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いつものように、桟橋に腰を下ろす。
風が桟橋の板をわずかに震わせる。水面は赤く、光を反射して揺れている。
後ろから、いつも耳にする声が聞こえてきた。
「今日は本当に退屈ですね。」
振り向くと、エナが立っていた。
緑のキャップの影から覗く黒髪は、風に吹かれて柔らかく靡いている。
その佇まいはいつも通り落ち着いていて、穏やかな視線だけがまっすぐこちらをとらえていた。
「おお、エナ、今日は遅かったな。」
「もしかして、私の登場を待っていたんですか?」
「ああ、当たり前に。お前がいないと1日がつまらないからな。」
言葉の端々に微かな笑みが混ざる。エナは隣に腰を下ろし、足を赤い水面に浸す。ぴちゃり、ぴちゃりと小さな水音が桟橋に響き、波紋が淡く広がった。
エナと並んで座るのは、もう日課みたいなものだった。調査のときも、休むときも、気づけばいつも隣にいる。その当たり前が、いつの間にか俺には心地良くなっていた。
ただの相棒なのか、友達なのか……それすら曖昧なままだけど、
少なくとも俺は“エナの中で特別でありたい”と、どこかで願っている。
ふと、疑問が胸をかすめた。
———こいつは、どんな人を好きになるんだろう。
日常のふとした瞬間に、エナが誰かに心を動かされる場面を想像したことがなかった。
今までそんなこと考えもしていなかったのに、今日は妙に気になってしまう。
エナが選ぶとしたら……あのストーカー気味の背の高い男か?
それとも、余裕の無さが目立つけれど仕事はきっちりこなすコーラルか?
誰かの名前を思い浮かべるたび、胸の奥がざわつく。次第に落ち着かなくなって、考えれば考えるほど息苦しくなっていく。
気づけば、そのまま口が勝手に動いていた。
「なあ、エナ。お前って、好きなタイプとか好きな人とかいたりするのか?」
「……私ですか?」
一瞬、驚いたように見つめる。その目が少しだけ揺れる。エナは顎に手を当てては暫く沈黙する。
「そうですね…タイプ、というものは特にありません」
エナの声は、いつも通り冷静で落ち着いている。だが、続けて言葉が重なる。
「でも、あなたと話している時間は特別に感じます。…これって、そういうことですか?」
胸の奥がドキッと跳ねる。
柔らかい眼差しを向けられると、頬が熱くなり
思わず視線を逸らした。心の奥で確かに何かが弾けた。
「そ、そういうことって……」
なんとか絞り出した声は震えていた。
エナはその反応が面白いのか、からかうように、けれどどこか嬉しそうに口元をゆるめる。
「貴方はどうなんですか?」
「……俺?」
突然問い返され、思考が一瞬真っ白になる。
エナは小さく俯き、手のひらを軽く握りしめる。
「私だけが特別に感じているんだとしたら……少し、寂しいです」
こんな気持ちを抱える日が来るなんて思ってもみなかった。
ただ隣にいるだけでよかったはずなのに、気づけばエナを失うことが怖くなっている。
「……エナ」
エナがじっとこちらを見つめた。その瞳は冗談ではなく、本気で答えを求めている。
「お前が特別なのは……前からだよ。
いや、気づいてなかっただけで、ずっと……」
言葉はうまく繋がらないのに、エナは少しだけ目を丸くし、次の瞬間には静かに微笑んだ。
「そう、だったんですね」
それは、どこか安堵のような、嬉しさの色を含んだ笑みだった。
距離がすっと縮まる。
肩が触れそうで、触れない。
でも、そのわずかな距離が、今日だけは特別に感じる。
ゆっくりと沈む夕日が、水面に線のような輝きを落としていた。
その光の揺れを眺めながら、互いの静かな呼吸を感じれば心地良く胸に染みた。
言葉にする前から、もう答えは決まっている気がした。
「エナといるとすごく心地が良いんだ。これはずっと前から、」
「私も、貴方の隣にいると安心します。きっとこんな気持ちになれるのは貴方の前だけ。」
「俺もエナにだけ…。これからもお前の傍に居たい。俺にお前を独占させてくれ。それも、友情とかじゃなくて、恋人として。」
「…もちろん。これからも隣にいます。」
エナの言葉が落ち着いた声で響くと、胸の奥で張っていた糸がふっとほどけた気がした。
「なんだか、不思議な感じだ。」
「そうですね。」
横を見ると、エナはいつもの変わらない表情をしているのに、視線だけがどこか柔らかい。
そっと並んだ指先に触れてみると、拒まれることなく静かに指を絡めてくる。
その小さな動作ひとつで、世界が少しだけ明るくなったように感じた。
「エナ、すきだ」
「…私も、すきですよ、フロギー。」
そっと繋いだ手は、まだわずかに緊張を帯びている。互いの体温を感じ取りながら、重なる想いがじわりと満ちていった。
桟橋に響く水音は変わらず、静かに揺れている。だけど、さっきまでとは少し違う、柔らかい時間が、今ここに流れているようだった。