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ナオミの店に戻ると、既に東雲の姿は何処にもなかった。
恐らく先に帰ったのだろう。店内には客はおらず、カウンター席に突っ伏したナギの姿が目に入った。
「……随分遅かったわね。ナギ君待ちくたびれて寝ちゃったわ」
グラスを拭いて片付けているナオミが困ったような表情を浮かべてそう言ってそっとナギの頭を撫でる。
「そう……。悪い事したかな」
「ちゃんと、ゆきりんと話は出来たんでしょうね?」
「まぁ。多分」
曖昧に答えながら蓮はそっと眠るナギの隣に腰を下ろすと、起こさないよう慎重に優しくその髪を掻き上げた。
癖のある柔らかい髪が蓮の指に絡みつく。
「待たせてごめんね」
少し顔を上げれば気持ち良さそうに眠っているナギのあどけない顔が視界に入り、蓮は無意識に口元を緩めた。
「……ねぇ、今度は何を企んでるの?」
「酷いな。何も企んでなんかないよ」
蓮はナギの頬にかかった前髪を指先で払うと、そのままその頬に軽く唇を落とした。そして、愛おしむようにその頬を掌で包み込む。
まるで恋人同士のような仕草に、ナオミは眉間にシワを寄せてため息を一つ。
「言い方を変えるわ。いつまで猫被ってるつもり?」
「なんだよ。さっきから……」
ナオミの言葉の端々に棘があるように感じて蓮は不快げに顔を歪めると、乱暴にナギの頬に触れていた手を離し立ち上がる。
苛立ちを隠すことなく、鋭い眼差しを向けてくる蓮に、ナオミは臆することなく言葉を続けた。
「ほら、その顔。ナギ君やゆきりんに見せたことある? 30過ぎてんのに何も知りませーん、なんていくら何でも無理があるわよ」
「……」
ピシャリと言い切られて言葉に詰まる。チッと小さく舌打ちをして押し黙ると、蓮は再びドカッと音を立てて椅子に座り直した。そんな様子を見て、ナオミがもう一度ため息をつく。
「昔から顔と外面だけはすこぶる良くて、大抵の事は上手くやってきたみたいだけど。腹の中じゃいっつも人を見下してた。自分勝手だし、プライドも高いし、傲慢で計算高くて……。人の気持ちなんて一切考えない性悪。それが、アタシの知ってる御堂蓮よ」
容赦のない言葉の数々に、流石の蓮もムカついてきたのか不機嫌なオーラを隠そうともせず、ギロリとナオミを睨んだ。
だが、それでも彼女は怯まない。寧ろ、更に強い視線で射抜いてきた。
「昔から顔と外面だけはすこぶる良くて、大抵の事は上手くやってきたみたいだけど。腹の中じゃいっつも人を見下してた。自分勝手だし、プライドも高いし、傲慢で計算高くて……人の気持ちなんて一切考えない性悪。それが、アタシの知ってる御堂蓮よ」
その言葉に、蓮のこめかみがピクリと動いた。
ギロリとナオミを睨みつける。その鋭さに、普通なら誰もが息を呑んで引くだろう。
「……何が言いたい」
「別に。ただ、イイコちゃんぶって若い子を誑かそうとしてんのが気に食わないだけよ」
「はっ……随分言うようになったじゃないか。昔は俺の言いなりだったくせに」
鼻で笑って吐き捨てるように言うと、ナオミは呆れたように息を吐いた。
「そりゃそうよ。あの頃のアンタはどうしようもないクズ野郎で、こっちは被害者なんだから。そんな奴の言うこと聞いてたらろくなことにならないって学習したの。いつまでも成長してない誰かさんとは違うのよ」
「……言ってくれるな」
「事実を言ったまでよ。どうせ貴方にハッキリ言ってやる人間なんていないんでしょう? だから私が代わりに教えてあげてるの」
嫌味たっぷりにそう言いきった彼女の瞳は真っ直ぐで迷いがない。大きく変わったのは見た目だけでは無いのだと改めて実感させられる。
「お前、性格悪いって言われないか?」
「蓮君に言われたくないわよ。アタシはね、これ以上被害者を増やしたくないの。だから、適当に期待させて弄んで捨てる位なら、これ以上その子に近づかないで欲しいの」
真剣な声色で告げられた言葉に、思わずハッとして息を呑んだ。視線の先にはスヤスヤと心地よさそうな寝息を立てているナギの姿が映る。
「……弄ぶつもりなんて無いよ」
