時に、妙な満足感を抱いてしまった。
この魔物に殺されれば、結果はどうあれアゲハを庇ったことになるのだろう、と。
都合の良い解釈ながらも、思考は既に勝つことを諦めてしまっている。
そうであると裏付けるように、エウィンは無意識にこの一年を振り返る。
慌ただしい日々だった。
貧困街でアゲハと出会い、ゴブリンやオーディエンに殺されかけた。
傭兵らしく魔物を狩って金を稼ぎ、魔女のエルディアとも出会うことが出来た。
魔物を殺し、魔女も殺した。
気づけば、ここにいる。
満足だ。
十分、戦った。
その過程で誰かを救えたと自分に言い聞かせながら、少年は静かに瞳を閉じる。
その声が聞こえなければ、安らかに眠っていただろう。
「大丈夫? エウィンさん、エウィンさん……。もう、治したよ」
不安そうな声はアゲハだ。耳元で囁かれていると錯覚するも、実際のところは彼女の黒髪が顔に触れる程度の距離感だ。
エウィンは思い出したように瞳を開くと、ばつが悪そうに体を起こす。
(わ、忘れてた。アゲハさんならこんなの一瞬だった。走馬灯見てた自分が恥ずかしい……)
わき腹の痛みは一切感じられない。脳が死を予感するほどには臓器も破壊されたが、生まれ変わったように健康だ。
アゲハに見守られながら、エウィンはそそくさと立ち上がる。
「ありがとうございます、もう大丈夫です。でも……」
事態は改善されていない。
黒い魔物は、いくらか離れた場所で待機している。戦闘の再開を望んでいるのだろう、その顔は人間二人を観察しつつも笑っている。
対するエウィンだが、勝機を見出せない。
実力の差を見せつけられた以上、改めて挑もうと結果は同じだ。
ゆえに、非情ながらも告げなければならない。
「やっぱりアゲハさんは逃げてください。あいつは、僕が思ってるよりずっと強いです。もしかしたら、ハクアさんやオーディエンに匹敵するのかも……」
この発言が真実か否かは定かではないが、アゲハを怯ませるには十分過ぎた。
彼女が声すら発せられない中、エウィンはつらつらと事実を述べる。
「あいつはどういうわけか、手を抜いています。僕を痛めつけたいのか、遊んでるだけなのか……。だったら、僕でも時間くらいは稼げそうです。本気を出される前に、アゲハさんだけでも……」
本来ならば、シャドウデーモンの足止めなど不可能だ。黒い剣を振り回されたら、エウィンなど一瞬で分断されてしまう。
それでもこうして試合が成立している理由は、魔物が対戦相手を壊さないからだ。
エウィンはその隙を突いて、アゲハだけでも逃がしたい。偽りのない本音であり、長年夢見た状況でもある。
もっとも、思惑通りに進むかどうかは不明だ。
黒い魔物がアゲハを狙った場合、この作戦は一瞬で失敗する。
いわば賭けだ。勝率を見出すことすら出来ないままに挑むしかない。
エウィンは一歩を踏み出す。遥か前方では、対戦相手が律儀に待ってくれている。
自分だけが狙われている内に、この命を捧げてでもアゲハだけは逃がさないといけない。
残念ながら、この方針は失敗に終わる。
シャドウデーモンではない。
アゲハの覚悟が、少年のトラウマを砕く。
「わたしは、逃げないよ。だって、エウィンさんが、好きだから……」
全てはここから始まる。
その傭兵が、価値観を覆された時。
その日本人が、自分の殻を破った時。
もはや障害など、ありはしない。
舞台の上で、その手は白紙の台本を握っている。
少年の名前はエウィン・ナービス。彼の可能性は、やがて全てを超えてみせる。
コメント
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うわ、この第111話、めちゃくちゃ熱かったですね……! 新しい魔物「シャドウデーモン」のビジュアルと、あの余裕の手招きがもう不気味で。エウィンがリードアクター使っても歯が立たない強さ、しかも手加減されてるのが逆に怖い。そしてアゲハが「逃げない、好きだから」って! ここでエウィンのトラウマをぶち破る展開、痺れました。次が気になりすぎます!