「嘘よ。だって、今までのあんたがしてきた行動見てれば分かるもの。貴方に本気で誰かを愛する気なんて無い。ナギ君の事も所詮遊びなんでしょう?……だったらもう止めて。これ以上アタシの知り合いが傷付くのは見たくないから」
「……っ」
咄嗟に返す言葉が見つからず、蓮は黙り込んだ。違うと言い切れない自分が歯がゆい。
確かに未だに本気になるという事がどういうことなのかわかっていない部分はある。だが、この胸の奥底にある感情が何なのか説明がつかなくて持て余しているのは確かだ。
ナギと知り合ってすぐの頃に同じことを言われたら、きっとこんな風には思わなかった。
けれど、今は少なくとも自分の隣で眠っている彼の事を、他の誰よりも大切にしたいと思っているのも事実なのだ。
「……僕は……」
「ん……っ」
蓮が口を開きかけたその時、不意にナギがモソモソと動き出し、眠そうに目を擦りながら身体を起こした。
まだ完全に覚醒していないのか、ぼんやりとした様子で辺りをキョロキョロと見渡している。
その様子があまりにも可愛らしくて、思わず蓮はふっと笑いを漏らしてしまった。
それに気付いたのか、ナギがこちらに視線を向ける。
パチクリと何度か瞬きを繰り返すと、ようやく意識がはっきりしてきたようで蓮の姿を認めてホッとしたように表情を緩めた。
「戻ってたんだ。ゴメン、起きて待ってるつもりだったんだけど」
「ううん。僕の方こそ待たせて悪かったね。立てるか? 送っていくからそろそろ帰ろう」
蓮がそう言って手を差し出すと、ナギは素直にその手に自分の手を重ねて立ち上がった。
まだ少し足元が覚束無い様子でフラついているのをすかさず支える。
少し気まずそうに伝票を差し出し、一つ呼吸を置いてから真っすぐにナオミを見据えた。
「ケンジにはわからないかもしれないし、信じては貰えないかもしれないけど……。少なくともアイツの事は本気だったよ。伝え方がわからなくて酷い事をしてしまった自覚もあるし、後悔もしてる。確かに僕はケンジが言うように、愛するって事がどういうものなのか、よくわかってないのかもしれない。でも、今回は何も企んでないよ。これから先の事なんてまだ何もわからないけど、少なくとも今はこの子を大事にしたいと思ってる。その気持ちに嘘やごまかしは一切ない」
「……本気なの?」
「勿論。……別に信じてくれとは言わない。言ったってお前には茶番に見えるのかもしれないしな」
そう言ってナギの肩を抱き寄せると、ナオミはどういう心境の変化があったのかと訝し気に眉を寄せ二人を交互に見た。
しかし、それ以上は何も言わず、ただじっと蓮の顔を見つめた後、諦めたように息を吐き出し会計を済ませると静かに店の扉を開けた。
「……今度またゆっくり話しましょ。その時はちゃんと話を聞かせなさいよね」
「あぁ」
じゃぁ、また。と、ナオミに向かって軽く頭を下げるナギの肩を半ば強引に引き寄せ、複雑な気分で店を後にした。
そのままぎゅっと抱きしめると、ナギは驚きつつも何処か嬉しそうに頬を摺り寄せてくる。
「本当はさ、不安だったんだ……。ゆきりんがもし、抱いてって言ったら流されてそのまま帰って来ないんじゃないかとか、やっぱりあっちがいいって言って捨てられちゃうんじゃないかって嫌な事ばっか考えちゃった」
「……そんなことしないよ」
そっと髪を撫でていると、ナギは甘えるように首筋に顔を埋めてきた。その仕草が可愛くて、蓮は思わずクスリと笑う。まるで大きな猫みたいだ。と、思った。
他の男だったら同じことをされても鬱陶しいだけなのにナギなら嬉しいと感じる。そんな風に思う自分が不思議だ。
しばらくそして好きにさせていると、満足したのかナギは顔を上げて上目遣いで蓮を見上げてきた。
その表情が妙に艶っぽくてドキリとする。
つい、キスをしてしまいたくなる衝動を抑えて、唇に指を押し当て囁いた。
「流石にタクシーの中じゃまずいだろ?」
「そ、そんな事わかってるし……!」
恥ずかしそうに俯いたナギの耳が赤くなっている。そんな反応がいちいち可愛らしくて、蓮は堪らず声を出して笑ってしまいそうになり口元を手で覆って、それでも堪えきれずにクツクツと肩を震わせて笑った。
ナギはそれが面白くなかったようで、不貞腐れてぷいっとそっぽを向いてしまう。
「ごめんって、部屋に戻ったら沢山甘やかしてやるから」
「別に……そんな事しなくてもいいよ」
素っ気なくそう言いながらも、チラリとこちらに視線を向けたナギを見て蓮は確信する。
これは絶対に甘やかして欲しい時の態度だと。きっとそうだ、そうに違いない。
(早く、マンションに着かないかな)
そしたら思う存分抱きしめて、たくさんキスをして、ドロドロに蕩けさせてあげるのに。
蓮は逸る気持ちを抑えつつ、隣に座るナギの手をさり気なく握って窓の外に視線を移した。
「ほら、おいで」
ナギのマンションに到着後、蓮は当然のようにリビングのソファに腰掛けて自分の膝の上をポンポンと叩いた。
「えっ、なに急に……」
「なに、って……なんとなく?」
「なにそれ。超恥ずいし、絶対ヤダ。子供扱いしないでよ」
明らかに動揺しているのがわかるが、ナギはプイッと横を向くだけで一向に乗ってくる気配がない。
「僕がしたいんだけど、ダメ?」
「~~ッ! だから、そういう言い方ズルいんだって……っ」
「ねぇ、ナギ」
腕を引きながらわざと低い声で名前を呼ぶと、ビクリと身体が跳ねた。
一体何を企んでいるんだ? と言わんばかりの表情で蓮を睨みつけているが、その瞳の奥は微かに期待の色に染まっているようにも見える。
「早く」
「……わかったよ。座ればいいんでしょ?……もうっ、ほんっとに変なことしないでよね」
もう一度促すと観念したのか、ナギはそう言って大きく溜息をつくと渋々といった様子で蓮の隣に座ってきた。その身体を引き寄せて肩を抱くと、戸惑いながらもナギはそのまま蓮にもたれかかってくる。
程よい重みに目を細めうなじや髪にそっと口づけを落としていくと、くすぐったそうに身を捩って逃れようとするが、逃がすまいと強く抱きしめた。
「ちょっと、くすぐったいってば」
「我慢しろよ」
「無理。てかなに? すっごい恥ずかしいんだけど」
そう言って照れ隠しなのかぶっきらぼうに悪態を吐く姿が何故だか可愛く見えて、蓮は小さく忍び笑いを漏らした。それを敏感に感じ取ったナギはムキになって抗議してくる。
こうやってじゃれ合っている時がなんだか楽しいし、もっと触れたいと思う。
けれど、その思いをどう伝えれば良いのかわからない。今までこんな風に触れたいと思える相手に出会ったことがなかったから余計に。
自分の中にある感情が何なのかまだはっきりと掴めない。でも今は、この子の側に居たいと思うし、大切にしたいと思っている。
ナギの顎を掴み、顔を近づけてじっと見つめる。
抗うように揺れた瞳が、しかしすぐに戸惑いと共に潤みを帯び、やがて小さく息を吐いて静かに瞼を閉じた。
――その仕草が、どうしようもなく愛おしい。
そのまま優しく触れるだけのキスをする。何度か啄むような口付けを繰り返し、躊躇いがちに背中に腕が回るのを確認してから、ゆっくりと腰を抱き重力に任せてソファに組み敷く。
「っ、……ん、……っふ……」
真上からのキスは少しずつ深くなり、僅かに開いた隙間から舌を差し入れ、口内を貪るように掻き回すとナギもそれに応えるようにして舌を絡めてくる。
息継ぎの合間に漏れ出る甘い吐息が鼓膜をくすぐり、それが余計に興奮を煽った。
「……はぁ……っ、ちょ、待って……お兄さん……ッ」
息継ぎの合間に唇を離した瞬間、ナギは苦しそうに大きく息を吸い込んで、やんわりと蓮の胸を押し返してきた。
「……なに?」
その手を取り、指に舌を這わせながら尋ねれば、ナギの身体はわかりやすいほどビクビクと小さく震え、切なげに眉を寄せて瞳を潤ませる。
「あの……、ここじゃなくて……ベッドがいい……」
「どうして?」
「……どうしてって……。だって、汚れちゃうし……」
「あぁ……そう言う事か」
確かに。と、納得した蓮は身体を起こすとナギに手を貸して起き上がらせた。
「先にシャワー浴びておいで」
「うん」
「一緒に入る?」
「ば、バカじゃないの!? 一人で入るし!」
顔を真っ赤にして怒鳴ると、ナギが逃げるように浴室へと消えていった。
その背を見送りながら自然と頬が緩んでしまっている事に気付き、蓮は慌てて口元を押さえた。
「あー、やばいな……。これ」
ただの気まぐれのはずだった。けれど、気づけば胸の奥まで甘く痺れるような痛みに支配されている。
昔好きだった相手に感じていた気持ちとは全然違う。今思えば、あれはどちらかと言うと、支配欲のようなものだった気がする。
けして自分の所に堕ちて来ない、手に入らない。高嶺の花と言うわけでもないのに、自分のものにならない苛立ちと焦りの先に見付けた、歪んだ愛情。
自分の思いどうりに出来なかった彼への執着が恋だったのかと問われたら、正直わからない。
しかし、今の気持ちとは比べ物にはならないくらい幼稚で拙かったのは確かだ。
だがナギに対する気持ちはそれとは全く別物のような気がする。上手く言えないけど―――……、ただ一緒に居るだけで楽しくて、幸せで、ずっとこのままでいられたらなんて考えてしまう。
けど同時に、自分の中にある醜い感情がいつかナギを支配しようとしてしまうのではないかと不安にもなる。
もう二度と、あんな風に誰かを傷つけるような真似はしたくない。執着のし過ぎは良くないのだと痛感しているのに、それでも求めずにはいられない。
自分はいつまで、ナギに対して綺麗なまままであり続ける事が出来るだろうか。
ソファに凭れてそんな事を考えていると、不意に頭上に影が差した。
目を開ければ、バスローブ一枚羽織っただけのナギが立っていた。その頬は風呂上がりの為か、薄らと上気していて、濡れた髪が妙に色っぽい。
蓮は思わずゴクリと喉を鳴らした。
「……怖い顔して、どうかしたの?」
「……いや。……」
何でもない。と言おうとして口を噤む。誤魔化しても仕方がない。蓮は苦笑すると立ち上がり、ナギの髪を撫でた。
その行動にナギは驚いたように目を見開き、次いで恥ずかしそうに視線を逸らす。
そんな仕草が可愛くて、蓮はそっとナギを抱きしめた。
シャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。しっとりと濡れた髪に触れていると、それだけで満たされる気持ちになる。
「……ねぇ、お兄さん。ずっと聞かないでいようって思ってたんだけど……。お兄さんが好きだった人ってどんな人だった?」
「……っ」
突然の質問に蓮は思わず言葉に詰まった。
「あっ、嘘だよ、ごめん! 今のはやっぱナシ! 気にしないで!」
蓮の反応を見て、ナギはハッとした表情を浮かべて慌てふためくと、逃げ出そうとして腕を振り解こうとする。
「ナギ」
そんなナギの腕を引いて引き止め、再び抱き寄せると耳元で囁いた。
「……聞きたいなら話すよ」
「えっ? でも……」
「どんな人かって事だろ? まぁ、どうせ一方通行だったんだし、問題はないよ」
それに、もう終わった話だし。と、付け足すとナギは複雑そうな表情で蓮の顔を見た。
「まぁ、簡単に言えば……目付きも口も悪いし、チビのクセに態度もデカい。それにムカつくくらい生意気で負けん気が強くって、愛想もないし……」
「ねぇ、それ……本当に好きだったの? すっごい悪口に聞こえるんだけど……」
「……顔と身体が好みだったんだ」
「……最低じゃん」
「ハハッ、そうだね」
自分でも酷い言い様だと思う。でも本当の事だから仕方が無い。あの時の彼は、蓮が今まで出会った誰よりもカッコ良かった、そして魅力的で、傲慢で我が強かった。
自分がどれだけ虐げても折れない強さ。支配欲を掻き立てられると同時に、身体の相性がすこぶる良くて気が付けば夢中になってしまっていた。
そう考えると、自分がいかに盲目的に彼を見ていたのかがわかる。
「……僕と似てる?」
「……似てないよ。全然。あーでも……。ナギの身体の方が断然柔らかいし、感度も良い」
「……馬鹿! 変態ッ、エロオヤジ!」
蓮の言葉にナギは顔を真っ赤に染めると、ドンっと胸を叩いて抗議してくる。その様子があまりにも可愛らしく思えて蓮は思わず吹き出してしまう。
「何笑ってんのさ! 俺は怒ってんのに!」
「いや、なんか、可愛いなって思って……」
「なっ、なんだよ、急にデレて……っ、調子狂うなぁ……っ」
照れ隠しなのか、怒ったような口調とは裏腹に、ナギはそっと蓮の胸に頬を寄せてきた。
蓮はそっと腕に力を込める。
――二度と手放したくない。そんな想いが、不意に胸を満たしていた。